麻婆豆腐とチーズケーキ

【カトリック上野教会】

2017年10月29日 年間第30主日
・ 第1朗読:出エジプト記(出エジプト22・20-26)
・ 第2朗読: 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(一テサロニケ1・5c-10)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ22・34-40)

【晴佐久神父様 説教】

 先週、浅草教会でごあいさつしたので、上野でもごあいさつします。不肖、晴佐久昌英、先週の日曜日に還暦を迎えました。(拍手👏🏼)
 還暦、60歳。一周回って元に戻る。リスタート。「もう準備期間は終わった。ここからは、好きにさせてもらう」という、恵みのときを迎えさせていただきました。ありがたいことです。私の父なんか、50で死んでますから。
 まあ、そう言うと、「今までだって好きにやってきたでしょ」って言われるんですけれども、まあ確かに好きにやってきたようでいて、やっぱり、どこかまだ準備期間って気持ちがあったんですよ。「そのうち、もっとちゃんとやろう」とか、「いつかは、こうしたいな」っていう・・・。
 だけど、さすがにこの歳になると、「もうそんなこと言ってる余裕はない。準備は終わり。本番を始めよう。明日じゃなく今日、やりたいことを、やりたいように、本気でやろう!」みたいな気持ちなんです。「不完全でもいい、とにかく、いっしょけんめやろう。やるだけやって、悔いなく今夜眠れればいいや」、そんな感じ。そんな一日があれば、とりあえずそこに至る60年も、恵みの日々だったってことになるじゃないですか。そういう「今日」を過ごしたいね。皆さんも一緒に、やること、やっていきましょうよ。特に還暦過ぎた方。ちなみに、60歳以上の方、手を挙げてください・・・とは言いませんけど、(笑) みんなで本番、始めましょう。明日、あさってのことじゃなく、去年、おととしの後悔でもなく、「今日」という本番を精いっぱい生きようじゃないですか。

 先週の私の誕生日、10月22日の夜、村田諒太(りょうた)のボクシングの再試合があったんですね(※1)。私、ボクシングって、なんか痛そうで見てられないっていうか、特に好きなわけじゃなかったんですけど、ご存じのとおり因縁の再試合ですし、どうなるんだろうって興味で、ついつい観てるうちに、夢中になってしまって。で、村田が勝ったわけですけれど、リングの上で涙こぼす姿に感動しちゃいましたよ。初めて人前で泣いたそうですけど、それはつまり、どれほどの重圧だったか、どれほどの恐れだったか、どれほどのプレッシャーだったかってことでしょう。いろんな思いと闘いながら、やることを精いっぱいやった後の、いわゆる「安心の涙」を流している姿に胸打たれました。ねえ、あれくらい、やるだけやって涙こぼすくらいに精いっぱいやりたいなあって思わされた。
 昨日のNHKスペシャル、ご覧になりました(※2)? その村田諒太の特集でしたよ。彼、フランクル(※3)をよく読んでるんですね、『夜と霧』を書いた。そのフランクルの言葉に支えられたそうです。
 「人生に意味を求めるのではなく、人生から何を求められているか、それに応えることが重要なんだ」というような言葉です(※4)
 人生から求められているもの・・・。
 皆さん、人生って、もう頂いてますよね。生まれてから、いろんなことをしてきた。こんな自分、こんな環境、すべて、もうすでに与えられたものですね。自分の人生です。まあ、いろいろ失敗したり、乗り越えたりと、やってきました。人生20年の人も、40年の人も、60年の人もいるでしょうけど、ともかく、やってきた。その「自分の人生」にどんな意味があるかって問うても、そこに答えなんてない。むしろ、その「自分の人生」というリアルから、今の自分が求められているもの、それに応えていくことが大切だと。
 自分が頂いた人生。自分がもらっているもの。皆さんも、さまざまな困難と同時に、多くの素晴らしい恵みをたっくさん頂いていると思う。その現実が、今の私に何を求めているかを知り、それにどう応えていくか。「こんな自分の人生に何の意味があるのか」とか考える前に、もうすでに頂いている人生が、われわれに求めているものがあるんですよ。
 なかでも、ここにいる皆さんは、「イエス・キリストと出会った」っていう圧倒的に恵まれた人生を生きてるわけですし、その事実から求められていることは、はっきりしてると思いますよ。それに応えていく、そういう「今日」をね、精いっぱいやろうじゃないですか。
 村田諒太も、過酷なトレーニングや精神的重圧のあまり、「もう嫌だ! なんで俺、こんなことしてるんだろう」って思うこともあるって言ってましたけど、そういう苦しみのさなか、父親から、ある言葉を贈られてるんですね。それは、「苦しみそのものに意味があるんだ」っていう言葉です。・・・いいですねえ。「何のために苦しむのか」とかじゃなくって、「苦しみそのものに意味があるんだ」と。
 われわれも、「苦しみ」というものを抱えておりますけれども、ただそこから逃れようとするのではなくて、「この苦しみそのものに意味がある。だからこれを人生からの問いかけとして、精いっぱい受け止めて、私はこの苦しみの中で、こう応えて生きていきます」という、そんな自分を、神さまにお捧げする。「村田諒太」は一人のファイターですけど、実はわれわれも、自分の人生を闘ってるわけですから、パウロじゃないですけども、やがて頂く永遠なる勝利の栄冠を目指して、せめて今日一日、もう5メートルでも10メートルでも前に進んでいきましょうよ(cf.フィリピ3:13-14)(※5)。・・・あの日、あのリングの上で、恐れと闘いながら、一歩また一歩と前へ出ていった村田諒太に、私は感動いたしました。
 彼、前回の試合では、やっぱり自分の中に恐れがあったそうです。あのとき、なぜ詰めきれなかったか。その後の日々、それを自らに問い続けて、今度は悔いなく、一歩でも二歩でも前に出よう、そう思って詰めていって、そして、TKO(テクニカル・ノックアウト)。まあ、完全勝利ですよね。
 そういえば、そのNHKスペシャルの、父親の自宅でのインタビューで、机の上の本を、私、見逃さなかった。『イエスの現場』っていう本が載ってたんですよ。名著ですよ、『イエスの現場』。滝澤武人(たきざわたけと)さんという先生が書いた(※6)。「苦しみの共有」っていうサブタイトルです。イエスの現場は、ひたすらに人々と苦しみを共有した現場だった。そこに、イエスの意味がある。苦しみを、ただ自分一人で耐えるだけでなく、ただ、「あなた、我慢しなさい」じゃなく、「一緒に」背負う。・・・イエスの十字架ってそういうことですね。まさに「苦しみそのものに意味がある」んだし、さらに言えば、「苦しみを一緒に背負うことが天国の入り口だ」ってことでしょう。
 われわれは、一人じゃない。どれほど苦しんでいても、一人じゃない。みんなも苦しんでいるし、先輩たちも、みんな苦しんできたし、これからも、人類は苦しみを背負っていくでしょう。しかし、その苦しみにおいて、私たちは共に生きていくことができる。共感し、それを共有することによって、天国をつくり出すことができる。で、そこに、意味がある。人生に苦しみがあるっていうのは、まさに恩寵だ、と・・・。
 番組では、村田諒太が試合前、息子の運動会にわざわざ応援に行く姿が映されてました。この試合に負けたら後がないという試合が迫る中、彼は、いろんなことを考えすぎて、スランプで苦しんでたんですね。でも、そんな中で、彼は息子が走っている姿を見て、すごく励まされたんですね。
 息子は精いっぱい走ったんだけど、途中で靴が脱げちゃったんです。それで一番にはなれなかった。でも、パパとしては、走りぬいた息子が誇らしかったんでしょう、「ぼくの中では、息子が一等賞です」なんて言ってましたけど、そのとき、息子がこう言ったそうです。「パパ、ぼく、もうこれ以上走れないくらい一生懸命走ったよ。心臓が飛び出しちゃいそうだったよ~」って。それを聞いて、彼は、「そうだ、それがすべてなんだ。余計ないいわけせず、自分もただもう、心臓が飛び出るくらい一生懸命戦えばいいんだ」って気がついた。そして、どれほど恐れやプレッシャーがあっても、「もう、迷わず、自分を信じて、精いっぱい戦おう!」と。
 私、先週の試合で励まされ、昨日の番組で高揚し、なんか今日は、「みんなで一生懸命やっていこう!」って、ちょっと、・・・私、影響されやすいたちなんで、(笑) 熱くなってるところです。

 東京教区の新司教さまが決まりました(※7)
 岡田大司教さまの引退願いが受理されて、東京教区に、現新潟司教の菊地功司教さまが着任なさることになりました。菊地司教さま、私の二つ年下で、ついに、年下の司教さまが現れる歳になったかと(笑) いうことでもあります。
 私は、白柳枢機卿さまのもとで叙階し、岡田司教さまのもとで育てられ、お二人とも大変尊敬してまいりましたけど、三人目となるこの司教さまも、私、かねてより大変尊敬申し上げている司教さまなので、こんなにうれしいこと、あっていいのかっていうような思いでおります。東京教区も、今、いろいろ困難を抱えていますけれども、新しい一歩を踏み出そうとしているわけですが、今日はぜひ、この司教さまのモットーだけは覚えておいてください。
 「多様性の中での一致」です。
 われわれは、本当に多様です。民族も、文化も、境遇も、それぞれの性格も、それぞれの環境も、本当に多様です。でも、それが一つに結ばれることを、神はお望みです。たぶん、われわれを多様にしておいて、それが一つに結ばれていくことで神の国をつくりだすという、神さまのご計画です。
 最初っから美しい天使をいっぱいつくって天国を始めようとかって、そんな話じゃない。罪深い人間たち、苦しみの中で精いっぱい生きていく一人ひとりを一つに結んでいくことで、この世界をつくり上げようという。その意味では、「苦しみの共有」っていうのは、この「多様性の中での一致」っていうことと、ほぼ同じことなんですね。「多様である」っていうこと自体が、さまざまな苦しみを生み出すわけですけど、それを「共有」することで、ぼくらは一つになっていく。そこに神の国が生まれるんですよ。
 今日のイエスさまのお言葉は、「神を愛し、人を愛せ」(マタイ22:37-40)ですけれども(※8)、そう聞いた律法の専門家たちは、「私は当然、神を愛しております」って思ってたわけですよね。でも、イエスが言いたいのは、「人を愛してなかったら、神を愛してることにならない」ってことでしょう。「神を愛し、人を愛する」っていうのが車の両輪でなければ、車は走らない。律法をどんなに解釈しようとも、「人を愛す」ということ抜きにしては、律法は全うされない、と。
 どうも、宗教ってね、個人主義になりやすい。神さまは素晴らしい、神さまを愛しますって立派なミサを捧げたりして、「神さま」、「神さま」。「神さまのお恵みに感謝します」、時には、「もっとお恵みください」。そんな感じでね、「神と私」の縦線だけで、「横」が見えてない。だから、イエスさまに言わせれば、「縦の線と同時に、横の線。それが十字架だろう」と。

 先週、司祭集会というのがあって、箱根の山の上のホテルでいろい話し合ったんですけれど、どうもやっぱり、教会の未来がちょっと暗いので、どうしましょうかというような話でありました。「人々を受け入れる教会になってないんじゃないか」「入門講座が、ちゃんと機能してないんじゃないか」「神父たちは数が減って、忙しくて大変。だから、来年から入門講座を担当できる信者を育てていきましょう」みたいな話でした。
 まあ、それはそれで一つの考え方として受け入れますけど、まずは、現実の私たちの教会を、もっと人々を「もてなす」教会、だれでも「受け入れる」教会にしていきましょうと、私は呼び掛けたい。イエスさまは本当に、私たちと一緒に苦しみを背負ってくれているんですし、私たちもお互いに苦しみを背負い合うことで結ばれていくんです。それを、「今日」やらなかったらね、来年もできてないんじゃないでしょうかね。

 箱根の山から下りてきて、海老名サービスエリアっていう所で車を止めてたら、目の前に、紙を持って立ってる青年がいて、「東京方面」って書いてあるんです。・・・珍しいですよね、今どきヒッチハイカーって。私も若いころ、やりましたよ。北海道をヒッチハイクで回ったり。乗せてもらうと、やっぱりうれしいわけですよ。なかなか止まってくれませんから。私、電気自動車なんで、充電しながら、車の中から何気なくその青年をぼんやり見てたんですね。もちろん、乗せるつもりはありません。電気自動車って、一人乗せると重くなって、それだけでだいぶ電気食うんで。(笑)
 やがて、車が一台止まってくれて、彼、うれしそうにニッコリしてね。私も、よかったね~と思いながら見てたら、ちょっと話し合ったら、折り合いが合わなかったのか、その車、行っちゃったんですよ。そしたらね~、その彼、がっかりした顔して、カードを持ったまま下向いちゃった・・・。で、その顔見た瞬間にね、スイッチが入っちゃったんですよね~。(笑) ついつい、「どこ行きたいの~?」って声掛けちゃった。(笑) そしたら彼が、「上野です」って言うんですよ。(笑) これを乗せてかなかったらね、「なにが『今日を大事に』だよ💢」って話じゃないですか。・・・乗せちゃいました。
 話を聞くと、金がないからいつもヒッチハイクしてるそうで、今回は大阪の自宅から東京の友人に会いに行くところなんだとか。で、「なんで上野なの?」って聞いたら、上野には安い宿がたくさんあるからって言うから、「それじゃあ、上野で一番安い宿にお連れしましょう」(大笑)って教会に連れてきた。(笑) とっても喜んでくれてね、一緒にご飯も食べたし、「入門講座に出てみたい」って言うから、「どうぞ」って受け入れて、入門講座で福音をいっぱい聞いて、一泊していきました。翌朝出掛けるとき、「また東京に来たとき、泊まりに来ていいですか?」って言うんで、(笑) 「ぜひ、どうぞ」と。・・・いいですねえ、こういう出会いは。
 その彼を乗せる前なんですけど、海老名サービスエリアの「成城石井」で、おそうざいの麻婆豆腐を買ったんですね。あと、名物のチーズケーキを1個。麻婆豆腐は、今晩のおかずに。ケーキは、明日の仕事の合間、ホッとひと息のカフェタイムに、カフェラテと一緒に食べようかと。だけど、教会に着いて、さっそく一緒にご飯を食べようって誘ったはいいけど、ちょうど食べるものが何にもない。仕方がないから、ご飯は炊きましたけど、麻婆豆腐を泣く泣く半分にして、(笑) 食べた。彼ね、「おいしい、おいしい」って喜んで、ご飯バクバク食べてましたけど。
 さらには、次の日、彼が帰ったすぐ後に、いつも来るホームレスの方が来られたんですね。「おなかが空いてるんで、お願いします」って。それで、ちょうど昨日、麻婆豆腐のために炊いたご飯がまだいっぱいあったから、大きなおむすびを三つ作って、袋に、おむすびとバナナと、コーラと、ナッツを入れた。で、冷蔵庫からコーラを出して閉めようとしたその瞬間、昨日買ったチーズケーキが目に入っちゃったんですよ。(笑) 一瞬、これも入れてあげようかって思って手に取ったんだけど、しばらく見つめて、(笑) やっぱりこれは惜しいと思って、冷蔵庫に戻して閉めちゃった。だけどね、その時、こう思ったんですよ。「今日の午後、カフェタイムにコーヒー飲みながら、俺はこのチーズケーキを一人で食べて、おいしいと思えるか。・・・いや、そうは思えんだろう」って。そう思って、やっぱり冷蔵庫を開けて、ケーキも入れて、差し上げました。まあ、彼がね、チーズケーキを好きかどうかは分かりませんけど、今日という本番を精いっぱい、神の国のために生きたいっていうんであれば、今日、何か一つでいいから、もう一人の誰かに幸せを分けたい、と。
 ところがですね、昨日、うぐいす食堂で、ホームレスの方々をお招きして、みんなでご飯を食べましたけれども、そこで、手作りのおいしい麻婆豆腐が出たんですよ。それに、そのちょっと前には、入門講座で、チーズケーキが出た。(笑) ああ、神さまがちゃんと、つじつま合わせてくれたんだなと思うと、なんか、うれしかったですよ。
 きっと、われわれが奉仕したこと、愛したこと、すべては、神の国で驚くほど大きな恵み、喜びとして実ってるんじゃないかなあ。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「村田諒太のボクシングの再試合があったんですね」
 村田諒太(1986/1/12~)は、ミドル級のプロボクサー。ロンドンオリンピックで、ミドル級金メダリスト。
 2017年5月20日、有明ロシアム(東京)で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦で、アッサン・エダム選手(フランス)と対戦。判定負けで、プロ初黒星となった。
 しかし、試合内容から、判定に国内外問わず物議をかもし、WBA会長も判定を批判する異例の事態に発展。エンダム選手を指示したジャッジ二人を6カ月の資格停止処分とし、再戦の指示を出すことになった。そこで開かれたのが、同年10月22日、両国国技館で行われた再試合。
 この日の試合は、村田選手が序盤から前進し、プレッシャーをかけ、エンダムを下がらせて、試合の流れを支配。激しい撃ち合いとなり、村田選手の放つパンチが次々に決まって、8R開始前に、エンダム陣営がギブアップ(7R 終了 TKO※)。1995年の竹原慎二選手以来、日本人で二人目のミドル級王者となった。オリンピックメダリストとしては日本人初の世界王者。
(参考)
※ TKO(テクニカル・ノックアウト)
 プロボクシングで、両者の力の差が大きすぎたり、負傷のために試合が続行できないなど、レフェリーやドクターが試合を止めた場合、あるいはセコンドがタオル投入により棄権の意思表示をした場合、試合を中止し、勝敗を決すること。(コトバンク、ウィキペディアなどより)
・ 「ボクシング速報 | BOXING情報ナビ!」2017/10/24
  >「ボクシング 村田諒太VSアッサン・エンダム | 再戦・ダイレクトリマッチ!
  >「速報! 村田諒太・アッサンエンダムを破り新チャンピオンに! | 7ラウンド終了TKO!
・ 「村田諒太 王者エンダムと10月22日に再戦決定!!戦績と結果は?2017/10/23(しゃぼん玉ニュース)
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※2:「昨日のNHKスペシャル、ご覧になりました?」
【番組タイトル】
 「村田諒太 父子でつかんだ世界王座」〔NHKスペシャル 10月28日(土)放送 〕
【内 容】
 5月20日の「衝撃の判定負け」から5カ月。異例のダイレクト・リマッチが決まり、完全決着を目指す村田選手に密着。闘いから人生のヒントを見出してほしいと、哲学や心理学の本を送り続け、支え続けてきた父、誠二さんとの絆を交えて紹介。
(参考)
・ 「村田諒太 父子でつかんだ世界王座」(NHKスペシャル)
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※3:「フランクル」
◎ ヴィクトール・エミール・フランクル (1905/3/26~1997/9/2)
 オーストリア=ハンガリー帝国生まれのユダヤ人。
 精神科医、心理学者、脳外科医。ユダヤ人であるために、強制収容所に収容された経験をも持つ。その著、『夜と霧』は、特に有名。
(参考)
・ 「ヴィクトール・フランクル」(ウィキペディア)
・ 『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録(出版社: みすず書房・発売日:1985/1/23)
  (著者:ヴィクトール・E・フランクル/翻訳:霜山徳爾)(みすず書房)(amazon
・ 『夜と霧』-新版 (出版社: みすず書房・発売日:2002/11/6)
  (著者:ヴィクトール・E・フランクル/翻訳:池田香代子)(みすず書房)(amazon
・ 「ヴィクトール・E・フランクル 書籍一覧」(みすず書房)(amazon
・ 「こんなリーダーになりたい-18. ヴィクトール・E・フランクル 生き抜こうという勇気
  (佐々木常夫オフィシャルWEBサイト)
・ 「ヴィクトール・フランクル名言」(@2017 Word)
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※4:「『人生に意味を求めるのではなく、人生から何を求められているか、それに応えることが重要なんだ』というような言葉です」
 村田選手は、5月の試合のあと、さまざまなインタビューに答えているが、その中でもたびたび同様のことを口にしている。
===TVインタビューより===
 キャスター: あの敗戦から1週間。この1週間にも何か、こういった言葉に支えられた?
 村田選手 : フランクル(精神科医)の
“人生に意味を求めてはいけない。人生から問いかけに答えていくことが大切” 。だから、不幸なことがあったりとか、納得のいかないことがあって、何でこうなるんだって人生に対して文句を言ってもしょうがない。
  >「プロボクサー 村田諒太 情熱の炎は消えず(NHK「クローズアップ現代」2017/5/30放送)
===雑誌インタビューより===
 「フランクルは言いますよね、
人生に意味を求めるのではない、と。むしろ、問い掛けに対して応えていくのが人生だ、と。そうだなと思います」
  >「村田諒太は試合前でもあわてない。自分の心と対話するために本を読む2017/5/19(Number)
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※5:「パウロじゃないですけども、やがて頂く永遠なる勝利の栄冠を目指して、せめて今日一日、もう5メートルでも10メートルでも前に進んでいきましょうよ(cf.フィリピ3:13-14)
===(聖書参考箇所)===
 
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです(フィリピ3:13-14)
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※6:「名著ですよ、『イエスの現場』。滝澤武人さんという先生が書いた」
◎ 『イエスの現場‐苦しみの共有』
 著 者: 滝澤武人(たきざわ・たけと)
 出版社: 世界思想社
 発行日: 2006年6月
 単行本: 263ページ
 内 容: 貧しい者、弱い者、罪ある者など当時の最底辺者たちと共に生きたイエスの日常は、貧困と飢餓、病気と障害、差別と抑圧にまみれていた。そうした「現場」に徹底してこだわったイエスの真実の「生」を、福音書を読み直すことによって明らかにする。(「BOOKデータベース」)
*****
◎「滝澤武人」 (1943/10/2~)
 東京生まれ。最終学歴: 北海道大学大学院文学研究科博士課程(修士)
 1973年北海道大学文学部助手。1976年桃山学院大学経営学部(キリスト教学担当)助教授、同学部教授、文学部、社会学部の教授を歴任。2014年3月定年退職。2014年4月桃山学院大学名誉教授の称号を授与される。
 専攻、専門分野はキリスト教学(新約聖書学)。イエスと福音書の研究。
 日本聖公会信徒。
 代表作は、『イエスの現場~苦しみの共有』(世界思想社、2006)、『マルコの世界~イエス主義の源流』(日本基督教団出版局、2001)。
(参考)
・ 『イエスの現場‐苦しみの共有』(amazon)
・ 「滝澤武人」(桃山学院大学)
・ 「滝澤武人教授略歴[pdfファイル](桃山学院大学)
・ 「『イエスの現場‐苦しみの共有』を読んで」(個人ブログ)
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※7:「東京教区の新司教さまが決まりました」
 ローマ教皇フランシスコは2017年10月25日、カトリック東京大司教区のペトロ岡田武夫大司教(76)の引退願いを受理。後任として、新潟教区のタルチシオ菊地功(いさお)司教(58、神言会)を、東京大司教に任命した。
◎「菊地功司教」(1958/11/1~)
 岩手県生まれ。86年に司祭に叙階。94年まで西アフリカのガーナに派遣され、山中の教会を回って福音を告げ知らせた。そこでは、「極貧だが、家族や共同体のつながりが強く、人々は助け合い、支え合って生きていた」。95年にルワンダ難民キャンプでの支援活動に参加し、以降、カトリック教会の団体で、救援活動を行う「カリタスジャパン」に長年携わっている。名古屋教区の神学生養成担当や神言会日本管区長を経て、2004年5月に新潟教区の司教に任命、同年9月に司教に叙階された。
 現代日本の「異質なものを排除する空気」を問題視し、「人間関係が分断され、心のつながる共同体がなくなっているのではないか」という。
 モットーは、「多様性における一致」。
 カリタスジャパン、カリタスアジア責任者。教皇庁福音宣教省委員。教皇庁福音宣教省委員。
(参考)
・ 「東京大司教任命のお知らせ2017/10/26 (カトリック東京大司教区)
・ 「菊地司教、東京教区大司教に 2017/10/25 (カトリック中央協議会)
・ 「司教の日記 新潟司教の毎日の活動から」(菊地功司教のブログ)
・ 「司教の日記」(菊地功司教のフェイスブック)
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※8:「今日のイエスさまのお言葉は、『神を愛し、人を愛せ』(マタイ22:37-40)ですけれども」
この日、2017年10月29日(年間第30主日)の福音朗読箇所から。
 マタイによる福音(マタイによる福音書)22章34~40節)
 〈小見出し:「最も重要な掟」〉
===(聖書参考箇所)===
 
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:37-40/赤字引用者)
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2017年10月29日(日) 録音/2017年11月30日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英