もう一度連れて行って

【カトリック上野教会】

2016年6月12日 年間第11主日
・ 第1朗読:サムエル記:(サムエル下12・7-10、13)
・ 第2朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ2・16、19-21)
・ 福音朗読:ルカによる福音(ルカ7・36-8・3、または7・36-50)

【晴佐久神父様 説教】

 昨日、初めての体験をいたしました。
 ・・・「初パンダ」(※1)です。昨日、50年ぶりに上野動物園に行ってきました。小学生のときに行って以来ですから、今回、「初パンダ」だったんです。で、どんなにかわいくて感動するのかと、ワクワクしながら見たんですけど、ちょっとですね、ガッカリしました。
 まあ、確かにかわいいですよ。それはそうなんだけれども、なんだか、ふんぞり返って、大股開いて、ひたすら笹を食べてるわけですね。右の笹をつかんでムシャムシャ食べて、左に捨てて、また次の笹をつかんでムシャムシャ食べて。その姿勢というか、生き方にね、(笑) 「それでいいのか!?」と。(笑)
 で、隣の部屋に進むとね、もう一頭いるんですけど、これが、まったくおんなじ格好で、ふんぞり返って、右の笹をかじっては、左にポン。ホントにおんなじ格好なんです。なんだか、かわいげがないというか、一人っ子で甘やかされて育った太った男の子が、ソファーにふんぞり返って、ポテトチップを食っては袋捨ててるみたいな。(笑)
 まあ、そう思っちゃったのも、たぶん、あれ、人間っぽいからなんでしょうね。なんか、すごくわがままで、「オレはパンダだ。笹食って何が悪い ( ̄^ ̄メ)」みたいな感じに、(笑) 見えちゃったのは、その姿に人間っぽさを読み込んじゃったからでしょうね。
 まあ、動物に罪はありません。罪深い人間が、動物に勝手に「罪深い人間」を読み込んで、「わがままな人」みたいに感じて、イラッときちゃったっていうだけですから。まあ、実際、パンダにはまったく罪はない。ただ、あれ、ホントに人間っぽいもんだから。・・・動物に罪はない。罪があるのは人間だけ。

 昨日、なんで動物園に行ったかっていうと、合宿をしたんです。っていうか、今、合宿中なんです。上野教会を会場にして、昨日からみんな、ここの和室に泊まってます。
 「心の癒やしを求める青年の集い」、通称「ここヤシの集い」ってのを毎月やってるんですけど、これはまあ、心の病を抱えている人、うつ病が主ですけれども、そういう苦しんでる若い人たちに、ちょっとこう、天国的な「教会家族」体験をしてもらって、互いに友達になり、一緒にミサをして祈り合い、神さまから元気を頂こうっていうような、そんな集まりです。
 いつもは日帰りの集いですけど、「たまには合宿しよう!」っていうことで、昨日から集まって、動物園に行って、晩ご飯にカレーを食べて、お風呂屋さんに行って、一泊して、そして朝ご飯食べて、今、このミサに出てるんですね。
 まあ、そういう合宿で、じゃあ、なんで動物園かっていうと、やっぱり、癒やしになるからです。動物って、癒やしになりますでしょ。・・・罪がないから。人間には、罪がある。では、罪とは何か。
 昨日、動物園に出かける前に、この聖堂で、ちょっと、そんなお話しをしてから出掛けました。

 失楽園(※2)の話です。以前にも説教でお話ししたんですけども(※3)、皆さん、「失楽園」の話、ご存じでしょ。楽園のアダムとイブが、食べちゃいけないという木の実を食べて、楽園から追い出されたっていう、あのお話です。
 だけど、あのお話で、み~んな勘違いしてるのは、「食べちゃいけない木の実を食べたのが罪だ」と思ってる。でも、あれはね、「罪」ではないんですよ。いうなれば、あれは「(あやま)ち」です。・・・「失敗」ですね。「罪」っていうほどじゃない。
 まあ、おいしそうな木の実をついつい食べちゃったわけだけど、そもそも、この二人、まだ出来たての人間で、とても幼いわけです。「ついつい、そんなことしちゃうのも当然」みたいなとこがあるわけでしょ。だからこれ、本来なら、神さまが、
 「誰だ、これ食べたのは」って言ったら、
 「ごめんなさ~い。おいしそうだったから、食べちゃいました」
 「ダメじゃないか! あれほど言ったのに、まったく。もう食べちゃダメだぞ」
 「は~い!」
 それで済む話なんですよ。
 過ち、失敗、誰にでもある。で、「ダメじゃないか。気をつけるんだよ」と。・・・それだけの話だったはずです。
 ・・・じゃあ、何が罪か。
 食べた(あと)で、アダムとイブは、木の陰に隠れるんです(cf.創3:8)。創世記によれば、神さまの足音が聞こえて、木の陰に隠れる。「主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた」(cf.創3:8)と。・・・神さまと顔を合わせられない。
 「自分は悪い子だ」
 「叱られる」
 「裁かれる」
 「責められる」
 「ゆるされない」
 「こんな自分はダメな子だ」
 「こんな私は嫌われて、捨てられるんじゃないか」
 ・・・そう恐れて、「主なる神のみ顔を避けて」、彼は隠れます。
 でも、神さまにしてみれば、愛するわが子が見当たらないわけですから、「お~い、アダム、どこにいる?」って探すんですね(cf.創3:9)
 すると、アダムが木の後ろから応える。
 「あなたの足音が聞こえたので、怖くなって、隠れています」(cf.創3:10)
 ・・・これを、「罪」っていうんですよ。お分かりになります? 「失敗したこと」は、罪じゃない。
 「失敗したことはゆるされない」と思い込むことが罪。
 「失敗したこんな私はダメな自分だ」と思い込むことが罪。
 「神さまは怖いお方だ。こんな私を神さまは裁く」と、そう思い込んでいることが罪。
 親にしてみたら、わが子がね、「ぼくは絶対ゆるされない!」なんて思って隠れちゃったら、「なにバカなこと言ってんの! ゆるすに決まってるでしょ!」って言うのが当然。なのに人間は、「自分がこのままじゃ愛されない」って思い込んじゃった。「自分が裸であることに気づいた」っていうのはそのことです。「そんな自分は隠さなきゃならない」、そう思い込んだまま、人間は今日も生きている。
 これを「失楽園」っていうんです。

 われわれは、楽園に戻るべきです。
 素っ裸のままでも神に愛されている楽園に戻るべきです。
 神は完全なる愛であり、「すべての人を」ゆるします。「あらゆる罪から」人類を回復させます。・・・そうして、神さまのみ心のままに、新しい世界をおつくりになります。それを信じて、真の自由を生きること、それが、「楽園に戻る」ってことでしょう。・・・「楽園」っていったって、場所の話じゃないんだから。
 ぼくらの、自分を責める心、「こんな私はダメだ」と思い込む、その「恐れ」から解放されること、その自由こそが楽園です。その楽園にもう一度連れていくために、イエスさまが来られたんです。
 イエスさまが教えてくれたのは、
 「あなたたちは、どんなに失敗しても愛されている。ゆるされている。もうだいじょうぶだ。あなたが信じるなら、あなた自身が楽園に変わるよ」
 ・・・そういうことでしょ。
 「神の国は、もう来ている」っていう、その福音こそは、失楽園している私たちにとって、最も必要なメッセージだった。イエスさまの、その福音を聴いて救われた者は、ホントにその場で感動し、楽園の安心を取り戻して、涙があふれてきた。
 ・・・この罪の女なんて、それで泣いてるんですね(※4)。イエスさまが、そういう福音を語ったのを聞いたんでしょう。聖書にはそこまで詳しく書いてないけど、彼女はその説教、その福音を聴いて、救われたんです。「罪深い女」とありますが、・・・まあ、人々から、「罪深い」って呼ばれてるんだから、みんなから(さげす)まれ、軽蔑され、自分でも自分を蔑み、軽蔑していた、そういう女性でしょう。
 「こんな私はゆるされない」「罪深い私は救われない」と思ってた。
 ・・・これ、()()に隠れているアダム状態ですね。神さまが怖い。人々が怖い。
 でも、そこへイエスさまが来られて、
 「だいじょうぶだよ。あなたは神に愛されているよ。ゆるされてるよ」と言う。「パパは怒ってないから、安心して出てらっしゃい」ってママが迎えに来るみたいに。
 それを聞いて、この女がどれほど喜んだか、分かります? そのひと言で、まったく新しい人生が始まったことでしょう。イエスの福音を聴いて、「そうなのか! そういうお方が天の父なのか!」って、もう、うれしくって感動して、なんとかイエスさまに、その思いを、感謝を、表したい。そういう気持ち、分かりますよね。「救われた!」って思った人は、晴佐久神父になんかにだって、・・・先週、手紙読みましたでしょ?(※5) もう、ホントに真摯な、胸に迫るお手紙を書いてきますよ。もう、なんとか、そのお礼を言いたい。
 で、ファリサイ派の家に、イエスさまがおられると聞いて、もう、取る物も取りあえず、最も高価な香油を持ってやって来て、イエスさまを見た途端に涙があふれて、ぽろぽろ泣きながらイエスさまの足を、涙でぬらして、拭いて、接吻して、香油を塗って・・・ってもう、他にすること、ないんですよ。どう表現していいか分からない。(cf.ルカ7:37‐38)
 ・・・その熱~い思いは、イエスさまに伝わる。
 でも、「神は罪びとをゆるさない」と思い込んでるファリサイ派の人には分からない。ファリサイ派の人にとっては、この「罪の女」がゆるされるなんてことは、あり得ない。この「罪の女」が律法を守って、ちゃんと正しく生きない限り、ゆるされないって思ってるファリサイ派の人には、もう、分からないんですよ、そういうことが。「なんで泣いてんだろう」「なんで高い油を注いでんだろう」くらいにしか思えない。
 まさに、ファリサイ派の人たちが罪の状態にあり、この「罪の女」は罪から解放されて、神の愛の中で、感動の、安心の涙を流している状態、それが今日のこの聖書の箇所 (ルカ7:36‐50)。
 イエスさまは、「ゆるし」として来られて、「ゆるし」として、私たちに宿ってくださった。・・・もう、そこに楽園が始まるんです。

 失楽園の話を、なんで動物園に行く前にしたか。・・・動物たちは、失楽園、してないんですよ。
 あの人たち、・・・っていうか、あの方たちは、(笑) 楽園の住人なんですね。人間だってそうだったんですよ。幸せに、みんな一緒に暮らしてたっていうのに、人間の中に「恐れ」が入る。
 「自分は罪びとだからゆるされない」「神に裁かれて滅びる」「こんな自分はダメだ」っていう恐れが入った。その恐れが、「失楽園」なんです。
 動物たちには、恐れがないですよ。パンダなんか、自分のことを、なんにも悪いと思ってない。もう、堂々たるもんですよ。まあ、「本能のまま」といえば、そうかもしれないけれども、うらやましくもある。・・・「楽園」って、そういうことです。な~んの心配もない。人間だけが恐れて、自分を責め始めたんです。
 だから、もう一度楽園に戻るために、「動物たちにちょっと手伝ってもらいましょ♪」みたいな感じで、動物園です。彼らはホントに、人を癒やします。ペットと一緒にいる人は分かりますでしょ? もう、楽園から来た天使みたいなもんじゃないですか。つぶらな瞳でね、飼い主の汚い心を、(笑) 癒してくれる。飼い主の利己主義な、恐れている、それゆえに地獄を生きている心を、あの天使たちはね、「ク~ンク~ン」なんて言いながらね、癒やしてくれるわけでしょ。彼らには罪がないから。彼らは恐れない。神さまの愛の中、そのまんまを生きている。
 私たちも、やがて、その愛の中に、戻っていかなければなりません。神さまは、そのためにイエスさまを送ってくださった。親心を伝えるために。「いやいや、私、怒ってないよ」「愛してるんだよ」と、なんとか伝えようとするわけでしょ。怯えて隠れている子どもに、お母さんが、「お父さん、もう怒ってないわよ。だいじょうぶよ、さあ、いらっしゃい ^^」って手を伸ばすように、イエスさまが手を伸ばしてくれたんです。だから、そのイエスさまを信じなかったら、まあ、いつまでも、ぼくらは恐れたまんま。
 死んでから行くとこじゃないですね、「地獄」。恐れている状態が、神から離れている罪の状態。
 ・・・信じて、恐れから解放されて、安心しましょうよ。
 その愛を信じたら、イエスさまがこう言う。
 「あなたの信仰があなたを救った」
 さっき「罪の女」にも言いましたでしょう? ・・・「あなたの信仰があなたを救った」 (ルカ7:50)
 だって、もう救いは来てるんだもん。神は裁いていません。神は私たちを愛しているし、生かしている。
 自分で自分を裁いている私たちが、「もう、そういう裁きは止めよう」「神さまの愛に信頼しよう」と、そう信じたときに、私たちは楽園に帰ることができるんです。
 ひどい世の中です。「こんな世の中だいじょうぶかな・・・」って思いますけれども、われわれは、こういう状態の中でこそ、自分勝手な人間の群れの中でこそ、「神の愛を信じる」仲間として、きらきら輝きたい。合宿中の「ここヤシ」の仲間たち、昨日は動物たちに癒やされましたでしょ? 自分も「ホントに楽園に帰れるんだ」「イエスさまが連れて行ってくれるんだ」って信じて、安心してください。私たちは楽園に戻れるんです。その希望を新たにしてほしい。

「SEKAI NO OWARI」(※6)っていうロックバンド、ご存じですか?
 私、大好きなんですけど、この前、そのコンサートに行ってきたんですよ。「SEKAI NO OWARI」って、変な名前のバンドって思うかもしれないけど、リーダーの言葉によれば、「自分の実感としても、なんか、世界の終わりみたいな世の中を生きている。でも、そこから新たに始めよう」みたいな気持ちで、「SEKAI NO OWARI」(世界の終わり)っていう。・・・まあ、「終末論」ですよね、キリスト教でいえば。
 でも、キリスト教の「終末論」っていうのは、「終わる」っていう意味じゃないですよ、実は。キリスト教の「終末」は「完成」のときですね。世界は「終わり」でも、それはついに楽園に「帰る」とき、楽園がついに「完成する」時ですから、そういう意味では、「終わり」であり、「始まり」なんですけどね。
 私の友人で、心の病に苦しんでる青年が、この「SEKAI NO OWARI」の大ファンで、苦しんでいるときによくその曲を聴いていて、コンサートに行きたいって言ってたんですよ。だから、いつか連れてってあげたいって思ってたんだけど、まあ、チケットがなかなか当たらない。それが、ようやく当たったんですね、この前。だから私、「あいつ喜ぶぞ~♪ 誘って一緒に行こう♪♪」って思ったんだけど、いつもの「サプライズ(ぐせ)」っていうのがあって、驚かせようって思って、「たまには一緒にメシでも食いに行こうよ」って誘いました。・・・コンサートのあるホールの近くのお店にね。
 で、ホールの近くまで行ったら、人がガヤガヤいるわけでしょ。
 「あれ、今日何かコンサート、あるのかな?」ってぼくが言うと、
 「誰だろう?」って彼も分からない。
 「だいたい年齢層見れば、どんな人だか分かるよ」って、とぼけて言ったら、たまたまオバサマがたが周りにいて、その彼が、
 「氷川きよしかな?」って。(笑)
 だけど、もうちょっと行くと、今度は若い人がいっぱいいて、
 「今日、誰のコンサートなんですか?」って聞いたら、
 「SEKAI NO OWARI!」
 「え~!? いいなあ~!」って言う、その彼にですね、
 「じゃあ、記念に外の売店でTシャツでも買って帰ろう。このお財布の中にお金があるから、プレゼントしてあげるよ」って、ドラえもんのお財布を渡しました。
 彼が、ドラえもんのお財布を開けると、…チケットが出てくるんですよ~♪(笑)
 ま~あ、驚いてましたよ。
 「ウソでしょ? ウソでしょ? これ、本物? これ本物?」って言ってね~。
 ・・・しかも、アリーナスタンディングのチケット(※7)
 コンサートが始まって、本人も感動して聴いてましたけど、私も感動しちゃいましたよ。彼が苦しいとき、よくこの曲を聴いてたなあって、思い出しましたから。特に2曲目に歌った、「スターライトパレード」(※8)っていう、初期の名曲があるんです。これはね、彼が一番つらいときに、よく聴いていたのを知ってたし、私、聴きながら、思いました。「つらいことはあっても、やがていいときも来るんだよ。世界は苦しんでるけど、よい方向に向かって、この世界は動いてるんだよ・・・」と。彼に、それを信じてほしかったんです。
 つらいこともあるけど、突然いいことも起こる。・・・そう、突然、いいことが起こる。神さまのサプライズで、世界が変えられていく。
 「スターライトパレード」に泣かされましたけど、これね、コンサートの終わりに、アンコールがあるでしょ。で、普通は、それを待つ間、拍手したりして待つんでしょうけど、この「セカオワ」のコンサートでは、お約束があって、ファンがみんなで、この「スターライトパレード」を歌い続けるんです。さびのところを、繰り返し、繰り返し。
 「Welcome to the “STARLIGHT PARADE”」
 「星が降る眠れない夜に もう一度連れて行ってあの世界へ」
 このフレーズをね、ず~っと繰り返す。たぶん50回くらい繰り返してたと思うよ。・・・なかなか出て来ないからね、アンコール始まるまで。
 「星が降る眠れない夜に もう一度連れて行ってあの世界へ」
 「もう一度連れて行ってあの世界へ」
 ・・・って、全員で歌い続けてるんですよ。
 それを聞きながら私ね、思ってたんです。みんな、何を思って、「あの世界」って歌っているのか、「もう一度連れて行って」っていう思いがね、どこから来るのか。・・・私、ステージに上がって、マイク握りたかったですよ。(笑)
 「『あの世界』に、『もう一度連れて行って』くれる人、知ってますよ!」と、(笑)
 つらい人生の中、ひと時のコンサートは幸せかもしれないけれど、やがてコンサートが終わって、現実に戻ったときに寒々しい思いになるのだとしたら、「もう一度」行くべき世界を私は教えたい。「あの世界」という、その世界のことを教えたいし、「連れて行って」くれる人を教えたい。
 私たちは、繰り返し、繰り返し歌います、「もう一度連れて行ってあの世界へ」と。そして、その世界があることを「信じます!」と宣言いたします。
 すると、イエスさまが言ってくださるんですよ。
 「あなたの信仰があなたを救った」
 ・・・天国が開ける瞬間です。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「初パンダ」
 ジャイアントパンダが日本に初めてやって来たのは1972年(昭和47年)。日中国交正常化を記念して、ジャイアントパンダのカンカン(康康)とランラン(蘭蘭)が、中国政府から贈られた。受け入れ先は、東京の上野動物園。一般公開がスタートした初日だけで5万6千人が詰め掛け、パンダを見ることができたのは1万8千人。しかも3時間待ちで、わずか30秒しか見ることができなかった。その後もパンダブームが続き、上野動物園の年間入園者も700万人を超える年が続いた。
(参考)
・ 「上野動物園の歴史」(上野動物園
・ 「UENO-PANDA.JP」(上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト)
・ 「写真と映像でつづる上野動物園のパンダ史」(NAVER まとめ)
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※2:「失楽園」(既出)
◎失楽園 [英]Paradise Lost
 人類の始祖アダムとエバ(英語:Eve/「イブ」とも表記)(ヘブライ語:hawwāh/ハヴァ)が蛇にそそのかされて「善悪を知る木」の実を食べたために、エデンの園を追放される創世記2~3章の物語(エゼ28:12-19に類似の伝承)。
 この物語は広く人類の堕罪物語として読まれ、原罪の教理がここから導き出されてきた。(エズラ7:118;ロマ5:12他)。しかし物語は「罪」という語を用いてはいない。この「失楽園」においては、さまざまな考察がなされている。
(参考)
・ 「失楽園」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008)ほか
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※3:「何度か説教でもお話ししたんですけども」
(参考)
ここ数年では、以下をご覧ください。
・ 「本来の楽園の高次の回復 > 3段落目(この辺)から(「福音の村」:2016/4/24説教)
・ 「呼んで呼ばれて、親子になる >終わりから2段落目(この辺)から(「福音の村」:2015/10/25説教)
・ 「事件はもう解決済み > 4段落目(この辺)から(「福音の村」:2015/10/18説教)
・ 「神さまと懐かしく交わる > 2段落目(この辺)から(「福音の村」:2015/10/4説教)
・ 「復活の二十六つ子 > 終わりから2段落目(この辺)から(「福音の村」:2015/4/12説教)
・ 「かわいいね~、いい子だね~ >終わりから3段落目(この辺)から(「福音の村」:2015/1/11説教)
・ 「教会ばっかり! > 3段落目(この辺の少し後)から(「福音の村」:2014/9/21説教)
・ 「天国での最初のひと息 > 2段落目(この辺)から(「福音の村」:2014/5/18説教)
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※4:「この罪の女なんて、そういうわけですよね」
 「この罪の女」というのは、この日2016年6月12日(年間第11主日)の福音朗読箇所に登場する。
 ルカ7章36~50節の「罪深い女」といわれている女性のこと。
  この日の福音朗読箇所は、以下のとおり。
   ルカによる福音書7章36~8章3節、または7章36~50節
    〈小見出し:7章36~50節「罪深い女を赦す」、8章1~3節「婦人たち、奉仕する」〉
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※5:「先週、手紙読みましたでしょ?」
(参考箇所)
・ 「なんとかしてあげたい!」(「福音の村」:2016/6/5説教)>> 6段落目(説教中盤)から
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※6:「SEKAI NO OWARI」
◎SEKAI NO OWARI  / 略称:セカオワ
 2010年にインディーズデビューし、2011年にメジャーデビューした日本のロックバンド。1985年、1986年生まれの4人組。2011年に、バンド名を「世界の終わり」から「SEKAI NO OWARI」に改めた。2013年からは、海外での活動にも力を入れている。チャリティー活動にも積極的。
 2014年からは、NHKの紅白歌合戦に3年連続で出場している。
 公演では多数の動員数を誇り、映画の主題歌も提供。現在、勢いのあるバンドといえる。
(参考)
・ 「SEKAI NO OWARI」(ウィキペディア)
・ 「SEKAI NO OWARI」(オフィシャルサイト)
・ 「SEKAI NO OWARI」(TOY’S FACTORY/所属アーティスト情報)
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※7:「アリーナスタンディング」
 ライブなどを見る場所で、「アリーナ」は、通常、競技などで使う、中央のフィールド部分にあたり、「スタンディング」というのは、座席はなく、「立って見る」ということ。「アリーナスタンディング」は、ステージのそばになる。
(参考)
・ 「ライブハウスやアリーナって何ぞや?【ライブ会場の種類と席の違い】」(Yahoo!知恵袋)
・ 「初コンサート・ライブに行く前に読んでほしいノート【ホール・アリーナ編】」(Yahoo!知恵袋)
・ 「ライブ初心者の為のチケット・服装・持ち物のお悩み解決!」(ガジェとろ
・ 「初めてのライブ 第3回 チケットの種類と値段」(オトシティ
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※8:「スターライトパレード」
◎スターライトパレード
 歌: SEKAI NO OWARI
 作詞: 深瀬彗(さとし)、作曲: 中島真一
 リリース: 2011年11月23日(メジャー2枚目のシングル)
 レーベル: TOY’S FACTORY
 オリコンチャート最高位: 週間16位
(参考)
(歌詞)「スターライトパレード」(J-Lyric.net)
・ 「SEKAI NO OWARI 『スターライトパレード』 Music Video」(YouTube)
・ 「セカオワ『スターライトパレード』制作秘話~歌詞に隠された深い意味」(Omps!2015/3/12更新
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2016年6月12日 (日) 録音/2016年7月2日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英