よかったねぇぇぇ!

【カトリック浅草教会】

2017年4月16日 復活の主日
・ 第1朗読:使徒たちの宣教(使徒10・34a、37-43)
・ 第2朗読:使徒パウロのコロサイの教会への手紙(コロサイ3・1-4)
・ 福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ20・1-9)

【晴佐久神父様 説教】

(福音朗読は、ニャー助祭によって、日本語とベトナム語で行われた。その後、晴佐久神父の説教)
 説教は日本語だけです。(笑) ・・・すいません。
 ま、でも今、ベトナム語の聖書朗読を聴きながら、・・・ふと脳裏をよぎったイメージ。
 「今日、復活祭に、全世界で福音書が読まれてるんだなあ・・・。この日、何カ国語で復活の喜びが伝えられてるんだろう・・・」
 今、つくづくと、そう感じておりました。時差がありますからね、今ごろ、アメリカのロサンゼルスあたりでは、復活徹夜祭じゃないですかねえ(※1)。日本は一番早いでしょ。もう、復活祭の日中のミサをやってますけど。アメリカでも、まさに今、洗礼式が行われてるんでしょうねえ。

 そうなんです。全世界で、この二千年間、あらゆる国の言葉で、
 「神は愛だ」、
 「私たちの命は永遠だ」、
 「イエスの復活によって、あらゆる闇は光に変わる」と、
 そう福音が語られてきました。福音を信じた人たちが洗礼を受けてきました。昨夜の復活徹夜祭では、上野教会で洗礼式が行われましたし、今日は、このカトリック浅草教会の復活祭のミサで、9人の方が洗礼をお受けになります。
 ・・・これは神のみわざ。人間のやってることじゃない。
 これが希望ですよね。これが安心ですよね。人のやってることは、いいかげんですから。人のやってることは、すぐ終わっちゃうし、人のやってることは、コロコロ変わっちゃうし。・・・しかし、神のみわざは永遠。この二千年間、全世界であらゆる民族が、その永遠に変わらないものを信じて、共にこの復活祭をお祝いし、洗礼の秘跡(※2)を授かってまいりました。

 復活祭。この日の、この恵みを、9人の皆さんには深く味わってもらいたい。皆さんの人生の中で、最も大切な日だからです。もちろん、この世に生まれてきた日も尊い日ですけれども、「洗礼式」っていうのは、「永遠なる神さまの世界に、もう生まれたも同然」っていう、その意味では、皆さんの人生の中で、最もかけがえのない日です。
 今日、「2017年4月16日」という日付を、生涯、決して忘れないでください。自分の誕生日は覚えているでしょう? 自分がこの世に生まれた日付を知らないって人は、まずいない。パーティー開いたり、ケーキ食べたりしますでしょ? でも、来年からは、この「4月16日」という日が、この世での誕生日よりもさらに尊い、記念すべき喜びの日になります。忘れずに、ちゃんと毎年お祝いしていただきたい。
 そう言われて、先輩の信者さんで、今、ドキッとしている人、いるんじゃないですか? 「・・・私の受洗日、いつだったかしら?」って。(笑) ちゃ~んと調べて、ねっ、来年からはお祝いしましょう。もし復活祭の受洗でしたら、ちょうど今頃ですから、ああ、昨日だった、明日だった、なんて人もいるんじゃないですか? ちゃんと覚えて、毎年お祝いしてくださいね。
 この二千年間、そうして、全世界が復活祭をお祝いし、洗礼式をお祝いしてきました。
 「死から命へ」
 「あらゆる苦しみが、喜びに変わる」
 「神の愛を信じる者は、新たに生まれて永遠に生きる」
 これを信じて生きている私たちが、ど・れ・ほ・ど幸いかということを、私はつくづく思うし、今からその信仰に入ってこられる目の前の9人の方に、私は今、本当に心から、「おめでとう!」と、そう申し上げたい。
 洗礼志願式のときも、つくづくと思いましたけど、目の前に並んでいる、この9人のお一人おひとりを見ると、最初に会ったころのことを思い起こします。
 こ~んな明るい顔じゃなかったですよ、皆さん。迷っていたし、恐れていたし、苦しんでいました。生きていくのがつらいという方もいた。しかし、神さまは、今日、ご自分が愛であること、命は永遠であること、生きていくことは本当に素晴らしいんだということを、この「洗礼」という大変美しいしるしで、私たちに見せてくださる。そのしるしを、これから、とくと見ようじゃないですか、みんなで。
 ・・・神の愛のしるし、洗礼。なんという恵みか!

 洗礼とは、「父と子と聖霊の交わりのなかに入る」という恵みです。この、父と子と聖霊の恵みについて、入門講座でずっとお話ししてきましたけど、その恵みを確かにいただく今日、おさらいをしましょう。
 まず、「父」について。
 まことの親である天の父が、皆さんを望んで生み、選んで導き、今日ここに、洗礼を授けるために集めてくださいました。皆さんが、洗礼を「受ける」んじゃないんです。父である神が、「授ける」んです。自分で自分を救うことはできません。救うのは、神です。
 もはや、自分の力で、何かを「している」という気持ちにならないでください。大船に乗った気持ちで、神さまの親心にすべてをゆだねて、生涯最高の安心を、今日、これから、洗礼というしるしによって味わってほしいのです。まことの親に守られているなら、たとえ何もできなくても、「絶対に大丈夫だ、救われているんだ」という安心です。
 世の中は不安なことばっかりじゃないですか。昨日は、いろいろ心配されてましたけど、お隣の国から、ミサイル、飛んで来なかったですね。取りあえずは、ああよかったと思いますけど、人生は怖いことばっかり。そんな現実の中で、この9人の皆さんは、今日、天の父の永遠の愛に包まれて、「人生で最も安心な瞬間」というのを体験するんです。これからは、もう何も恐れることなく、天の父に導かれて光の中を歩んでいく、その第一歩を踏み出すんです。

 「子」について言えば、子って、イエスさまのことですね。まことの親が、私たちにご自分の愛を直接現し、直接触れてくださるために、イエスさまを送ってくださいました。イエスさまに触れることは、神さまに触れることなんです。
 「洗礼で、イエスさまと一つになるんだよ」と、お話ししてきたはずです。・・・洗礼式は、いうなれば、初聖体(※3)でもありますから。今日は、パンとぶどう酒を両方、お授けしますよ。「神の愛」そのもの、「キリストの体」そのもの、「聖なる霊の命」そのもの、その恵みが、皆さんの口に入り、皆さんの魂に入って、皆さんの人生が、父と子と聖霊の恵みの中に入っていく。・・・ご聖体の神秘です。
 今日、ようやく、秘跡の恵みに直接触れます。志願者の皆さんは、ご聖体を、ずっと、「いいなあ~」と思って見てきたんでしょ? 「いつか、あれを食べるぞ!」と。「いつか、神さまの愛を頂くぞ!」と。今日、神さまが、この「2017年4月16日」という日を特別に選んで、この9人を特別に導いて、ご自分のいのちを、キリストの恵みによって与えてくださる。
 今から、その恵みの瞬間が実現いたします。
 ・・・なんだか、引っ張るねえ。(笑) もう、説教やめて、さっさと授けりゃいいのに。(笑) ただ、私は、言いたいんです。水をかけられ、神の愛を食べて、イエスと一つになることが、どれほど尊いことかっていうことをね、言いたいんですよ。強調したいんですよ。
 私は、洗礼を授けることに、ホントに真心こめて、司祭生活30年、奉仕してきましたけど、洗礼を受けてイエスと結ばれた者が、自分の救いに目覚め、自分の価値に目覚め、「自分が生きていることは尊いんだ」「自分が死んでいくことすら、実は誕生なんだ」ということに目覚めて、その後、どれほど幸いな日々を送っていくかを、ずっと見てまいりました。
 だから、それをまだ自分のこととしては分かっていない皆さんに、もう、ホント、ただただ、言いたいんです。
 「よかったねぇぇぇ~!😭」って。
 ・・・その、なんでしょうね、当選番号を知ってる人が、「あなたが持ってるその宝くじ、当たってるよ」って教えてあげたい、みたいな、(笑) ・・・つまんないたとえですねえ。(笑) そんなどころじゃない、もう、・・・なんでしょう、ともかく、皆さんはまだ知らないけれども、とてつもない喜びが、恵みが、皆さんを確かに待っていることを、私は知っているのです。洗礼を受けることができて、本当によかった。みんな、やがて天国に生まれて行ったときには、天国の先取りであるこの洗礼によって、生きている間、自分がどれほど輝いていたかを知ることになるでしょう。

 「聖霊」は、父の親心、イエスを満たし、私たちを結ぶ、一致の霊です。
 「皆さんは、神と結ばれ、キリストの家族と結ばれるんですよ」と、お話ししてまいりました。バラバラはいけません。霊によっていつも一つになりましょう。この9人は同級生ですから、もうすっかり仲良くなりましたけど、さらに、ホントの「家族」になっていってください。血よりも濃い、霊による家族になり、さらには「浅草教会」という教会家族の中に入り、さらには全世界のキリスト者と一つの家族になり、さらには全人類と「神の子」として一つになる。そんな一致の恵みを、この洗礼によって受けるのです。・・・こんなに幸いな、安心なことはない。
 もう、全世界の教会が、皆さんの「家」になるんです。
 まあ一応は、「浅草教会」にね、籍は置きますけど、カトリック信者は、いったん洗礼を受けたら、全世界の教会が、「わが家」になるんです。聖霊の働きに満ち満ちた、全世界の教会の集いが、「わが家族」なんです。こんな安心、喜び、ないですよ。
 覚えておいてくださいね。「カトリックカードを手にしたら、全世界のカトリックATM、どこからでも秘跡を受けられる」って。(笑) 海外でも、どこでだって、ミサに出られるんですよ。聖体拝領のとき、手を出せば、「君は信者か?」なんて言われませんから。キリストの体を、神の愛そのものである秘跡の恵みを、私たちは生涯、いつでも、どこでも、頂くことができるようになる。その特権を忘れずに、特に、毎日曜日にはわが家に帰るっていう思いで、どこの教会でもいいから、ミサに帰って来てくださいね。
 私は、この、「父と子と聖霊のみ名によって」、洗礼をお授けします。
 生涯、この、「父と子と聖霊の交わり」から離れないでください。

 皆さんお一人おひとりが、このキリストの教会にやって来た、それはもちろん、本人が救いを求めてですけれども、私に言わせれば、神さまが、皆さんを通して、ご自分の愛を表そうとしているっていうことなんです。私の目には、神さまが、今、皆さん一人ひとりの存在を通して、ご自分の限りない愛を見せようとしているように見えるのです。神ご自身が、キリストの教会の素晴らしさを見せてくださっている。今日、この、「カトリック浅草教会」という、この素晴らしい集いが、どれほど世界の中で輝いているか。そして、この素晴らしい集いが、これから、どれほど大勢のつらい思いをしている人たちを救っていくか。洗礼式って、そのような神のわざのしるしなんですよ。
 いい加減な気持ちで洗礼を受ける人は、この9人の中には一人もいません。みんな、必死に救いを求めてきて、精いっぱい悩んできた人たちです。神さまは、そんな一人ひとりを、なぜその人かはともかく、確かに選んでくださった。この人を通して、ご自分の愛を表そうと選んでくださった。神が選んだんだから、間違いはありません。あとはもう、カトリックカードをしっかり握って、堂々と、「ここから先は、神が働く」と信じて出発していただきたい。
 何もできなくっても大丈夫です。その人が「何をする」とか、「何を言う」とかいう以前に、「洗礼を受けた者」として、その人がそこにいるだけで、皆さんはもはや、神さまの働きの一部になるんです。神の導きによって、「えっ? なぜ私がここにいるの?」っていうような現場に、神さまが遣わしますよ。・・・でも、恐れてはいけません。そこに、洗礼を受けた人がいれば、何かが変わるんです。そこに、「どうしてもその人でなければならない」という人を、神は送り込むんです。
 私の父は50歳で死んじゃいましたけど、いつも、満員電車に揺られて、立川から江東区までね、1時間以上かけて通勤してました。満員電車の中、ポケットの中で、ロザリオ握りしめてお祈りしながら、「この電車の中に信じて祈る私がいるだけで、この電車は祝福された電車になる」って、「そう思って祈ってる」って、言ってましたよ。
 カトリック信者、キリスト者、洗礼を受けた者。・・・神さまの愛の、目に見えるしるしとなる者。
 この9人を通してね、神さまが、これからどれほど素晴らしいみわざを行うかと思うと、私はもう、感動しますし、感謝以外の言葉もない。
 とりわけ、9人の中には、先週、大きな手術なさった方もおられて・・・。大変な思いをしました。全身麻酔ですもんね。なんとか洗礼式に間に合って出てこられましたけど、どれほど痛い思いをしたか、どれほど心配したか。・・・でも、神さまは、ぜんぶご存じですよ。そして、神さまは、そんなあなたを選び、その弱い体、不安な心、それをご自分のものとなさって、今日、これから、洗礼の秘跡を授けてくださいます。

 さあ、これから、「信じます」と答えていただきますよ。
 生涯で、皆さんが口にする最も尊いひと言です。
 ・・・「信じます!」
 その言葉によって、この世界が救われていくんです。
 いつでもどこでも、9人の皆さんは、「私は信じてるんです!」と、そう宣言してくださいね。ホントに、それを求めている大勢の人が、皆さんが遣わされてくるのを待っております。

 ・・・じゃあ、もう引っ張るのやめて、(笑) お水をかけることにいたしましょう。
 これから呼名(こめい)しますけれど、それは、神さまが皆さんのお名前を呼んでるってことですから、「神のみ前に進み出る」という思いで、すべてを受け入れますという思いで、はっきりとお返事をしてください。
 「はい!」と。
 それでは、今から名前を呼ばれた方は、前に出てください。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます。)

※1:「今ごろ、アメリカのロサンゼルスあたりでは、復活徹夜祭じゃないですかねえ」
 アメリカのロサンゼルス(現在サマータイム中)との時差は16時間で、日本のほうが16時間進んでいる。
 このミサのあった時刻、2017年4月16日(復活の主日)10時ごろは、ロサンゼルスでは、4月15日(聖土曜日/復活の聖なる徹夜祭)の18時ごろになるので、ちょうどそのころ、復活徹夜祭のミサが行われると考えられる。
(参考)
・ 「アメリカ/ロサンゼルスの時差と現在時刻世界時計-世界の時間と時差
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※2:「秘跡」(過去多数掲載)
以下に、何通りかの説明を載せておきます。ピンとくる説明からどうぞ。
*****
・ 諸秘跡はキリストによって制定され、教会にゆだねられた、恵みを実際にもたらす
感覚的しるしです。これによって神のいのちが私たちに豊かに注がれます。秘跡は7つあります。すなわち、洗礼堅信聖体ゆるし病者の塗油叙階結婚です。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』#224、カトリック中央協議会、2010年/赤字引用者)
*****
・ いやし、ゆるし、養い、強めてくださる「神の存在」という目に見えない現実が、キリストによって
目に見える聖なるしるし(秘跡)として制定された。この「秘跡」において働く神の恵みによって、キリスト者は愛し、神の現存を体験することができるようになる。(『YOUCAT』p.105、カトリック中央協議会、2013/赤字引用者)
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 ・ 秘跡という言葉を簡潔に定義すれば、「①
見えない恩恵の賜物が、②経験可能なしるしを通して、③確実に与えられること」と言えます。(「入門講座(15) 秘跡とは何か?」:片柳神父のブログ「道の途中で」より/赤字引用者)
*****
・ キリストは、神の恵みを人々にお与えになるために、「秘跡」をお定めになりました。
秘跡とは、
目に見えない神の恵みを示し、それを与える「しるし=一定の儀式」です。このしるしを通じて、イエス・キリストは神の恵み、神のいのちを人の心にお授けになります。秘跡に関する儀式は、それぞれ秘跡固有の恵みをあらわすと同時に、秘跡を受ける人にその恵みが与えられます。(「秘跡(サクラメント)」:ラウダーテ/赤字引用者)
=====
・ キリストによって制定された新約の「秘跡」は、
①洗礼、②堅信、③聖体、④ゆるし、⑤病者の塗油、⑥叙階、⑦結婚の七つです。
 七つの秘跡は、キリスト者の一生のあらゆる段階と重要な時に
かかわり、キリスト者の信仰のいのちを生み成長させいやし、そのいのちに生命を与えます。(『カトリック教会のカテキズム』#1210、カトリック中央協議会、2002年/赤字引用者)
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※3:「初聖体」再掲
 「聖体」は、カトリック教会の用語で、ミサで聖別されたパンのこと。その形態の中に復活の主キリストが現存すると信じられ、祈りと礼拝の対象とされている。
 「初聖体」は、その「聖体」を初めて拝領する機会のこと。カトリック教会では、ピオ10世が1910年に、子どもの初聖体の年齢を、理性を働かせるよういなる7歳ごろと定めた。83年に公布された教会法では、特に具体的な年齢は定められていない。成人の場合は通常、洗礼式が行われるミサの中で初めて聖体を受ける。
(参考)
・ 「道行く人を救いましょう」(福音の村 2016/5/29説教)の参照※1※4など。
・ 「初聖体」(『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2008)
・ 「聖体」参考画像
Comunin. Ceremonia religiosa. Comulgando. Ritual religioso. Priest during a wedding ceremony/nuptial mass
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2017年4月16日(日) 録音/2017年4月30日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英