美しい織物のように

【ここヤシの家】🌴

2016年8月7日 年間第19主日
・ 第1朗読:知恵の書(知恵18・6-9)
・ 第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ11・1-2、8-19、または11・1-2、8-12)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ12・32-48、または12・35-40)

【晴佐久神父様 説教】

 ようこそ、この「ここヤシの家(※1)」に。
 この美しい海辺の、涼しいテラスの聖堂でのミサに、こうしてお客さまもお迎えして、私たち、大変うれしいですよ。織物をなさっているお母さまと娘さんが来られています。地元の精神科の病院の院長ご夫妻も参加してくださいました。ここヤシキャンプの主日ミサに、キャンプを応援してくださるいろんな方も来られて、ホントに、神さまが(・ ・ ・ ・)、いろいろな意味を持って、私たちを出会わせてくださっていることを、こうして体験いたします。・・・この集いは、たまたまじゃない。しかし同時に、その意味が何であるかって、簡単に言うこともできない。神さまだけがご存じの、何か大きな、素晴らしい意味がある。深~い(わけ)があって、私たちはこうして出会って、今、ここに座って、このひと時を過ごしています。
 波の音、鳥のさえずり、吹き抜けるそよ風、信じあう仲間たち。
 このような恵みのときを生み出す方を、私たちは「神」と呼びます。
 ・・・何て呼んだっていいんですよ。この現実をもたらすお方を信じるならば。私たちは、そのお方をとりあえず「神」と呼んで、感謝します。「神とは何か」っていうんじゃなくって、このような恵みのときをつくり出す、そのような力を「神」と呼ぶ。このような恵みのときをつくりだし、私たちを生かし、導き、だんだん癒やしてくださる。幸せにしてくださる。解放してくださる。・・・そういう方が、確かにおられる。そういう力が、確かに働いている。それを私たちは「神」と呼んで信じます。
 ・・・信じましょう。今ここを包んでいる、その愛を信じましょう。信じられないようなことがたくさんあるとき、疑わしいこと、(いや)なこと、イライラすること、痛いこと、そういうことがあるときにこそ(・ ・)、「いいや、この試練こそが、よいものを生み出していくんだ」と。
 つい今しがたも通り雨がすごい勢いで降りましたけれども、ごらんのとおりもう晴れ間がのぞいています。雨がダーッと降れば、思わず暗い気持ちになりますけれど、ほどなく雨は上がって日が差し、緑は豊かに輝きだし、虹も出て、私たちは新しい旅を始める。
 降りやまない雨、・・・・ありえない。「雨が嫌だ」と言うんであれば、まずは降りやむときのことを夢見ましょう。
 ・・・それは、必ず来ます。

 第1朗読、雨の音で、ちょっとよく聞こえなかったかもしれませんが、知恵の書が読まれました(※2)。・・・過越(すぎこし)の夜のこと(※3)。まあ、ひと言で言えば、本当につらい、怖い、恐ろしい夜のこと。
 その夜のことに触れた上で、しかし、神に選ばれた、神を信じる人たちは、神の愛を、神さまの「絶対にみんなを救う」という約束を信じていたので、その怖い夜を安心して過ごせたと、そういう箇所ですね(※4)
 最後の所に、こんな言葉がありました。
 「聖なる民が、順境も逆境も 心を合わせて受け止めるということである」 (知恵18:9)
 ・・・いい言葉だね。
 「順境も」「逆境も」「心を合わせて受け止める」
 そもそも、「順境」とか「逆境」とか勝手にいうけれど、要は今のわれわれにとって(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)、順境だったり、逆境だったりするだけでしょ。「これは、うまくいっている」「あれは、うまくいかない」とかって。しかし、「うまくいっている」ようであっても、「うまくいっていない」ようであっても、神さまの(・ ・ ・ ・)ご計画のうちにあっては、ぜんぶ、最終的には「うまくいっている」んですよ。・・・われわれの考えの及ぶところじゃない。
 だから、ぼくらが、「ああ、これは逆境だ」「これは試練だ」って思ってるときに、ハタと気づくべきなんですよ。「これは、しかし、順境の始まりなんだな」と。
 つまり、「順境」と「逆境」がバラバラにあるわけじゃない。すべての逆境は、順境の始まりなんです。つながってるんです。バラバラじゃない。そして最後は、素晴らしい、神さまのご計画の完成のときが待っていて、そこに、ぜんぶつながってるんです。バラバラで存在してるんじゃない。

 「みなおり(※5)」という、オリジナルの織物をなさるお母さまが来てくださいました。
 糸をね、5、6本より合わせて織ります。伝統的な大島紬は1本の糸で織るんだけれど、それをより合わせた、ちょっと風合いのある新しい織り方を発明されて、それを今、広めておられるとこですけれども。・・・美しい。
 典礼で使ってほしいと、わざわざ私たちのために織ってくださった布がこれです。こうして祭壇に飾りますね(※6)。ご覧ください、さまざまな絹の糸が織り合わさって、美しい。よく見ると、もう、あらゆる色が使われてますよね。パッと見、淡~い色がいくつかあるだけに見えるけれど、近くで糸をよく見ると、ホントに細かくいろ~んな色がね、織り合わさって。思わず、「きれいだなあ・・・」と思って見とれてしまいます。
 よ~く見てください、黒っぽい所にも、明るい色や淡~いピンクが入っているでしょう? 全体から見ると、その黒い部分もあらゆる色のつながりの中にあって、とても役に立っているどころか、それなくしては全体の美しさが成り立たない。
 われわれは、「逆境」とかって簡単に言いますけど、実は、織物の黒い所をじ~っと見つめて、「暗い」「黒い」「こんなことない方がいい」って言ってるだけなんです。「うわぁぁぁ・・・黒だっ! 逆境だ!」って。でも、ご覧ください。全体を見ればそこにはっきりと表れている、この美しさ。
 「人生っていうのは、こんなに美しいんだ! こんなに美しいんだ!!」と、そういうことですね。
 これがね、ぜんぶ「順境」の明るい色だったら、ちょっと退屈な織物ですね。悪くはないですよ、「順境だけの、明るくてきれいな色だなあ」って。でもやっぱり、この織物の美しさは、明るさ暗さがちゃんとうまく混ざり合って、「こんなときもあり、あんなときもあり」っていうドラマがあるから。・・・美しいねえ。
 「みなおり」の「みな」って、なんで「みなおり」っていうのかと思ったら、お母さまが「私の名前が皆子(みなこ)なんです」って、(笑) おっしゃるんで。ねえ。だけど、なんでじゃあ、「皆子」っていうのかって聞いたら、「みんなの子だから」って親が思って、そう付けたって言うんです。自分だけの子じゃなくて、「みんなの子だから」って。ねえ、素晴らしいですね、「皆子」さん。・・・この織り方を発明したんですよ。大島紬の独特な風合いを生かしつつ、もっと簡単に、もっとモダンに、もっと光沢のある美しい織物にと開発なさった。
 「みんなの子」である皆子さん、みなおりを開発して、私たちに、今日、持ってきてくださいましたけど、とってもシンボリックですよ。まさに心の病を抱えていながら、共にキャンプをしている私たちの集まりそのものです。美しいです。調和してるんです。1本1本の糸を見たって、しょうがない。ぜんぶ織りなされていて、意味が生まれる。この黒っぽいところ、「ここんとこ」だけ見ちゃいけない。「ここんとこ」があるから、こっち側の「ここんとこ」に、よい意味が生まれてくる。ぜんぶがそうして響き合っている。つながってる。美しいね。
 一人の人生でも、こんなに美しいんだったら、みんなの人生が重なっている天の国で織りなされている織物は、どれほど美しいか。やがて、私たちには、それを目の当たりにする日が参ります。
 ・・・みんな(・ ・ ・ )美しい。
 みんなちゃんと用意されていて、みんな神さまの恵みのうちにある。「それを知って信じていたので、あの暗い夜も安心していられた。動揺せず、安心していられた」 (cf.知恵の書18:6) 。それが真の知恵だっていうことですよね。知恵の書が読まれましたが、この箇所、いいですよ。
 「聖なる民が、順境も逆境も(・ ・ ・)、心を合わせて受け止める」 (知恵の書18:6/強調引用者)
 われわれは、「聖なる民」です。・・・まあ、逆境、つらいですけどね。なかなか、「そうはいっても」っていうとき、ありますけどね。・・・「心を合わせて受け止める」。

 第2朗読(※7)、さっき、これ読んでる時も雨が降ってきて大変でしたけど。・・・ああ、答唱詩編(※8)の時かな、一番降ってたのはね。
 ヘブライ人への手紙が読まれましたけれども、アブラハムのことが読まれました。アブラハムは、私たちの信仰の「太祖(たいそ)」と呼ばれる方。信仰の基本形を生きた方ですね。
 何が「基本形」かっていうと、神の言葉に信頼を置いて、「行き先も知らずに出発した」 (ヘブライ11:8) からだと。・・・いいですねえ、「行先も知らずに」出発する。
 なんか、このキャンプに結構無理やり連れて来られたあなたが、そうでしたね。(笑) よく来てくれました。心の病を抱えたまま、行き先もよく分からずに、「奄美大島ってどこ?」「かけろまじま? 何それ」って。でも、晴佐久神父に、「ぜひ来てほしい!」って言われて、あなたは信じました。
 今年が二回目という人も、去年初めて来たときは、そうだったでしょう? こんなとこだって想像もしないで、何だか知らないけど、「素晴らしい体験ができるよ、行こうよ! 行こうよ!」って言われて、「行先も知らずに出発する」。信じたんです。その信仰が、この集いを生む。
 でも、何も恐れることはありません。神さまご自身が「おいで~ “ヘ( ̄o ̄ ) 」って言ってるんだから。ちょうど赤ちゃんが親に抱かれて、行き先も知らずに運ばれていくように、私たちは、神の国に向かって連れて行っていただいてるんですよ。
 つまり、実は、行き先をちゃ~んと知る必要はないんです。知りたくたって知ることもできない。究極の行き先、「天国」と呼ぶのか、「神の国」と呼ぶのか、すべてが完成する、その「恵みの日」と呼ぶのか、何と呼んでもいいんですけど、そのすべてを、われわれは知らない。知らないけれども、私たちは「出発」します。・・・これは大きな恵みです。
 アブラハムが、そうして出発したおかげで、ユダヤの民は神さまの民となり、そこからイエス・キリストに連なり、イエス・キリストから、全世界の、普遍的で真理なるキリスト教として新しい出発をした。おかげで私たち、ここヤシの仲間も、どうなることかと思いながらも、この合宿に出発して、さらに、明日に向けて、来年に向けて、出発いたします。

 ヘブライ人への手紙の終わりのほうは、こんなふうでした。
 「こうして出発した人たちは、みんな、信仰を持って死にました。彼らは、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。しかも、この世の故郷じゃない。更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」 (cf.ヘブライ11:13-16) と。
 そういう旅をね、始めたアブラハム、そして、そのアブラハムの仲間たちのことが読まれました。われわれもそうです。「天の故郷を熱望し」 (ヘブライ11:16) と、「熱望」っていう言葉が使ってある。・・・「()く」「()む」。
 天の故郷に向かう。・・・もちろん、地上もいい所ですよ。でも、つらいこともある。しかし、地上がすべてじゃない。「地上ではよそ者であり、仮住まいなんだ」 (cf.ヘブライ11:13) と。
 われわれは、「地上ではよそ者であり、仮住まいなんだ」。なぜなら、ホントのふる里が天にあるから。私たち、ちょっと「こっち」に来てるんです。仮の住まいなんです。・・・この素晴らしい小聖堂だって、やがて消えてしまいます。「仮」なんです、すべて。
 天の故郷、本来あるべき所に、われわれは、向かっております。一日、また一日と、ぼくらはそれを「熱望」いたします。熱く望みます。
 そのようなことを、イエスさまは、そのような神の国、これを熱望しろと。そうすれば、天の父は喜んでそれをくださる。必ずくださる。だから、「恐れるな」と。このことに、「いつも目覚めていなさい」と (cf.ルカ12:31-48)
 どうしても、恐れにとらわれていると、もう、この真理が分からなくなって、「ああ、もう終わりだ」「自分なんかはダメだ」とかって思い込んでしまう。でも、それは真実ではありません。どうしても、そのような恐れにとらわれている状態であって、私たちは、まあ、そういう眠っている状態から目覚めていきます。それは、実際の、この寝ていた人が「ハッ!」って起きるような、そういう目覚めの究極版ですね。魂の世界での目覚めです。
 まあ、この世的に言えば、逆に、「この世でのんびり寝てるほうが目覚めてる」っていうことがあり得るんですね。恐れて、怒って、なんかこう、自分の思いだけ考えている人は、目覚めているようでも、神さまの思いからすると、眠りこけている。むしろ、すべて任せて、安心して休んでいるときの状態の方が、「目覚めてる」っていえるんじゃないか。
 「天の故郷を熱望し」 (ヘブライ11:16) 、順境も逆境も、よいものにつながっていると、そう信頼して、私たちの歩みを続けてまいります。

 今日のお客さま、お二人が、それぞれに、おんなじことをおっしゃってたんですよ。
 皆子さんはですね、この織物を開発して、みんなに喜んでもらおうと頑張ったのに、伝統的な織物を守ろうとする人たちから反対にあって、まさに「逆境」を味わったそうです。時には心無いことも言われたりなさったんじゃないですか? そのことをさっき、さらりと、「大変な思いをしてきたんですけどね」とおっしゃってた。
 その後で、院長先生が来られて、「この地で病院をやってくるのは、なかなか大変だった」と。この地で苦しんでいる人たちのために、病院を守り育てて、それこそご苦労なさったんでしょうけれども、「ここに至るには、いろんなことも言われたりしたんです」みたいなことをね、さっきおっしゃっていました。まさに、「逆境」があった。
 私、今日、お客さまが、こうして来られてですね、今日の聖書を一緒に読んでくださったこと、すごくうれしいです。というのは、神さまが、そのように、今日ここに来られた、大変な苦労をなさってこられた一人ひとりに語りかけているからです。
 その苦労、その逆境、心ないことを言われたり、理解してもらえずつらい思いをしたそのすべてが、まさに、神の国の喜びにつながっているんだと、神さまご自身が、そうおっしゃっているから。そうして、その苦労こそが、ここヤシの仲間たちへの何よりの励ましになっているからです。

 先ほど、院長先生の奥さまが、ヨガを指導してくださいました。おかげでね、体がリラックスして、解放されました。ふだん、やっぱり緊張してるんですよね。体がこわばって、硬くなっている。そんな状態から、やっぱり、この神さまの恵みの中で、身も心も安心して解放されていくこと、それを、私たちは望みます。
 「身も心も」っていうなら、院長先生は、さきほどの講話で、「心は三つのことで出来上がってる」って教えてくださった。それぞれ、私たちが「こうしたい!」って思う意思、「こう感じる」っていう感情、そして、私たち、人間らしさの一番の(かなめ)である「考えること」「理解すること」という知恵。心にはそういう、さまざまな面があるんだけれども、先生、こうおっしゃいましたよ。
 「その三つには、それぞれ、邪の部分、悪い面がある。しかし、それらのよい面は、何か尊い高み、いうなれば、神さまにつながっているんです」と。

 神さまは、私たちに、体と心を与えてくださった。その体も心も、ちょっと緊張してたり、閉じ込められてたり、苦しかったりするけれども、その逆境はよいものにつながっていて、そのよいものの完成版が神の国であり、そこに神さまがおられる。
 ぼくらの身も心も、神さまにつながってるんです。・・・つながってるんです。
 バラバラで、みんなポツンとこの世に存在してるんじゃない。すべてつながってる。
 この目の前の美しい織物のように、神さまの世界が、神さまのお望みになる神の国が、やがて完成する時に、私たちは自分が、こんなに美しい1本の糸として、この織物の中に存在していることに、深く深く感謝することになると思います。
 やがて、出来上がったその神の国を、みんなでとこしえに味わう日が来るかと思うと、この合宿はその始まりとして、いっそう深い意味を持ってくる。
 感謝のうちに、このミサを、神さまにお捧げいたします。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「ここヤシの家」(既出)
 晴佐久神父が二十数年来続けている無人島キャンプのベースキャンプ隣接地(奄美群島の加計呂麻島)に建てた。さまざまな協力を得て、2014年夏に完成。
 特に、精神的な病気、障害など、心にさまざまな問題を抱えて苦しんでいる青年たちに、良い環境で過ごし、良い仲間と出会い、良い知らせ(「福音」)に触れてもらうために利用する。昨年(2015年)夏には、「福音の村」でも読者の皆さまからのご協力を仰ぎ、小聖堂が完成。
 ここヤシの家 「ここヤシ」ミサ-1 「ここヤシ」ミサ-2 「ここヤシ」ミサ-3
(参考)
・ 「ここヤシキャンプ」(『多摩カトリックニューズ』2014年8月号:主任司祭巻頭言)
・ 「奇跡が起こりました!」(「福音の村」2014年8月17日説教//説教全体)
・ 「トンネルの向こうには」(「福音の村」2014年8月31日説教/説教全体)
・ 「皆さんが居場所になるんです」(「福音の村」2014年9月28日説教/最後の段落
・ 「失ったのではない、お返ししたのだ」(「福音の村」2014年10月19日説教/説教中盤、上から5段落目から)
・ 「ここヤシの家に小聖堂を!」(『多摩カトリックニューズ』2015年6月号:主任司祭巻頭言)
・ 「浸礼、やっちゃいました」(「福音の村」2015年8月16日説教/説教全体)
・ 「ぼく、残るよ」(「福音の村」2015年8月30日説教/説教全体)
・ 「驚かせるのも愛」(「福音の村」2015年9月6日説教/説教全体)
・ 「蚊帳の中」(「福音の村」2016年5月15日説教/説教全体)など
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※2:「知恵の書が読まれました」
この日の第1朗読箇所は、以下のとおり。
  旧約聖書続編:「知恵の書」18章6~9節。
   〈小見出し:「敵の死と民の救い」18章5~19節から抜粋〉
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※3:「過越の夜のこと」
 主がエジプトの奴隷であったイスラエルの民を、その地から救い出した夜のこと。
 主はあらかじめ、モーセとアロンを通して、イスラエルの民の家族ごとに子羊を用意させ、屠って、その血を鴨居と入口の柱に塗らせた。主がエジプト人を撃つために巡るとき、そのしるしをご覧になって、その入り口は通り過ぎる(過ぎ越される)ためであった。はたして、主がエジプトの国中の初子を撃たれた真夜中、イスラエルの民の家は過ぎ越されたが、エジプト人の家では、「死人が出なかった家は一軒もなかった」という。
===(聖書該当箇所)=== 
☆出エジプト記 11章~12章
・ (エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 )「その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」(出エジプト12:1、12:12-13/赤字引用者)
・ 「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、 ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、
大いなる叫びがエジプト中に起こった。(出エジプト12:29-30/赤字引用者)
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※4:「そういう箇所ですね」
 この日の第1朗読(※2参照)の最初の箇所には以下のようにある。
===(聖書該当箇所)===
・ 「あの〔過越しの〕夜のことは、我々の先祖たちに前もって知らされており、彼らはあなたの約束を知ってそれを信じていたので、動揺することなく安心していられた(知恵の書18:6/赤字引用者) 
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※5:「みなおり」
 染川皆子さんが生み出した手織物で、商標登録されている。
 素材は大島紬と同じ絹糸だが、織り方は大島紬とは異なり、泥染めや草木染めを施し、5本以上より合わせて丁寧に織り上げられる。
 従来の織り機の踏み木は2本だが、4本の踏み木に改良、開発したことにより、多様な模様を表現できるようになった。独特の風合いや、しっかりとした手触り、立体感も特徴。
 参考画像は、下の「※6」をご覧ください。
(参考)
・ 「◆◆いらっしゃいませ!◆◆♪奄美の心『みなおり手織工芸』のお店 です♪」(奄美市場どっと混む!)
・ 「奄美紬未来」(奄美まるごと情報局
・ 「【とつぜん企業訪問】~奄美紬未来~」(奄美産業活性化協議会 2013/12/9
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※6:「わざわざ私たちのために織ってくださった布がこれです。こうして祭壇に飾りますね」
そのときの様子です。
 「わざわざ私たちのために織ってくださった布がこれです」 (アップ) 「こうして祭壇に飾りますね」
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※7:「第2朗読」
この日の第2朗読箇所は、以下のとおり。
 ヘブライ人への手紙11章1~2節、8~19節、または11章1~2節、8~12節
  〈小見出し:「信仰」11章1~40節から抜粋〉
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※8:「答唱詩編」(既出)
 主日と祝日のミサでは、第1朗読(通常、旧約聖書)、第2朗読(通常、使徒の書簡)、福音朗読(福音書)の、3回聖書が朗読される。
 第1朗読の後、一同は少しの間、その神の言葉を味わい、その後に、「答唱詩編」が唱えられる。これは、歌われる場合が多いが、朗読される場合もある。本来、答唱詩編は詩編による黙想なので、歌われる詩編は第1朗読にあわせて選ばれ、朗読された神の言葉を味わうことができるように工夫されている。
 詩編本文と答唱句から構成されていて、詩編本文は先唱者が、答唱句は会衆全員が、それぞれ交互に歌うことが勧められている。それによって、互いに聴き、互いに祈るためのものであるということを忘れないようにする。
(参考)
・ 「ミサ司式第」(2006年『ともにささげるミサ 改訂版』) 
・ 「ミサ司式第」(「ミサ」 ウィキペディア)
・ 「(8)答唱詩編」(カトリック田園調布教会) ほか
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2016年8月7日 (日) 録音/2016年8月26日掲載
Special thanks☆Fくん(録音)、I くん(写真撮影)
Copyright(C)晴佐久昌英