還暦の所信表明

【カトリック浅草教会】

2017年10月22日 年間第29主日
・ 第1朗読:イザヤの預言(イザヤ45・1、4-6)
・ 第2朗読:使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(一テサロニケ1・1-5b)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ22・15-21)

【晴佐久神父様 説教】

 台風で雨風が強まっておりますけれども、こうして見ると、やっぱり、いつもより人が少ないですね。ってことは、これが投票率っていうことになるんでしょうかね(※1)。(笑) 侍者の彼は期日前投票に行ったって言ってましたけど、私も昨日のうちに行こう、行こうと思ってたのに、やっぱり忙しくって、行けなかった。今日、雨の隙間にでも行こうかと。投票所はすぐそこなんですけどね。

 それにしても、どうしましょう、この、よく分からない解散総選挙。皆さんはどうするんですか? 私も、誰にしたもんかねえ・・・と困っているわけですけれども、まあ、やっぱりキリスト教徒としては、「一番弱い人のことを考えてくれそうな人」っていうことになるんでしょうね。一番弱い人、一番ついてない人、一番苦しんでいる人、一番見捨てられている人、一番だれの意識にも上らないような、そういう一人ひとりのことを第一に考えてくれそうな人って、そういうことじゃないですか。・・・う~ん、でも、難しいです。・・・困りましたよねえ。キリスト者は、こういうときどうしたらいいんでしょう。こうなったら、私が立候補するしかないかと。(笑)
 いや、でも、政党とまではいわなくても、せめて徒党を組めないもんですかね。もっとキリスト者みんなで協力し合えたら、力になるんじゃないのかな。もう、こういう世の中、キリスト者が協力し合うしかないでしょう。「希望の党」なんてケチなこと言わないで、「信仰・希望・愛の党」みたいな。(笑)

 さっきの第2朗読でも、「信仰」「希望」「愛」が出てきましたね(※2)。パウロ独特な言い方ですけど、「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、キリストに対する希望を持って忍耐していること、これを、私たちは神の御前で心に留めている」 (cf.一テサ1:3) と。・・・いい言葉だねえ、「信仰」「希望」「愛」。・・・これ、そのままもらって、「信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐する党」ってのがいいかも。(笑) ・・・長いですか? いいじゃないですか、「信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐する党」。それなら、投票したいね。
 でもまあ、考えてみたら、キリスト者は、実はそのような党を、もうすでに持ってるようなもんですよね。もちろん、ホントに小さな集まりですよ、日本では。でも今、全世界に、カトリックだけでも13億いるんですから、ある意味、党員13億人の党ですよ。それこそ、信仰によって働き、愛のために労苦し、忍耐して希望を持ち続けているわれらが同志たち。
 そんな仲間たちで、世の中をもうちょっと具体的に変えていきましょうよと、ぼくはやっぱり、そう呼び掛けたい。神父なんて、要は旗振り役ですから。まあ、党首にはなりませんよ、党首はキリストですから。でも、誰かが実際に旗を振って、ホントにそういう仲間たちとして、もう少し協力し合いましょうよ。立法も行政も大切ですけど、現実に困っている人を助けるのは、私たち隣人ですから。

 今日、イエスさまがおっしゃいました、「神のものは神に返せ」と(※3)
 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」(cf.マタイ22:21)
 この言い方、非常にユニークですね。で、そのことを言うために、銀貨を持って来させるんです。「税金を納めるのは、律法に(かな)っているか、適ってないか」っていうのは、(わな)ですね。「適っている」と言っても、「適っていない」と言っても攻撃できる(※4)。すると、イエスは言います、「その税金に使う貨幣を持って来なさい」と。
 その銀貨には、皇帝の顔が彫ってある。皇帝の名前も彫ってある。権力って、そういうもんです。貨幣は、すべてを支配する力を持ってますから、そこに顔と名前を彫って、「すべてを皇帝が支配してるよ」って、人々に思い込ませる仕組みなわけですね。だから、イエスは問います、「これは、だれの顔で、だれの名前なのか」(cf.マタイ22:20)と。「皇帝です」と答えると、「じゃあ、皇帝のものは皇帝に返せばいい。税金なんてのは、そういうものだ。貨幣も税金も、皇帝がつくって皇帝が広めてるものだし、その皇帝の力であなたたちは治められたり、守られたりしてるんだから、皇帝に返すのは当たり前だろう」と言った上で、イエスは、こう付け加えるんです。
 「神のものは神に返せ」
 じゃあ、「神のもの」って何か。神の貨幣があるわけじゃない。「神のもの」、それは何ですか? まあ、すべてが神のものですよね。被造物のすべて、存在のすべて、貨幣で買えないような目に見えないものもすべて神のものであり、神にお返しすべきものです。でも、中でも一番の「神のもの」がある。それは、何か。・・・創世記にありますね。
 「神はご自分にかたどって人をおつくりになった」 (cf.創1:27)
 つまり、「あなたたち一人ひとりの存在は、神のものだ」って言ってるんですよ。み~んな一人ひとりに、実は神のお顔と、神のお名前が刻まれてるんです。神さまがおつくりになって、神さまがご自分のために用いる神の作品。・・・皆さんのことですよ。皆さん一人ひとりに、神さまのものだという刻印がなされてるんです。・・・ありがたいことでもありますし、恐れ多いことでもありますし、うれし~いことでもあります。もうすでに、初めから私たちのうちに、神の働きがあるってことだから。
 じゃあ、その「神の働き」って何か。それが、さっきパウロが言ってたことですよね。
 「信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐する」 (一テサ1:3)
 これを、命令されてやるんじゃなく、自由意思をもって、「私はそうしたい!」っていう熱い思いでできるんです。・・・神は、そうしてます。神は、自分がそう「したい」から、私たちを愛している。私たちも、その似姿ですから、刻印されてますから、自由意思をもって、そうすることができる。すごい能力ですよ。誰にでも、それができる。
 もちろん、愛さない自由もある。われわれ、結構、目先のことばっかりで、あるいはこの世の「皇帝」のことばっかりで、この自由を行使せずに生きてることが多いけれども、・・・できるんですよ。愛せるんですよ。もう、今日からだって、突然のように、聖人のように生きることだってできるんです。できるけど、まあ、いろんなしがらみ、とらわれ、欲望、慣例、・・・いろんなものに縛られて、まあ、なかなかできないでいる。でも、少なくとも「私たちは、神のものだ」という信仰だけは忘れずに生きていたい。そして、この「神のもの」は、やがてぜんぶ神に返す日が来る。・・・必ず来る。その日まで、「神のもの」として、この「私」という恵みの場を生かしたいなと、つくづくと思っている次第です。

 私、本日、2017年10月22日をもちまして、60歳と相成りました。(拍手👏🏻)
 いわゆる「還暦」っていうやつですね。12×(かける)5。干支(えと)が12あって、それが5週すると元に戻る。日本の習慣? 中国の伝統? よく分かりませんけれども(※5)、それでいうなら、まあ、ぐるりと回って原点に戻るっていう、そういうことで、幸い日曜日にこの日が当たりましたので、皆さんの前で、・・・まあ、なんていうんでしょうねえ、還暦の所信表明をしたいわけです。(笑) それは、ひと言でいえば、ぐるりと一周したわけだし、「準備期間は終わった。ここから本番~!」みたいな、そんな気持ちです。
 やっぱり、60年やってくると、自分のとらわれとか、欲望とか、バカなところ、冷たいところ、ぜんぶ分かってるわけですよ。で、そんなものはなかなか変わりようもないから、まあ、しょうがない、自分の十字架だと思って、背負って生きてくわけですけど、まあ、ひどい失敗や、情けない経験や、もう大体ひと通り終わったので、ここからは、もうちょっと、まともなことができるんじゃないかって思ってるんです。もちろん、これからもまだまだいっぱい愚かなことするでしょうけれども、しかし、さすがに今までの経験を生かして、ここからはちょっと本気で、それこそ、「信仰によって働く」「愛のために労苦する」「希望を持って忍耐する」、そういうことを、仲間たちと一緒に、ほんのちょっとでも、具体的にやっていきたいな~と、心からそう思っています。
 それが、「福音家族」なわけですけど、それを身近なところから始めています。そこが私の取りえなのかもしれませんけど、私のキーワードとして、「半径5メートル以内」っていうのがあるんです。つまり、今、目の前にいる人と関わる。なんか、抽象的な遠くの人の話じゃなくって、立派な未来のビジョンでもなく、正しい議論とか素晴らしいシステムとかいうことでもなくって、ともかく、まず、今ここの5メートル以内のことを、ちゃんとやる。そこに神の国の秘密があるから。そこをちゃんとやらないで、50メートル、500メートル、5年、50年、そんなこと考えたって、意味がない。イエスさまなんか、ホントに5メートル以内を生きていたっていうような感じがあるでしょう?・・・すごく大事だと思うんですよね。

 昨日、「福音カフェ」(※6)があって、まあ、学生たちの集まりですけど、そこに初めてっていう学生が来たんですね。その学生、なんで来たかっていうと、先日のニャー神父さんの叙階式のパーティーで、私に声掛けられたって言うんですよ。私、うっすらは覚えてますけど、細かい記憶がない。だけど、彼が言うには、まるで、ず~っと昔から知り合いだったようにしゃべり掛けられたって言うんですね。で、しばらく私と話してから、「ところで、あの、失礼ですが、どちらさまですか?」って私に聞いたんですって。(笑) で、「あ、すいません、私、晴佐久っていいます」って言ったらね、「ああ、あなたが晴佐久神父さんですか」と。
 叙階式のパーティーって、ちょっと高揚感があるじゃないですか。私、はしゃいでたんですね。うれしくなっちゃって、知らない人にも、「いや~、叙階式って、やっぱりいいですよね~」とかって声掛けたりしてた。まあ、それはもう、まさに5メートル以内で、・・・なんでしょう、「神さまがこの人と、今、出会わせてくれている」という喜びがあったんで。でも、その学生にとっては驚きだったらしく、忘れられない出来事になったようです。で、そのときに、「学生だったら、福音カフェっていうのがあるから、おいでよ」って誘われて、それで、昨日来たんですよね。
 だけど、おかげで昨日、彼は彼なりに、あまり誰にもできないつらい話を、この福音カフェの仲間だったらできるって信頼して語ってくれましたし、みんなもそれがうれしくって、それに応えていろいろお話しできたし、すごくいい集まりになった。
 皆さん、これから、神の国をホントに実現させていくために、・・・ここにはもう、還暦をだいぶ過ぎたっていう方もおられますし、(笑) 還暦なんてまだまだ先だと思っている方もおられますが、この混乱している世の中で、「神のものは、ちゃんと神に返す」っていうような本気度を持って、具体的にやっていきましょうよ。私は皆さんに、そう呼び掛けたい。「5メートル以内で、神の国をちゃんとやりましょうよ」って。
 目の前にいる人、偶然出会ったかに見える人、それは神が出会わせてくれた人です。そういう人たちと、「信仰を持って働き」「愛のために労苦」すること。そうなんです、「労苦」って、愛のためなんですよ。ただ苦しいんじゃない。何かつらいことがあったら、「これは愛のためだ」って思えば、その労苦がキラキラ輝きだす。・・・そういうことでしょ。だから、なんかつらいことがあったとき、5メートル以内の誰かのために、それを捧げるみたいなね、そういう家族的なつながりの中で、「希望をもって忍耐する」ってことでしょう。

 「福音家族集会」っていうのを、10月9日に上野教会でやりました。私、「一緒ごはん」をする福音家族っていうのを、今、いっぱいつくってるとこですけど、それこそコツは、5メートル以内の人を、信じて招き続けていくことです。100人近く集まってましたよ。「5メートル以内」を大事にすることで、一緒にごはんを食べ続けることで、ホントの家族のような集まり、いや、ホントの家族以上の家族が出来上がっていく。・・・あっ、そうだ、「福音家族党」がいいかも、党名は。(笑) 「福音家族党」を立ち上げるくらいの情熱でやっていきたいですよ。

 福音家族の一つに、ホームレスの方と一緒ごはんをする「うぐいす食堂」がありますけど、そこに来た一人のホームレスの方が、先日、東北に寮のある仕事を見つけて、人生を立て直すために行っちゃったんです。せっかく一緒ごはんして仲良くなったのに、「来月も来てくださいね」って言ったら、「東北に仕事見つけたんで、もう来れないと思います」って言うんです。だから、「ああ、それは良かった。お祈りしてますよ」みたいに言いましたけど、実際にはちょっとさみしくもあったんですね。
 だけど、つい数日前に、その彼がまた現れたんですよ。突然教会に現れたんで、「あれ? どうしたんですか?」って言ったら、身体検査で、血圧と尿酸値が引っかかって、雇ってもらえなかったって。で、「今度のうぐいす食堂の招待券、頂けますか?」って言うんですよ。・・・うぐいす食堂って、招待制なんですよね。だから、「もちろんですよ」って、お渡ししましたけど、実はそのとき、私、すごくうれしかったんですね。彼にとっては残念な出来事だったかもしれないけど、私にとっては、またこれから毎月一緒ごはんできるのかと思ったら、なんだか、うれしかった。
 そうして彼が帰った後、はたと気づいた、「私、いま、『ホームレスの方に、また会えてうれしかった』って思った」って。この事実が、すごくうれしかった。今までは、正直言ってちょっと面倒に思ったり、時には「もう来ないといいな」と思ったりしてたのが、「また来てくれてうれしかった」って思えたんです。この前、教皇さまの言葉が、『聖書と典礼』に紹介されてましたけど(※7)、テレビを見て、遠くの難民たちをかわいそうに思って献金したりはするけど、物乞いの人が自宅のドアを叩いたら、「困ります!」って閉めちゃうような、私たちの現実を批判する内容でした。
 そういうことなんですよ。遠くのことよりも、まず、5メートル以内をちゃんとやっていると、・・・なんていうんだろう、本当の「福音家族」っていうものが出来上がっていって、その家族が、実は自分も救ってくれる。そうしてこの世界が、神の国に変わっていく。
 5メートル以内。一つの小さな、・・・とても小さな秘訣。

 ・・・60歳。もう一周したんで、ここからは、「福音家族」をちゃんとお世話していこうって、心にそう誓っておりますという所信表明を、皆さんの前でさせていただきます。「神のものは神に返せ」というイエスさまのお言葉を、本当に、自分のすべてを神に返すそのときまで、精いっぱい生きていきたいのです。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「ってことは、これが投票率っていうことになるんでしょうかね」
 この日(2017年10月22日)は、第48回衆議院議員総選挙の日だった。
 大型で強い台風21号や前線による大雨、暴風の影響で、災害が懸念された中での投票となった。そのせいもあって、期日前投票は過去最多となった。
・・・< 文中へ戻る

※2:「さっきの第2朗読でも、『信仰』『希望』『愛』が出てきましたね」
この日、2017年10月22日(年間第29主日)の第2朗読箇所は以下のとおり。
 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(テサロニケの信徒への手紙一)1章1~5b節
 〈小見出し:「挨拶」1章1節、「主に倣う者」1章2~10節から抜粋〉
===(聖書参考箇所)===
 
あなたがたが信仰によって働き、のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。(一テサ1:3/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※3:「今日、イエスさまがおっしゃいました、『神のものは神に返せ』と」
この日、2017年10月22日(年間第29主日)の福音朗読箇所は以下のとおり。
 マタイによる福音(マタイによる福音書)22章15~21節
 〈小見出し:「皇帝への税金」22章15~22節から抜粋〉
===(該当箇所あらすじ&聖書参考箇所)===
 ファリサイ派の人がイエスの言葉じりをとらえて罠にかけようと、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているか、いないか」という質問をさせた。「適っている」と答えても、「適っていない」と答えても、イエスを陥れることができる。イエスは彼らの悪意を見抜き、税金に納めるデナリオン銀貨をもって来させた。
 
イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(マタイ22:20-21/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※4:「『適っている』と言っても、『適っていない』と言っても攻撃できる」
 この日に会衆に配られた『聖書と典礼』欄外には、今日の福音朗読の箇所についての説明として、以下のような注釈がある。
===(『聖書と典礼』から)===
◎「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
 
エルサレムの神殿の境内での出来事。もし、イエスが納税を認めなければ、ローマ皇帝への反逆者となり、認めればユダヤ民衆の信望を失うことになる。どちらにしてもイエスを陥れることになる。 (『聖書と典礼』 p.5〈年間第29主日 A年 2017.10.22〉オリエンス宗教研究所/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※5:「日本の習慣? 中国の伝統? よく分かりませんけれども」
 長寿を祝う風習は、中国から伝わったもので、日本では奈良時代のころから祝われるようになった。当時は短命だったので、40歳から10年ごとに祝われていた。還暦を祝うようになったのは、室町時代ごろからといわれている。(文中へ戻る
===(もうちょっと詳しく)===
 干支(えと)で思い浮かぶのは、「子・丑・寅・卯・・・」の十二支だが、本来は、十干十二支(じっかん・じゅうにし)をいう。
 「十干(じっかん)」というのは、「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」という10種類の「干」のことで、これと、「十二支」の「子・丑・寅・卯・・・」の12種類の「支」を組み合わせて使う。
 暦に使うときは、この二つを組み合わせて、例えば、平成29年(西暦2017年)だと、「丁酉(ひのと・とり)」年という。
 組み合わせは全部で60種類になり、これが一巡すると、61年目に生まれた年と同じ暦に還ることから「還暦」と呼ばれ、この祝いを「還暦祝い」という。
 また、暦が一巡したことで、「もう一度生まれたときに戻る」と仮想したお祝い事が行われることが多く、日本では赤い色が「魔除けの色」と考えられてきたことや、赤ちゃんの産着(うぶぎ)には赤色が使われてたため、還暦になったとき、もう一度赤いものを身につけるという風習が定着したといわれている。
(参考)
・ 「還暦について」(個人ブログ/「小さな資料室」)
・ 「還暦祝いの歴史」(還暦祝いnavi)
・ 「還暦お祝いの基礎知識」(高島屋)
・ 「還暦とは」(お祝いギフト工房)
・ 「十二支の起源」(ちょっとした雑学)など
・・・< 文中へ戻る

※6:「福音カフェ」(既出)
 福音を語り合い、一緒にごはんを食べる学生の集い。キリスト教に関心があり、福音的なつながりを求めている学生であれば、信者か、そうでないかは、問いません。
 元気な学生も、元気のない学生も、共に集まっています。どうぞ気軽にご参加ください。
◎ 第1土曜日 18時~: カトリック上野教会
 東京都台東区下谷1丁目5-9  [Googleマップ]
  JR「鴬谷駅」南口より徒歩6分
  JR「上野駅」入谷口(いりやぐち)より徒歩8分
  東京メトロ日比谷線「入谷駅」1、2番出口より徒歩8分
  Tel:03-3844-4477
◎ 第3土曜日 18時~: カトリック浅草教会
 東京都台東区浅草橋5丁目20-5  [Googleマップ]
  JR総武線「浅草橋駅」西口より徒歩8分
  都営地下鉄浅草線「浅草橋駅」より徒歩10分
  東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」1番出口より徒歩10分
  Tel:03-3851-4009
(参考)
・ 「カトリック上野教会・浅草教会のHP
・ 「福音カフェ」のご案内」(福音の村)
・・・< 文中へ戻る

※7:「この前、教皇さまの言葉が、『聖書と典礼』に紹介されてましたけど」(既出)
(参考)
 2017年10月1日(年間第26主日)に会衆に配られた『聖書と典礼』のコラム、「たった一人の難民に向き合う」に掲載されていた。
===(『聖書と典礼』から抜粋)===
 
「(メディアは苦しんでいる人々を頻繁に報道するが)私たちは困窮している人々を避け、遠ざかるという習慣に陥る」 (2016年10月19日の教皇一般謁見講話)
 遠い国の難民の惨状を報道で見て、心を痛める私たちにできることといえば献金ぐらいです。教皇フランシスコも、献金は「人の苦しみを軽減するために貢献できる」重要な行為だと言います。しかし、それも「自宅の玄関で貧しい人が物乞いをしたりすれば状況は全く異なってくる」と教皇は指摘します。そのとき、「
もはや(遠い国の悲惨な)映像ではなく、私たちが個人的に彼らにかかわることになる」と(同講話)
  (『聖書と典礼』〈年間第26主日A年 2017.10.1〉、「たった一人の難民に向き合う」(p.7)より抜粋、オリエンス宗教研究所/赤字引用者)

・・・< 文中へ戻る

2017年10月22日(日) 録音/2017年11月22日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英