絶対に滅びません

2012年1月8日主の公現
・第1朗読: イザヤの預言(イザヤ60・1-6)
・第2朗読: 使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ3・2、3b、5-6)
・福音朗読: マタイによる福音書(マタイ2・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 「明けましておめでとうございます」なんて言ってから、あっという間に一週間が過ぎました。楽しい時は早く過ぎるといいますけれども、もう一週間過ぎちゃったんですよ。今年も残すところ、あとわずかとなりました。(笑)楽しい日々は、どんどんと過ぎてまいります。
 皆さんのお正月は、どうだったんでしょうか。私もまあ、楽しいお正月だったんですけど、思うようにいかないこともあり・・・。毎年1月3日は、晴佐久家の新年会ってことで、私の姉一家、弟一家、いとこ一家なんかがみんな集まって、20人くらいですかねえ、わいわいとやりました。甥や姪たちも、会うたんびに大きくなって。私、子どもおりませんから、甥や姪たちが集まるのが、ちょっとこう、うれしいですねえ。まあ、広い教会っていう地の利を生かして、みんな集まれと毎年、「肉で釣る」っていうんですか、(笑)おいしいすき焼きをどーんと作って待ってると、みんな集まって来るわけですよ。私、結構、年に一度のこの集まりを楽しみにしているんです。ところが、今回、前の夜に体調が悪くなって、思いっ切り吐いて熱まで出て、一晩よく眠れず、朝になっても調子悪く・・・。結局、せっかくのすき焼き、ぜんっぜん食べられなかったんですよ〜。(笑)みんなともあんまりおしゃべりできず。これはもう、残念の極みでした。でもほら、先週1月1日に、「たとえ思うようにいかないことがあっても、すべて神の祝福のうちです」なんて説教した手前、(笑)これも神のみ心のうちと信じて、受け止めるしかなく。まあ、もっともそのおかげで、私の分のお肉をみんなガツガツ食べられたわけだから、いいんですけど。
 この、思うようにいかないとき、体調悪いとか、不運な出来事に見舞われたとか、そういうとき、「それでもなお、神の祝福のうちにある」って信じるってね、実際にはなかなか大変ですね。元気な時はいくらでもそう思えるけど、その渦中にあってはなかなかそうは思えない。でも、そのうまくいかないことのうちにこそ、神さまの計り知れない思いがあり、実際にはその方がいいことなんだっていうことが次第に明らかになっていく、それは信じるべきですよ。

 人間の計画っていうものは、これは実際には思うようにいかないし、もしもそれが思うようにいったら、かえって良くなかったりする。ここは大事なポイントですね。いい例が「ヘロデの計画」です。ヘロデは、まあいつも、自分の思うとおりに生きてるわけですよ。全て自分の意のまま。権力と富と軍事力を持って、全て意のまま。でも、仮にすべてヘロデの思うとおりになってたら、誰も幸せにはならない。「未来の王が生まれた」と聞いて、「見つかったら知らせてくれ、わたしも行って拝もう」なんて言ってるけど、実際に見つけたら殺しちゃうわけでしょ。そんなの、目に見えてるわけです。つまり、ヘロデの計画どおりにいってたらイエスは殺されてたってことですよね。もう、生まれてすぐに。これが人間の計画ってやつです。
 人間の思うとおりになんかいってたら、ろくなことにならないんです。およそ人間ていうものは、その心に何らかの(よこしま)なものを抱えているわけですから、その思うとおりになったりしたら、かえって良くない。人間の計画については、それくらい謙遜に思ってた方が良さそうですね。逆に、思うようにいかないときに、「ここに何か秘密があるぞ」と、「ここにこそ神さまからの呼び掛けがあるぞ」と、「むしろこの思うようにいかない現実を受け入れることで、神さまの計画に協力するぞ」みたいなね、そういう謙遜さが、きっと大きな目で見れば、私たちに神の国の喜びをもたらすことになるんじゃないか、そう思っていただきたいわけです。今年、どういう年になるか分かりませんけども、思うようにいかないときに、そのことを思い出しましょう。ヘロデのようにはならないぞって。
 博士たちが帰っちゃったと知って、ヘロデ怒り狂ってね、辺りの2歳以下の子どもを皆殺しにしたわけですからね。何というか、自分の思うようにいかない現実を受け入れられないって、恐ろしい結果を生んだりもするのです。そういう、ヘロデの暴力みたいなことっていうのは、私たちの中に秘められた悪として存在しますし、それはやっぱり、自分でコントロールしていかなきゃならないっていうことでしょう。皆さんも経験あるんじゃないですか? 思うようにいかないときに、怒り狂ってみんなを苦しめるなんていうこと。ですから、そんなときに、「ああ、今こそ、この思うようにいかないときこそが大切なんだ」って思っていただかないと。

 しょせんは「人間の計画」であって、どのみち思うようにはいかないし、それでいい。私たちは「神の計画」にこそ従う、それが信仰です。「人間の計画」とか「人間の予言」とか、そんなものを当てにしちゃいけない。こだわってもいけないし、信じてもいけない。なんですか、聞くところによると、今年は「人類滅亡の年」だそうじゃないですか。ご存じですか? マヤの予言によると、2012年に人類は滅亡するんだそうですよ。細かいんです。2012年12月23日。12月23日って、多摩教会の「祈りと聖劇の夕べ」の日じゃないですか(笑)。今年は開始時間を少し早めにしよう(笑)。劇の途中で滅亡しちゃったら、残念ですからね(笑)。
 こ〜んな予言、全く気にする必要ないですよ。実にくだらない。私たちが信じるのは、「神さまの計画」です。第2朗読で、パウロが言ってました。「秘められた計画が啓示によってわたし(たち)に知らされた」と。それは、神さまがイエス・キリストをとおして全ての人を救うっていう計画のことです。これはもう、私たちに明らかにされているんですから、「すべての人が神の計画のうちにちゃ〜んと救われる」っていう、この啓示だけ信じていればいいんです。このミサにも、「この宗教を信じないと滅びるぞ、滅びるぞ」っていう新興宗教で苦しんだ人が来ていますけれども、何年何月に滅亡するなんていう人間の予言なんか信じてたら、私たちのうちに真の喜びはありえない。
 「『すべての』人が救われる」。あなたも、私も、今苦しんでるあの人も、今恐れているこの人も、選ばれた民も、異邦人も、み〜んな福音によって必ず救われる。この啓示が明らかにされた。今日、ご公現の主日ですけども、その啓示そのものであるイエス・キリストが、われわれの中に輝き出た。もう救われたんだ! これだけ信じていれば、私たちの中に永遠の喜びがある。実は「恐れる」っていうことが、もう既に「滅び」なんですよね。その滅びから、この啓示は救ってくれるんです。

 この話、結構広まっててですね、先週、行きつけのお店で髪切ってもらってたら、もう10年前からのお付き合いの美容師さんですけれど、髪を切りながら言うんですね。「晴佐久さん、なんか今年は滅びるらしいですねぇ」(笑)。「自分は結構小心者で、信じやすいたちなんで、2012年に滅亡とか聞くと、ホントにそうなのかなって気になっちゃって。そんなことを気にしている自分がまた嫌なんです」とか言うんですよ。だから私、まあ、いつでもどこでも「福音宣言」ですからねぇ(笑)。髪を切られながらでも、「そんなマヤの予言を信じずに、晴佐久の預言を信じなさい」って申し上げました。(笑) まあ、彼は私が神父だって知ってますし、それなりに信頼してくれていると思いますから、はっきりと申し上げました。「絶対に滅びません」と。
 その時お話ししたんですけど、「それが本当の予言であるか、偽の予言であるか、それを簡単に見分ける方法を教えてあげます。あなたがそれを聞いて怯えたら、それは全く偽物です。あなたがそれを聞いて希望に溢れたら、それは本物です。バロメーターはあなたの心です。神はすべての神の子を愛してますから、わが子を脅かすようなことは言いません。恐ろしくなるようなことを聞いたら、それは神からのものではありません。嬉しくなることを聞いたら、それは神からのものです」・・・美容師さん、「そうだったんですか〜」って、すっかり感心しながら切ってるんで、「あんまり切りすぎるなよ」って(笑)思いましたけど。
 そもそも、あのマヤの予言って、「滅びるぞ」って言ってるわけじゃないんですよ、最初っから。その日でマヤ式のカレンダーが終わるっていうだけの話なんですね。紀元前3114年の8月13日から数え始めたそうで、なんでその日なのか知りませんけど。ともかくカレンダーは無限てわけにはいかないから、187万2千日分作ったと。これだけあったら十分だろうって思ったんでしょう。で、その187万2千日目が2012年12月23日だと、それだけの話なんです。けれど、いつのころからか、誰かがカレンダーがそこまでだから、その時人類は滅びるんじゃないかって言い出した。正確に言うと、「滅びることを恐れる人」が滅びるんじゃないかって言いだした。つまり「恐れ」が生みだす「恐れ」なんです。つまらん話ですね〜。人間の心の中の恐れる心が、さらなる恐れる心を生んで、人を怯えさせる。これが人間のやることです。
 人を苦しめる「人間の計画」とか、人を怯えさせる「人間の予言」とか、そんなようなものは、ま、全部偽物だと思っていただきたい。本物は、それを聞いて、心に「輝き」が、「喜び」が、溢れてくるかどうか。それですぐ分かる。「博士たちはその星を見て喜びにあふれた」って、福音書で読まれましたけれども、心にその喜びがあるならば、その星は本物です。目指すべき星です。
 今年も噴火だとか、次なる地震だとか、みんないろんなことを恐れておりますけれども、私たちが本当に大切にしなければならないのは、自らの心に永遠なる救いの喜びが溢れているかどうか。秘められていた神さまのご計画は、ちゃんともう明らかになっています。パウロの手紙にも、「それはキリスト以前の時代には知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、信じるものに啓示されました」とあるじゃないですか。私たちは、もうそれを知っております。そして、この永遠なる喜びを知っているものはもはや、恐れない。

 今日、新成人祝福ミサでもありますが、新成人の方々にも、「恐れるな」って言いたいですよ。格差社会だとか、失業率高まる中で就職が決まらないとか、問題はたくさんありますけれど、何も恐れることないですよ。これからいったい日本はどうなるのか、現代社会はどうなるのか、この地球はどうなるのか。問題だらけの中で、しかし、何も恐れることはない。なぜなら、あなたたちは啓示の星に導かれて今日この聖堂へやって来て、イエスさまの名のもとに新成人の祝福をしてもらうんだから。これ以上の成人式はない。まさに「選ばれし人たち」ですよ。そんな、ディズニーランドでの成人式なんて、もう、ぜんっぜん!(笑) あそこで福音が語られるなら、別ですけれども。
 今日、福音を聞き、神の祝福をもらった二十歳(はたち)は、これからの人生、意気揚々ですよ。だって、神さまの計画に協力するんだから。信じるって、そういうことです。人間の計画に生涯を捧げるわけじゃない。神の計画を信じて生きるんです。自分の計画を実現させようとだけ思ってると、いつしかヘロデのように「皆殺しだ〜!」みたいな話になる。神の計画に協力すること、これこそが私たちの希望です。神さまは、全ての人を救おうとして働いておられます。そのみ業に、私たちも協力しましょうよ。今年の新成人の中には、召命を考えている人もいるようですけれど、召命とは、神さまがご自分の計画を実現するために、その人を用いてるってことなんですよ。将来どんな仕事に就くにせよ、どのような家庭をつくるにせよ、「これは神さまの計画に協力することなんだ」、そういう思いで、ぜひ、神さまのために人生を捧げていただきたい。今日、新成人の祝福をいただきに来られた皆さんに、この後、御聖体の秘跡によって、イエスさまご自身が、すなわち神のご計画そのものが宿ります。それによって皆さん自身もまた、啓示になっていくんです。あなたたちは、神に選ばれて、「全ての人が救われる」というキリスト教の信仰を広めるために、今から遣わされます。
 新成人たちを通して、今年、素晴らしいことがたくさん起こることを、ご一緒にお祈りしたいと思います。

2012年1月8日(日)録音/1月11日掲載
Copyright(C) 2011-2015 晴佐久昌英