さあ、スタートです!

2013年1月6日 主の公現
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ60・1-6)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ3・2,3b,5-6)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ2・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 お正月、いかがでしたか? どんなお正月でしたか? 私は大変のどかな、の~んびりした、いいお正月を過ごしました。今年のお正月、寒かったでしょう? もう、一歩も外に出ないで、ボ~ッとテレビを見ておりました。そのうちだんだん食べる物もなくなって、黒豆を爪楊枝でひと粒ずつ、つまみながらテレビ眺めて。それはのどかでしたよ。訪ねて来る人も少ないし、電話もあんまりありませんでしたし。
 1本、相談の電話がありましたけど、これがまあ、のどかな相談内容で、彼が中学生の時に私が洗礼授けた信者ですけれど、今はもう大学生です。「高校時代の仲間たちと新年会で飲み過ぎて、もどしちゃって、みんなに迷惑をかけた。どうしよう。あいつらに嫌われたらもう、ぼくは生きていけない」。(笑)
 のどかな相談だなぁと思いつつも、お返事しました。「君がどんな失敗しようとも、神さまは愛してくださってるよ」と。そして、「飲み過ぎて迷惑かけられたくらいで嫌うようだったら、そんなの、そもそも仲間じゃないだろう。君は普段、結構カッコつけで、気にしいで、そんな君がそういう失敗してるのを見て、仲間たちもかえってほほ笑ましく思って親しみを感じるだろうし、むしろ君の世話をできてうれしいくらいに思ってるはずだよ。第一、そういうことがあるからこそ、共通の思い出ができて、いっそう仲間になるんだ。神さまが出会わせてくれた仲間だろ? な~んにも心配するな」と、そうお返事しました。
 まあ、こんなのどかな相談が一年続いたらいいなあ(笑)と思いましたけど、でも、実はどんな深刻な相談も、神の愛を前にしては、のどかな相談なんです。基本は簡単なことです。あの、皆さん、どんな相談でもね、どうぞ電話してくださっていいんですけど、私の返事は決まってますから、先に言っておきますね。(笑)
 「神さまはあなたを愛してます。だから、だいじょうぶです」
 電話する前に、この返事を思い出していただければ、電話代も浮きますし。(笑)
 実際に、神さまはあなたを愛してるんです。愛して生んだし、愛して育てているし、今、愛してるんです。だから、そのことさえわかれば、平和なんです。それが一番の基本中の基本で、イエスさまもそれを言うために、それをすべての人に表すために、現れたわけですから。
 今日、ご公現の主日、神さまがご自分の愛を現したことを賛美する日です。そのことを、今年一年、基本中の基本として心に留めといてください。

 お正月のテレビで一番感動したのは、毎年大好きで必ず見るんですけど、箱根駅伝なんですよ。2日と3日は、いつもこれをず~っと見ている。これが、なかなかドラマがあってね。ただ走っているようで、駆け引きもあるし、ホントおもしろい。
 ご存じでしょう? 大手町から箱根の山の上の芦ノ湖まで行って帰ってくる。10区間に分かれててね、行き5区間、帰り5区間。それを、大学対抗で、リレーでたすきつないで走るっていう、まあ、それだけなんですけど、途中山登りもありますしね、いろんなドラマが生まれて。
 特に今年は、優勝候補だった駒大、東洋大が負けたんですよね。で、ホントに誰も予想しなかった、かつて30年前に優勝して以来駄目だった日体大がね、去年最下位みたいな惨敗だったのに、30年ぶりに優勝したんですよ。これはドラマでしたね。5区の山登りで、服部くんが優勝候補校を追い抜いていく姿とか、胸熱くなりました。
 ああいうドラマには励まされます。私はすごく、ああいうアスリートたちに励まされます。だって、頑張ってるから。本気でやってるから。だから応援したくなるし、こっちも応援されてる気になる。ふらふらになって、最後もう、たすきを渡す寸前に倒れそうになってた選手もいましたよね。もう千鳥足なんですよ。あれ、脱水症状なのか、低体温症なのか、ふらふらでね。待ってるみんなが「がんばれ、がんばれ!」って叫んでて。そして最後、次の選手にたすきを渡して、倒れ込む。タンカの上で酸素吸入かなんかされてる姿、全力使い果たして倒れ込んでいく姿なんかには、ホントに感動させられる。
 そんな彼らの精いっぱいの姿を黒豆つつきながら見てて、「俺、何やってんだろう・・・」。(笑) 「さあ、こうしちゃおれん。よしやるぞ! 今年、俺もがんばるぞ!」っていう気になりました。
 さて、じゃあ、どう頑張るかですけど、それについては、それぞれのチームの監督さんが語っていたことが印象的でした。たとえば、負けたチームの監督さんは「体調管理がなっていなかった」とかね、これはキャプテンが当日熱出しちゃったそうです。あるいは、去年の優勝校の東洋大なんか、ここ数年はすごく強かったんですけど、「やっぱり慣れがあった」とか言ってるんですよ。それに対して、勝った日体大の監督さんがね、去年惨敗して、一年間でチームを立て直そうと思ったわけですけど、そのためにどうしたらいいかということで、学生たちに言ったことは、もう、ただ一つのことなんです。
 「当たり前のことを、ちゃんと当たり前にやる。これがきちんとできたら、自分たちは必ず成果を出せる」
 この、「当たり前のことを当たり前にやる」っていうことが、ホントに難しいんですよね。だからこそ、その監督もそう言うわけですし、実際負けたところは、体調管理ができていなかったとか、心に慣れがあったとか、そういうこと言うわけでしょ?
 当たり前のことを毎日大事にして、ホントに素晴らしい目的のために、きちんとやるべきことをやり続ける。慢心することなく、常に初心、原点に返って、やることをちゃんとやっていく。やっぱりそういうチームがちゃんと最後は栄冠に輝くっていうのは、なかなかドラマでもあり、大事なことを教えられた気持ちになりました。

 「よし、やるぞ!」って、じゃあ、われわれキリスト者が、「当たり前のことを当たり前にやる」って何なのか。それはやっぱり、さっきの電話の相談じゃないですけど、「神は私を愛している」「神はすべての人を愛している」「だからだいじょうぶだ」っていう、この当たり前の福音を、どこまで毎日毎日信じ続けられるか、くよくよするようなとき、争い合っちゃうようなときに思い出して、「神の愛」というその原点に立ち返れるかってことでしょう。
 これを毎日、朝起きてから夜寝るまで続けるってことは、確かに大変なこと。()まず(たゆ)まず、くよくよせず、いら立ったり争ったり恨んだりすることなく、常に信仰の基本に立ち返る。まあ、たとえイライラしたり、くよくよしちゃったとしても、十字をひとつ切って、すぐに原点に立ち返って、「神は私を愛してるんだから、神はみんなを愛してるんだから、イエスさまがそれを教えてくれたんだから、そのイエスについて行こう」と。
 3人の博士も、希望の星を見て、ず~っと信じて旅を続けてきたわけでしょ? そして最後は救い主にお会いできる、神の救いを目の当たりにできるという、そんな輝かしいゴールをちゃんと体験できたわけでしょう。そこにはやっぱり、当たり前のことを信じてやり続ける一歩一歩があったんじゃないですか?
 神さまがご自分をちゃんと現した。これがもう、すべての原点です。この原点によって、私たちは、「神は私を愛している」「すべての人を愛している」「みんな救ってくれるんだ」、そういう喜びを生きることができるようになったのです。だからわれわれは、毎日、信仰を持って、日々希望を持って、ゴールに向かって歩み続けることができるわけでしょ?
 今年一年、そんな思いで生きていきたい。ず~っと。一歩一歩ですよ。だいじょうぶです。神さまがもうご自分を現したんですから、それを邪魔しようとする力はあっても、勝てるわけはないんです。ヘロデがいくら謀略の限りを尽くし、暴力でそんな赤ん坊はたたき殺してやると言っても、神さまがご自分を現している以上、けっしてそれは邪魔できない。
 この一年、どんな邪魔が入るかわかりませんけれど、輝くゴールを目指して、当たり前のことをやっていきましょう。朝起きたら「ああ、神さまの愛のうちに目覚めた」と十字を切り、夜床に就く時に「ああ、神さまの愛のうちに一日過ごせた」と、丁寧に十字を切る日々。そんな当たり前のことを続けていくと、なんかすごいゴールが待ってるんじゃないですか? そういう希望に支えられますよ。
 「ご公現」って、お披露目でしょ? 神さまがご自分を現してるわけですよ。もうそれは、完全なことなんであって、それを指し示す星はもう消えることがない。ご公現は「公に現す」ということで、あまりなじみのない日本語ですけれど、日本語で普通に言えば「お披露目」ってやつですね。自分の大切なもの、自慢のものを、公に、みんなに見せる。
 たとえばスティーブ・ジョブズが、記者を集めて、iPad(アイパッド)とかiPod(アイポッド)とか、お披露目するでしょ? ステージ上で。もう、ご自慢の商品ですよ。さあこれでみんなが喜ぶぞ、世界が変わるぞ・・・と、誇らしげにお披露目する。
 この前の結婚式なんかでも、私の姪とだんなが、まさに「披露宴」でね、お披露目をしていましたよ。司会者が「それでは新郎新婦の入場です」って言うと、ドアが開いてスポットライトが当たって、二人が披露宴会場に入ってくるわけでしょ? 二人はもう結ばれた、幸せな夫婦だ、さあ皆さんご覧くださいと、誇らしく披露している。
 救い主を披露する、神さまの誇りを感じてください。「さあ、この幼子イエス、私の愛。この救い主を見てくれ!」。それを目の当たりにしたら、私たちにとって、もう、あらゆる邪魔はないも同然。後はもう、その輝かしい救い主を仰いで付いていくばかり。そんな2013年を始めましょう。今年、私たち多摩教会が、輝かしい救い主そのものとして、この地で光を放てるように、私たちみんなで心を一つにしましょう。
 昨日の司牧準備委員会で、「教会の塔の上の十字架、明るくしましょう」っていう意見が出ていて、今日この後の司牧評議会で提案されるでしょうけど・・・いいですねえ、ぜひやりましょうよ。LEDか何かで、ピカーッと光らせましょう。「この十字架をご覧ください、この輝きの下に、救いがありますよ」ってお披露目したいわけですよ、私たちはね。「あなたは悩んでるかもしれない。もうダメダメだと思ってるかもしれない。でも、ここに救いがありますよ」と。それはもう、神ご自身がその救いを現した。それはもはや、隠しようもない。私たちはその輝きをこの世に現す仲間なんだから、この「お披露目」ってやつを、ちゃんとやりたい。

 先週の説教で、先日のクリスマスの夜の、あの天国のようなクリスマス会の話、しましたでしょ? 「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」っていうのを、今年から始めたわけですよ。これはいい集まりでした。50人くらい集まってね、ホントに天国みたいでしたよ。苦しい人たちがなんとか集まって、お互いに分かち合って。心の病を抱えて、元気な人たちのクリスマス会なんかとても行けないっていうような、そんな人たちが、「ここなら!」と集まって来てくれた。
 そうしてみんなが集まってくれるのは、ここに、あなたこそ来てほしいというイエス・キリストの願いがあるからです。「そのイエスが救ってくださるから、ここにおいで」という信仰があるからです。「イエスのもとに行けば、きっと救われる」という希望があるからです。すべて、神の愛の現れであるイエスさまがなさってることなんですよ。
 私も入口付近でお迎えしてたんですけど、門のところまで出ていってお待ちしました。だって、もしかしたら、「やっぱりここは私の来る所じゃない」って(きびす)返す人がいるかもしれないから、外で待ってたんですよ。実際、どこか遠慮している人もいて、「さあ、どうぞ、お待ちしてました」と招き入れることができました。もっとも、中には三日前に元気にチキン食べてた人も来た。(笑)私の顔を見ると、ハッとした顔をして、「あの、私、心病んでるんです!」って言うから(笑)、「どうぞ、どうぞ。あなたのためのクリスマス会ですよ」って申し上げました。
 まあ、考えてみたら、「心を病んでる人のためのクリスマス会」っていったらもう、全人類集まんなきゃなんない、そういう病んだ世の中になってるような気もしますしね。そんな中で、特につらい人たちのためにやったということですけど、そういうことを一番にしつつ、全人類に向かって、「ここに救いがある!」って自信を持って言える教会でありたいじゃないですか。そういう教会目指しましょうよ、2013年。
 その日来られた方の中のひとりは、まったく多摩教会のことも知らず、もちろん晴佐久神父のことも知らず、最近心が苦しくって、救いを求めて、インターネットでいろいろ調べてこのクリスマス会を知ったっていう方でした。そのいきさつをみんなの前で話してくれたんですけど、救いを求めて、どこの教会に行ったらいいかと、インターネットで検索してたんですって。で、「評判のいい教会」って、(笑)検索してみた。そうしたら、カトリック多摩教会が出てきたんですって。(笑)
 良かったですねえ。これ、ますます評判良くしましょうよ。皆さん、ネットに「多摩教会いいですよ~♪」っていっぱい流しましょう。「神父は怠け者で黒豆食べてばかり」とか、(笑)そんなことは書かずに、「あそこに行けば救われる」「私もそこで元気が出ました」って、ネットで表しましょうよ。その方はおかげで、現にここに来て、感動して喜んで、「今までの重荷を下ろしてほっとした」って言ってくれたわけでしょ? 先週お話したとおり、会の終わりごろには「家に帰りたくないよぉ」って泣いた人もいたんですよ。
 ご公現なんです。神さまが、イエスさまによって、ご自分の愛を表している。だから、何かそのお手伝いをしないと。だって、いくら表しても、それを知らなきゃどうしようもないわけでしょ? 星も現れなくちゃ博士は来なかったんです。神さまは、ともかく福音を表そうとしてるわけですから、われわれは、その協力をします。2013年の目標です。

 木曜3時の「おやつの会」、これ、年中無休でやってますから、今年のお正月もやりましたけど、いろんな教会から来た人たちが集まってました。それがまあみんな、おんなじようなこと言うんですよ。「今の教会は閉鎖的だ」とか、「私の教会はとても居づらい」とか。だからこそ、それこそ評判聞いて「おやつの会」に来るんでしょうけど。「おやつの会」って、まさにそういう会ですからね。ネットや口コミで、「誰でもいいです。ただおやつ食べに来てください」「ともかくあなたに来てほしいんです」っていう情報を発信してるわけでしょ? そうすると、そこに人が集まって来る。そして、日ごろは迎え入れられていないつらい思いみたいなことを、みんな口にするんですよ。私は、よその教会のことあんまり知らないから、そういう声を聞いて知るだけですけど、現実にそういう閉鎖的な教会がいっぱいあるらしい。
 そんな話をしていると、ちょうどそこに電話がかかってきてね、その電話がおんなじ相談だったんです。日本の教会は排他的だって。私、おもしろく思ってね、こういうの共時性っていうんですかねえ、その方に、「今、おやつの会でおんなじ話をしてたとこですよ」って言ったら、その方が「そうでしょう! 今度ぜひ、そこに行きます」って盛り上がってました。その方は、「今の日本の教会の特徴は、固い、暗い、冷たいの三つです」って言うんです。「固い、暗い、冷たい」って・・・そんなとこ、誰も行きませんよね。私、「でも、きっと神さまがね、柔らかくて、明るくて、あったか~い教会を、必ず見せてくれるから、教会を信じて、あきらめずに教会に行ってくださいね」と、そう電話ではお話したんですけど、電話を切って戻ってきて、「おやつの会」のみんなに、「ちょうど今の話もね、教会は固い、暗い、冷たいって話でしたよ」って言ったら、ある方が、「うちの教会はそれに『怖い』が加わる」って。(笑)「固い、暗い、冷たい、怖い」か~。
 そりゃ確かにね、わが多摩教会も、ちょっと固いところがあるかもしれない。私もちょっと冷たいところがあるかもしれない。現実には、確かにいろいろ足りないところもあるかとは思うけれども、でも、私たちは信じてるんです。「固い、暗い、冷たい、怖い」、それはヘロデの話であって、イエス・キリストは、「柔らかく、明るく、あったか~い」救い主だと。「そんな救いがここにあるから、ぜひ信じて来てほしい」って、やっぱり言いたいですよ。
 今年一年、そんな当たり前のことを信じて、ちゃんと一日一日、出会う人に明るくして、訪れる人にあったかくして、いろんな問題があっても、柔らか~く受け止めて、「キリストの教会」っていうのを始めましょう。

  2013年始まりました。さあ、最後は、あの日体大の仲間たちがワクワクしながら待ち受けているゴールみたいに、素晴らしい輝きの瞬間が待ってますから。・・・さあ、スタートです!

2013年1月6日 (日) 録音/2013年1月10日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英