仲間たちに救われた

【カトリック上野教会】

2016年9月10日 年間第23主日
・ 第1朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル33・7-9)
・ 第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ13・8-10)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ18・15-20)

【晴佐久神父様 説教】

 聖堂入り口に、写真が飾ってあったの、お気づきになりましたか? 今年の無人島キャンプの集合写真です。撮ったカメラマンの青年が、大きく伸ばしてフレームに入れてくれたんですけど、素晴らしい写真ですよ。ぜひご覧になってください。今年の仲間たちが18名、海をバックに横一列に並んで、幸せそうに、うれしそうに、仲良さそうに、写真に納まっております。・・・いやあ、見ていると、もう何週間か前のことではありますけど、夢のようなあの世界を思い出します。
 昨日は、その打ち上げっていうことで、上野教会にみんな集まって、夜遅くまで騒いでたんですけど、そのまま泊まったのもいて、このミサにも何人か出席しておりますが、チームワークもよくて、本当にいい仲間たちでした。
 あの写真を見ていただければ、分かってもらえると思います。このキャンプの意味というか、なるほど、こういうひとときを作り出すっていうのが、この地上に人が一緒にいるってことの意味なんだなっていうのが一目で分かる、そういう写真です。・・・信じ合える仲間たちの絆、共に生きる信仰の家族の本質が、目に見えるという。

 教会っていうところは、そのような信じ合える仲間たちを育てていくこと、これが使命だと思う。だから、たとえば今日も、こうして敬老の祝福ミサを捧げて、敬老でお祝いされる方々の上に神の祝福を祈っていますけれども、・・・その方々にも、そのような使命があるんですよ、使命が。とりわけ、上の世代には、その次の世代を育てる使命があるはず。「次の世代をちゃんと応援して、互いに出会わせ、結び合わせて、信頼できる仲間にしていく」っていう使命があると思う。
 自分たちは、教会で出会わせてもらい、今まで仲良くやってきましたと、それはいいですよ。でも、それなら、次の世代も同じように、信仰の仲間たちをちゃんと持てるように、お世話をする。それは当然のことですし、またそれは、そんなに無理なことじゃないはずですよ。現に自分たちは、実際にしてもらったんだから。まずは、いろんな工夫をして、さまざまな呼び掛けをして、そして、何よりも祈って忍耐して、次の世代のために奉仕をする。これがやっぱりね、敬老で祝われる者の使命じゃないですか。
 今の若い人たち、孤立していますし、とてもさみしい思いをしているのは事実です。情報はあふれ、スマホは持っているけれど、心通う仲間がいない。現代のように個人主義が極まった世の中だと、仲間がつくりにくいのは、事実です。あらゆる面倒を避けているうちに、形だけ、うわべだけの付き合いになってしまいました。かつてのように、リアルな接触が濃くって、それゆえに傷ついたりぶつかったりしながらも、一緒に成長していくっていうチャンス、経験、そういう土壌が薄れているっていうのは、事実です。だから、仲間もいない、一緒に遊んだり語り合ったりする友達がいないっていう若者が増えている。
 もちろん、友達もたくさんいて充実した人生を送っている人も一定数いるわけですけど、そうすると、そのような人たちに対する羨望(せんぼう)の気持ちとか、どうせ俺なんかは・・・っていうようなひがんだ気持ちとかも出てきますし、嫉妬したり、時には絶望したりってことだってあるんじゃないですか。

 皆さんは、「リア(じゅう)」って言葉、ご存じでしょうか。
 現実のリアルの世界で、仲間もいて、仕事もあって、充実した人生を生きている状態を、「リアルが充実している」っていう意味で、「リア充」って言うんですね。ネットやなんかのバーチャルな世界を中心にして生きている若者たちが、現実の世界で充実している人を特別視するような意味で言い始めた言葉です。
 今ね、そのリア充、すなわち、自分のリアルな人生が、ちゃんと充実してますよっていうことを、主に写真で、バーチャルな世界にアピールするのが流行してるんですよ。インターネットのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に、自分の撮った写真を上げるのが流行(はや)ってるんです。不特定多数に向けてのことも、特定の仲間内のこともあるんですけど、Instagram(インスタグラム)とか、Facebook(フェイスブック)とか、LINE(ライン)とかで、「自分はこんなステキなものを食べました」「こんなステキな仲間たちと一緒にいます」「こんなステキな所に旅行しました」って、いろいろ工夫してステキな写真を撮って、SNSに流すんです。そうするとみんなが、「ああ、それはいいね、よかったね」って思ってくれる。それによって、「自分は充実している、みんなが充実している自分を承認してくれている」って、思いたいんですね。
 だけど、まあ、身もふたもないことを言っちゃえばですよ、他人が幸せなのって、正直言って、そんなに手放しで共感できないじゃないですか。現に、自分だって、他人の幸せに嫉妬したり、それゆえに自分の現実に失望したりするからこそ、ある意味幸せ自慢みたいに写真でアピールするわけでしょう? だったら、相手だって、そんなにそのアピールを純粋に受け止めてないことは、予想できるし、そんなのお互いさまでしょう。他の人が幸せをアピールすればするほど、「ああ、そりゃよかったね」「はいはい、おいしそうですね」と、「どうせ自分は食べれませんよ」っていうような引け目というか、落差を感じちゃって、そういう写真があふれればあふれるほど、相対的な不幸感が世の中にあふれてくるような気がしてしょうがない。
 つい数日前、テレビで見たんですけど、そうしてネットでアピールするステキな写真を撮るために、リア充を演出するための「友達役」を派遣するサービスっていうのがあるんですって。このサービスに電話すると、・・・見も知らぬ、まあ、バイトの人ですけど、一人2時間何千円とかっていうことで、やって来るんです。これは、ファイルで年代や顔、人数を選んで注文するんですけど、たとえば番組で紹介されてたのは、若い女性が、その派遣で来た二人の同年代の女の子と、おしゃれなカフェで一緒にお茶して、テーブルにスイーツ並べて、3人で顔寄せ合って笑顔の写真を撮って、「女子会なう💗」とかって、SNSに上げる。そうすると、そうとは知らない人たちは、それを見て、「ああ、楽しい友達たちと、楽しい時間を過ごしててイイナ」って思ってくれる、と。
 だから、頼む方は、何万円も出してるんですよ、何人も呼ぶから。中にはね、これも若い男性ですけど、他に学生風の男性3人呼んで、4人でキャッチボールしている写真を撮って、ネットに上げて、「同級生、集まりました~✌」とかって。・・・なんか、切ないでしょ。
 私、最初のうちはね、こんなことするなんて、なんて愚かな話だろうって思って見てた。こんなことに何万円も出すなんて・・・って。だって、つくりものだってバレちゃったら、こんなに恥ずかしい、さみしい話、ないじゃないですか。そもそも、リアルでも何でもないわけでしょう? みんなで服を着替えて撮ったりしてるんだもん。「また別の日にも会いました」っていう写真にするために。めちゃめちゃバーチャルじゃないですか。
 いやいや、切ないなあ・・・と思いながら、でも、その番組の後半で、その注文者の心情が語られてたんですね。たとえばさっきのカフェで女子会やってた女性なんかは、子育てが大変で友達にも会えず、おしゃれなカフェにも行けず、お化粧する時間もなく、到底、リア充の写真なんか撮る余裕がないんですよ。で、精神的にも追い詰められて苦しくってね、かつての充実していた時の気持ちを取り戻したいし、もっと、自分は充実していけるんだっていう自信を取り戻したい。そんな気持ちもあって、ほんの2時間、何万円か払って、友達役のバイトに来てもらって、夢のような写真を撮りたいんだ、と。だから、「ああ、こんな気持ち久しぶり!」とかって、うれしそうにしてるし、インタビューに答えて、「リフレッシュして元気が出ました」とかって言ってるんですよ。
 3人の派遣を呼んでキャッチボールの写真を撮った、その彼なんか、「またこの4人で集まりたい」って言ったんですよ、別れ際に。ファイルで指名できますから、「またこの4人で集まりたい」って。もちろん、向こうはバイトだと知りつつも、でも、つかの間でも、仲間と一緒にいる気持ちを味わえたわけですね。実はその彼は、とっても引っ込み思案で口下手なので、友達に会おうよとか、遊ぼうよとか持ち掛けるのが苦手で、しかも忙しいバイトの日々、人間関係が非常に希薄で、うつうつと生きてるっていう彼でした。インタビューで言ってましたよ、「土日がつらい」って。部屋に引きこもって、コンビニ飯を食べてるだけ。
 でも、久しぶりにキャッチボールして、同年代と笑って遊んで、力をもらったんですね。「自分も、もっと、リアルで仲間たちと過ごせるように、チャレンジをしていこうっていう勇気をもらいました。そのきっかけになりました」って言ってた。そこまで見ると、なんか、「切ない」を通り越して、応援したいような気持ちになっちゃったんですよ、「みんな、がんばれ!」と。
 で、ふと思うに、教会なんかは、そんな仲間はいくらでも提供できるわけですよね、しかも、タダで。だから、「ああ、そうか、教会はそのためにあるんだよね」って、素直に思えた。「そうだよね。友達もできず、仲間もいない、自分なんかが生きてるのは何でだろうって思うような、そんな一人の神の子に、信頼できる仲間と出会わせて、リアルの中で共に生きる体験をしてもらうっていう、これは、教会の使命、福音の(かなめ)なんじゃないか」って、つくづくと思った。
 まあ、私は、今までも、そんな使命を果たそうと、いろんなことをいっぱいしてきましたけれど、なんかまた新たにね、始めたいなと。つまり、うつうつとしている青年たち、これから人生をリアルに充実させていけるにもかかわらず、きっかけが持てないでいる、そんな青年たち一人ひとりに声を掛けて、いい仲間たちと共に過ごせる機会を作る、そういう「リア充クラブ」みたいなことを、始めたいなと・・・。「えっ? まだ増やすの?」って思うかもしれないけど、(笑) 正直、私の気持ちの中では、今の教会は、まだやるべきこと、できることをなんにもちゃんと始めていないっていう感覚があるんで、そんなこともやっていけたらいいなと、まあ、そう思わされました。

 キリスト教の秘密をお話しいたしましょう。
 イエスさまの、このひと言、聴いてくださいね(※1)
 「あなたがたのうち、二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」 (マタイ18:19)
 皆さん、いろいろなことを求めてお祈りするでしょうけれど、お祈りって、結構、一人で、自分のことを祈ってないですか。でも、それ、どうなんでしょう。・・・まあ、気持ちは分かります。「もっと自分がこうありたい」とか、「この苦しみから救ってくれ」とか、一人で、神に祈る。普通のことですし、悪いとまでは言わない。言わないけれど、それ、実は、キリスト教の本質じゃないんですね。どの宗教でも神や仏に祈るわけですけど、イエスが強調するのは、「二人が」「心を一つにして求めるなら」「天の父はかなえてくださる」ってことなんですよ。だから、誰かと祈んなきゃなんない。でも、誰かと心を一つにして祈るためにはですよ、その誰かが、何を願っているか、何に苦しんでるのか知らなきゃならないし、その誰かを本当に信頼して、自分の心も開かなきゃならない。そうじゃないと、「心を一つに」できませんから。
 見知らぬ人とね、例えばミサで「共同祈願です」なんて急に言われても、なかなか心は一つにならない。でも、「この人は、今、子育てでホントにつらい思いをしてるな」とか、「土日をさみしく過ごしている若者なんだな」とか分かっていれば、「心を一つにして」祈れる。そして、そのときにこそ、「天の父はかなえてくださる」っていうんですよ。
 それも、たぶん、「それならかなえてやろう」とかっていうんじゃなく、「その人と心を一つにしたことで、その願いはもう実現している」ってこと。それが、その後に続けてイエスが言ってることです。
 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」 (マタイ18:20)
 たとえば、二人がね、イエスさまの名によって一緒にいる。そこには、「わたしもいる」ってイエスさまが言う。だけど、「わたしもいる」っていうのは、そこに三人目として、透明なイエスが立ってるっていうんじゃないでしょう。二人がイエスの名によって共にいるならば、その二人が、もうイエスになってるっていうことなんです。もうその二人が、救いのしるしになってる。神の国の実現になってる。それこそが、救い主の臨在、「救い主がここにおられる」っていう意味じゃないですか?
 仮に今ここに、透明なイエスさまがボ~ッと立っててもね、それがなぜ救いなのかって、あんまりイメージ、湧かないじゃないですか。でも、ここに集まってる仲間が、これがイエスなんだ、これが救いなんだというのは、福音でしょう。この仲間が心を一つにして願うなら、天の父はかなえてくださる。この仲間が主の名によって集まっていれば、それがもうイエスだ。この仲間がイエスとなって、神の国の福音を証ししていく・・・この感覚っていうのは、キリスト教の秘訣。一番大事なところ。
 仲間は大事。血縁の家族を超えた仲間ね。「家族仲良くしてます」っていう写真もさることながら、「血縁を超えた仲間が仲良くしてます」っていう写真のほうが、圧倒的に力を持ってるし、「女子会なう」も、「同級生集まりました」も、それを求めてるんですね。・・・分かりますか、みんな、ホントは何を求めてるのかって。海をバックにした18名の写真は、究極のリア充写真ですけど、SNSに上げる必要がありません。イエスの名によって集まって、心を一つにして祈った仲間は、もはやイエスですから。だれに承認してもらう必要もありません。

 昨日、そのキャンプの打ち上げで、「お疲れさまでした」っていうか、「また来年も頑張ろう」って言い合って、みんな帰っていったわけですけど、何人かは遅くなったから泊っていったんですね。その一人が寝る前に、「ところで、あの録音は聞いたの?」って言うんですよ。なんのことかなって思って、思い出した。そういえば、みんながベースキャンプの合宿所から東京に帰っていくときに、私だけ何日か合宿所に残ったんですよね。ふと見ると、私の机の上に、小さな箱が載っていてリボンがかかってる。何だろうなって思って開けたら、帰って行った仲間たちから私へのプレゼントで、「これは、ぼくたちからのささやかな置き土産です」って書いてあって、ICレコーダーが一つ入ってた。
 ICレコーダーって分かります(※2)? これですよ、これ。今、目の前に、私のこの説教を録音するために、ICレコーダーが、予備も含めていくつも並んでる。だから、私、てっきりね、「説教の録音とかにICレコーダーが必要でしょうから、どうぞお使いください」っていう意味だろうと思って、ポンと自分のバッグにそれを入れたっきりになってた。ところが、実はそこに、メンバーみんなから、隊長である私への、感謝の声が録音されてたんです。・・・鈍いですよね。気づいてもよさそうなものなのに、「あれ、聴いてくれたの?」って言われてようやく。私、仲間内では「はれれ」って呼ばれてるんですけど、「打ち上げのとき、その話はしないし、はれれの反応がないので、聴いてないのかなって心配した」って。あららら、これはまずいと思って、まさに昨夜、寝る前に再生ボタンを、ポンと押してみたんです。・・・いやあ、泣かされましたね~。(笑) 泣かされました。
 参加メンバーが、順番に、次々と、私への感謝をしゃべってるんです。「なかなか、本音は直接は言えないから、この場を借りて言います」みたいに前置きしたりしながら。だから、真情あふれてて、その思いが切々と伝わってくる。・・・しかもね、バックに、無人島の波の音とか入ってんですよ。「この満天の星の下で、ホントに心からの感謝を言いたい」とか言ってるわけ。サプライズっていうか、ぼくに知られちゃいけないと思ったんでしょう、夜遅くとか、ちょっと離れた所で、そっと録音したんじゃないですか? あの島の波の音をバックに、「はれれに会えて、ホントによかった」とか、「神父になってくれてありがとう」とか、「これからも5年、10年、付いていきます」とか、まあ、切々と、そう言ってるわけですね。ぐっときました。
 でね、その中で、みんなが共通して語っていることがある。それは、仲間の素晴らしさ。島がどれほど美しいかとか、泳いでとても楽しかったとか、そういうのはほとんどなかったですもんね。ほぼみんな、「この仲間たちに会えてよかった」っていうようなことを言うんです。
 たとえば、今年初めて参加した青年がですね、「本音で語り合える仲間に出会えて、ホントにうれしかった」って、そう言ってました。あるいは、もう十年以上参加してるメンバーですけど、「もはや、この仲間たちのいない人生は考えられない」って言ってるのもいた。あるいは、参加前につらいことがあって、急きょ、このキャンプに参加した子もいるんですけれど、「ホントにつらいことがあったけれども、どんなにつらいことがあっても、この仲間がいるから生きていける」とか、そういうことを言ってるんですよ。
 「教会」っていうのは、ひと言で言って「仲間」ですよね、家族を超えた仲間、信頼関係。私は口を酸っぱくして、いつもその話をしますけれども、そこに、リアルなその仲間がいるから、救われるんです。抽象的な信仰に救われるんじゃない。「聖書を読んで、イエスさまに出会えました」って、別にそれでもいいんだけれども、それだけなら、聖書があればそれでいいんで、教会の必要がないでしょ。信じる仲間たちがいてはじめて教会だし、はじめて真の救いがあるし、次の世代も、そのような仲間として育てなければならない。
 特に、心にぐっと来たのは、何人もが、「自分はこの仲間たちがいなかったら生きていけなかった」みたいなことを言ってるんですね。一人は21歳。「一つだけ確実に言えることは、ぼくは、はれれに出会っていなければ、死んでいた」、そう言ってた。あるいはね、「自分が生きていてよかったと思えるのは、このような仲間たちと一緒にいるときだ」とか。それから、これは10代ですけれど、「こんな仲間たちと出会えたから、死ななくてよかった」って。・・・死のうと思ったことがあるってことですね。逆に言えば、「この仲間がなければ生きていけない」って言ってるんですよ。
 私たちの「教会」っていうところが、そのような仲間づくりをしてるんだっていうことを、もっと真剣に考えてほしい。こうして一緒に座っているけれど、お互いに、まだよく知らないでしょう。教会の可能性を、もっともっと開いていかなきゃならないし、それこそが、イエスさまの一番の願いだったんじゃないですか。
 一番最後に、このレコーダーでのメッセージのプレゼントを企画した、若き副隊長がしゃべってるんです。一番最後に延々としゃべってましたから、彼の企画なんでしょう。で、彼のは、もうたぶん、ベースキャンプに帰ってきてからの録音ですね、きっと。波の音じゃなくて、虫の声とか入ってるから、夜、合宿所の外で、そっとしゃべってんじゃないですか? で、まあ、「今年、副隊長に選ばれて、いろいろ失敗もあったけど、でも、ホントに感謝している」みたいなこと言ってるんですけど、その中で、「かつて自分はうつうつとして生きていたけれども、数年前、はれれに出会って、この仲間たちに出会えて、本当に救われた、そのことにとても感謝している」って言ってるんですね。「自分はあのころ、生きていてもしょうがないと思っていたけれど、今は、この仲間たちがいる。自分は仲間たちに救われた」って。
 ということで、その副隊長さん、実は今日、このミサにも出ておられるんですけれど、自分がはれれに対して言いたいことを、なかなか直接言えないから、まあ、レコーダーを通して言ってくれたということですので、それじゃあ、私も直接言うのが恥ずかしいから、この説教の場を通してお返事するならば、(笑) 私も、君に会えてホントによかったと思っています。今年、副隊長を頼めるのはお前しかいないと、そう信頼して、お任せしたし、十分それに応えてくれた。おかげで、みんな無事に、そして何といっても、心を一つにして、行って、帰ってくることができた。それは、君のおかげです。二人で、これからも、心を一つにして、祈りましょう。仲間たちみんなで一緒にいて、「ここにイエスがおられる」と信じて、生きていきましょう。そうしてぼくたちが、「ここに救いがある」「キリストの救いは、この仲間たちの現実の中にある」「これが教会だ」、そういうリアルを充実して生きていくならば、それを求めている大勢の仲間たちが当然増えていくでしょう。
 素晴らしい仲間たちと一緒に、福音家族として、イエス・キリストになってまいりましょう。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「イエスさまの、このひと言、聴いてくださいね」
この日、2017年9月10日(年間第23主日)の福音朗読箇所から。同日の福音朗読個所は、
 マタイによる福音(マタイによる福音書)18章15~20節
  〈小見出し:「兄弟の忠告」〉
===(聖書参考箇所)===
 
「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。 (マタイ18:19~20/赤字引用者)
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※2:「ICレコーダーって分かります?」
◎ICレコーダー (IC recorder) 【英】digital voice recorder
Voice_Recorder フラッシュメモリ(電源を切っても内容が保存される不揮発性の半導体メモリ)などの記録装置に音声を録音するデジタル機器のこと。
 ICレコーダーは和製英語で、英語では、digital voice recorderという。
 小型、軽量、大容量化も進んでおり、断片的な録音、頭出し再生、データの上書きといった点にも優れているので、会議やインタビューなどでの音声録音に利用されることが多い。
 ICレコーダーで記録された音声ファイルは、多くの場合、PC(パソコン)に転送して扱うことができる。(画像はサンプルです)
(参考)
・ 「ICレコーダー」(weblio辞書)
・ 「ICレコーダー」(ウィキペディア)
・ 「ICレコーダーの選び方」(価格.com)
さまざまなICレコーダーの画像
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2017年9月10日(日) 録音/2017年9月27日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英