「サプライズ・神の国」

2012年9月2日年間第22主日
・第1朗読:申命記(申命記4・1-2,2-6)
・第2朗読:使徒ヤコブの手紙(ヤコブ1・17〜18,21b-22,27)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ7・1-8,14-15,21-23)

【晴佐久神父様 説教】

 昨日は、岡山に日帰りで講演会に行ってまいりました。よく働きますよ、この神父。(笑)
 広島教区の「幼稚園・保育園教職員研修会」ということで、岡山教会に、幼稚園・保育園の先生方が大勢集まりました。最近、そういう集まりに呼んでいただくことが多いんですよ。そういう所でお話するの、実は大好きなんです。・・・なぜなら、皆さんすごく若い!(笑)講演会っていうと大抵、わりと年配の方が多いんですけど、幼稚園の先生たち、とっても若いし、若いからこそ、「そうなんですか!」って驚く顔で聞いてくれます。あれは、話してる方も嬉しいですよ。
 昨日お話ししたのは、「子どもの心とちゃんとつながってあげてください」って話です。
 「子どもたちとちゃんとつながってさえいれば、それでもう、すべてOKです。神さまは、そのためにあなたを選んで、小さな魂を持ったひとりの子どもと出会わせてるんです。だから、立派な先生じゃなくてもいい、うまくお話できなくてもいい、才能なんかなくてもいい。ただ、部屋の隅っこでドキドキしながら幼稚園になじもうとしている小さな瞳を見つけて、近くに行って、『だいじょうぶよ。先生、あなたが大好きよ』って手を握ってあげれば、そこにすごく大切なものが通じ合う。もう、それこそが子どもにとっては最高の喜びなんであって、そのようなつながりのために、この世界があるようなもんです。先生方、ぜひ小さな子どもに寄り添って、つながってあげてください。それは、実は大人になってもおんなじで、みんな『もっと私を見て!』『私の心をわかって!』『もっと私をかまって!』って思ってる。でも特に、幼稚園生なんていうのは人生始めてすぐですから、そこに、『君に会えて良かったよ』『あなたと一緒にいてうれしいよ』、そう言ってくれる先生が現れたら、『この世界って、私が生きていくのにふさわしい世界だ』『この世界って、私がいていい世界なんだ』、そう思えるじゃないですか。そんなことを5歳で思えたら、その人生はホントに祝福されたものになるんじゃないですか」と。
 幼稚園の先生、大きい仕事してると思いますよ。ロンドンオリンピックの話もしました。「開会式、素晴らしかったですよ〜♪」って。「入場行進で全世界からみんな集まったとき、涙こぼれました」っていう話。最後にみんな揃ったとき、「人類、やればできるじゃん!」って気持ちになったこと。
 それでいうんだったら、たとえば幼稚園の入園式なんてね、一人ひとりがドキドキしながら集まって、これからみんなと一緒に楽しくやってくんだっていう、その最初のお集まりじゃないですか。だから、「それこそオリンピックの開会式みたいに、よ~く準備をして、みんながホントにワクワクできる入園式にして、『さあ、みんな揃った。これが神さまの望みだ。ここから素晴らしいことが始まるぞ!』っていう、感動の入園式にしてくださいよ」っていうお話もしました。
 手間暇かけて工夫して、子どもたちが「ここは天国か!」って思えるようなね、そんな幼稚園の始まりの入園式を体験できたら、これは幸せだと思いますよ。「君が来てくれたおかげで、全員揃った。もう、これでだいじょうぶ」。オリンピックみたいに、「全員揃いました。ただ今より、新年度の幼稚園始めま~す!」って開会宣言したらいい。

 なんかこう、いつもいつも同じようなことばかりしていると、そういう「工夫」っていうか、「新しいチャレンジ」っていうか、「手間暇かけて一人ひとりのことを」っていうようなことが薄れてっちゃうっていうのがあって、たとえばこういう教会でもね、新しい人が来てもほったらかしにしたりとか、みんながこうして揃っていることがどれほど素晴らしいかっていうことが分からずに、誰かひとりが去っていくことに平気でいるような、そんな教会だったら、・・・寂しいですねえ。神さまが、全員揃えてくださったんだから、このオリンピックならぬ、神の国の目に見えるしるしであるこの集いが、どれほど美しく素晴らしいものであるかっていうことを、お互いにもっと分かりあって、受け入れあって、みんな揃ってるってことをちゃんと感謝したい。
 今日だって、いろんな思いでいろんな方が来られてるわけでしょう。遠くから来た人もいる。そういう方が、こうして大勢集まっている中に恐る恐る入ってきて、「私なんかがいていいのかしら・・・」とか「私なんかいなくても、この集まりはあるのよね・・・」と思うとしたら大間違い。あなたがそこにいることで「全員揃った」っていうことになるんです。この集まりは、そういう集まりです。
 イエスさまが、さっき怒ってましたでしょ。あなたたちは人間の言い伝えを固く守って、神の掟をないがしろにしている、と。人間の言い伝えって、すごく人を縛りますよね。宗教的伝統っていうんですかねえ。今までず~っとそんなふうにやってきたっていう決まりごと。一人ひとりの人間を大事にするんじゃなくって、その掟のために人間が使われているような、そんな宗教というか、社会というか、そういうものを、イエスさまは「これ、おかしいでしょ」と。神の掟こそが第一なんだから。つまり、神さまの愛によって私たちが生かされていて、神の愛につながっていてこそ私たちが存在しているっていう、そういう神の掟に気づいていたら、隣に座ってる人は全然知らない人に見えても、「本当に、あなたがいてくれるおかげで私もいる」っていうような、そういう集まりになる。多摩教会、そういう集まりであってほしいですよ。

 先週無事に無人島キャンプから帰ってきました。今年のメンバーに、今日もそこに来ておられますけれども、10年前にあの無人島で結婚式をした二人がいるんです。無人島での結婚式、大変でした。でも、キャンプの素晴らしい仲間たちがよ~く準備して、無人島の浜で、教会の聖堂とおんなじ結婚式をしたんですよ。っていうか、私は最初断ろうと思っていて、断る口実に「教会でやるのと同じ結婚式ができるならやってもいいぞ」って言ったんです。半端な結婚式なんかしたくないから、「無人島にちゃんとご両家の両親を呼んで、オルガンが鳴って、二人は立派なドレスを着て、披露宴で冷たいシャンパンが出ないなら、(笑)私はやらないよ」って言ったら、仲間たちが「全部揃える」って言うんですよ。
 それならって、私がプロデュースして企画して、一大プロジェクト組んで、実現させました。とはいえ、大変でしたよ。何日も前から浜に大きなタープの聖堂を建てて、珊瑚で積んだ祭壇を作って。当日にはご両親はじめ、親戚友人一同もやって来て、そしていよいよ式が始まると、司会者が言うんです。「それでは、ただ今より、新婦が上陸いたします」。(笑)すると沖のクルーザーから、まっ白なウエディングドレス着た新婦が、ゴムボートで上陸してくる。(笑)入祭の歌が流れる。オルガンは無理でしたけど、仲間たちが20人以上の楽団をつくって演奏しました。オルガン以上でしたよ。私も祭服を着て、結婚式ミサをした。それはこの25年間の、あの無人島キャンプの歴史の中でもスペシャルな出来事でしたし、仲間たちも本当にみんな、素晴らしい体験ができたって思っています。
 その後もこのご夫妻、このキャンプを支えてくれたんで、今年10年目に当たって、「あの結婚式の10周年をやろうじゃないか」っていう話になった。そうなった時に、私はこの二人をなんとか喜ばせたい、どうやったら喜ばせられるだろうかといろいろ考えて、思いついたのが「サプライズ・ライブ」です。
 ちょうどこの教会には今、ライブをやるような若い仲間がいっぱい来ていてバンドもつくれるし、そんなみんなも無人島に行くって言ってるんで、島の浜での10周年のお祝いの時に突然、マイクとアンプも使う本格的なライブをやって驚かそうと。
 そこで、仲間7人集めて「サプライズ・バンド」を結成して、3カ月も前から教会近くのスタジオを借りて、毎週のように練習を繰り返しました。バンドは3名、ボーカルギターにベースギターとパーカッション、トランペット。ほかに照明や小道具でスタッフ4名。その当の二人はもちろん、他のメンバーにも絶対分からないようにして、練習を重ねました。
 大成功でしたよ。どうやったかっていうと、記念日の夜、浜で二人のお祝いをしたんですけど、初めに私が二人のためにお祈りをして、その後で、「さあ、では二人のために歌のプレゼントで~す」とか言って、バンドのボーカルに、アコースティックのギター1本で歌を歌ってもらいました。ご存じ、「スタンド・バイ・ミー」。名曲ですよねえ。「いつも一緒にいる、そんな二人に捧げます!」とか言って、「スタンド・バイ・ミー」を歌いました。あの有名なベースのイントロ、ご存じですか?(♪神父、メロディーをハミング♪)(笑)このイントロに続いて歌が始まるわけですけど、これを、わざとショボく歌うんです。(笑)声が小さいし、キーも低い。仲間たちはみんな、「あれ? よく聞こえないな。緊張してるのかな?」って感じる。でもまあ、そこはみんな優しいから、手拍子したりして応援して、いっしょけんめ聞いてくれてるわけですね。ご夫妻も、自分のために歌ってくれてるわけだから、嬉しそうに、しかし少々我慢しながら(笑)聞いてくれてるわけですよ。なんにせよ、声が聞こえないんです。屋外だし、風や波の音もするからね。
 みんなが彼に注目しているその間に、みんなの背中側、暗〜い波打ち際の方に、スタッフが秘密で持ちこんだライブセットを準備するんです。マイク、マイクスタンド、充電式のアンプ二つ、エレキギター、エレキベースギター、パーカッション、トランペット・・・そこにバンドの残り二人がスタンバイして、合図がくると、私がいきなり怒り出すんです。
 「もういい、やめてくれ。声が小さいっ。そんないい加減な歌、歌うな。ぼくは、二人の10周年に、素晴らしい歌をプレゼントしたいと思って君を呼んだのに、なんだ、そのいいかげんな歌は。ぼくがいつも『やるならちゃんと!』って言ってるのが分かってるだろ! お前はいつも路上ライブで元気に歌ってるじゃないか。なんでここで歌えないんだ」。
 そう言って怒ると、彼が逆ギレするんです。(笑)
 「路上ではマイクとアンプがあるから歌えるんだよっ」。
 私もまた言い返す。
 「お前はいつもそうやって、言いわけ、言いわけ! じゃあ、今ここにマイクとアンプがあれば、お前は真面目に歌うか。ちゃんと歌うか?」
 「おお、マイクとアンプがあったら歌うよっ」。
 ・・・あの、これ、二人でずいぶん練習したんですよ。(大笑)時間かけて、何度も何度も。でも、練習の成果ありましたよ。みんなね、怒ったことがない「はれれ」が、神父が怒り始めたってんで緊張しちゃってね、中には、「まあまあ、いいじゃないか。そんなに言わんでも」って顔する人もいてね。(笑)だけど私もう、キレまくり。
 「じゃあ、マイクとアンプを出してやるからちゃんと歌えよ」
 「そんなもん、この浜にあるわけないじゃないか」
 「い~や、俺の力を知らないな。出してやろうじゃないの」(笑)
 そうすっと向こうも引っ込みつかず、
 「あとパーカッションもいるね。それにベースも必要だねっ」と言い返す。
 「ああ、分かりました。パーカッション出しましょ。ベースも出しましょ。その代わり、全部揃ったら魂の歌、歌えよ!」。
 そう言って神父、やおら手を天に上げてですねえ、天に向かって叫ぶ。
 「マイクゥ~!」「アンプゥ~!」「パーカッショ~ン!」、そしてみんなの背中、海に向かって「ベースゥ~!」って、手を伸ばして叫ぶと、みんなの後ろからいきなり大音量で、あの「スタンド・バイ・ミー」のベースのイントロが、ドゥン、ドゥン、ドゥルルンッ♪・・・って入る。(笑)
 ビックリしてみんな振り向く。ボーカルがそちらに回って行って、エレキギターを抱え、ジャ~ンッと鳴らすと、ライトがパンパンッと当たって、みんな呆然とする中、全6曲のライブが始まる。
 ボーカルは、今度は思いっきり元気に「スタンド・バイ・ミー」を歌うんです。盛り上がったところで、スタッフが準備していた金銀のテープが飛び出すでっかいクラッカーを鳴らしたり、夜でも蛍光で光る棒があるでしょ? あれをみんなに配って振ったり、そして最後にはバンドの後ろで、花火がバババババンッと上がるという。
 ・・・ぜ~んぶ練習したんです。ま〜あ、準備も大変だったし、秘密で持ってくのも大変だったし、打ち合わせ、練習、芝居の準備まで、(笑)何カ月も大変でした。大変だけど、楽しかったし、「絶対あの夫婦を泣かせてやるんだ」って思ってたら、ポロッと泣いてくれました。
 このサプライズ・バンド、まあ、たかがお遊びといえばそれまでだけど、「人を喜ばせるためには、手間暇かけるしかない」っていう、ひとつの例ではあるかと思いますよ。どんなに金積んだって、どんなに立派なことしたって、やっぱり「人を喜ばせよう!」って思ったら、手間暇かけるしかない。小さなことでもいいんです。時間かけて丁寧に。それは「あなたを大切に思ってます」っていうことの、一番の表れじゃないですか。そういうことっていうのを、「教会」って所こそは、特にやるべき所じゃないか。実際、こういうサプライズなことをすると、なんかこの世界って、実は神さまが、私たちを驚かせて喜ばせて感動させるためにあるんじゃないか。そう思わせてくれるような、ステキな夜でした。
 本当に、神さまって、なんかすごいサプライズ・パーティーというか、「サプライズ・神の国」を、ちゃんと仕込んで用意してるんじゃないですかねえ。神の子たちを驚かせて喜ばせたい。「あなたたちのことを大切に思ってるよ」ってことを表したい。「神の国ってこんなに素晴らしいんだ!」って感動させたい。人間のどんな想像も超えたような、素晴らしい恵みのときを、神さま、手間暇かけて準備してるんじゃないですかねえ。なんか、そういう期待を、私たち持っていいんだと思いますよ。実際には今回も、台風の嵐で大変なキャンプでもありましたけど、でも、そんな合間を縫って、このライブも実現できたし、あの島はまた、神の国の目に見えるしるしとして、輝きをひとつ増したような感じ。

 先日、Fさんのご葬儀がありました。この教会の大切な家族です。いつも土曜日夜のミサに来られててね、毎週必ず来られてて。毎週同じとこに座ってた。前から7席目くらいの、あちらの端っこのとこです。ちっちゃい方でしたからね、目立たなかったけれども、私は尊敬しておりました。だって、この教会に私が来たとき、彼女が私のところに来て最初に言ったことは、「神父さま、看板を出しましょう」。そうおっしゃった。私は「こいつとは気が合うぞ」と思ったんです。私もそういうタイプですしね。「やるならちゃんと!」ですから、どうせならピカピカに光るヤツにしようって、現在の、あの看板ができましたけれども、彼女が最初にそう言ってくれた、あのひと言があったから、「これは神の声だ」と思って、「それじゃやろう」と。そして今、看板ピカピカ光っております。あの看板で救われた人も、たくさんいると思いますよ。
 彼女はともかく、神さまのことをみんなに知らせたかったんです。自分は体も弱いし、何にも持ってないし、ささやかなことしかできないけれど、それでも、福音のために、丁寧に手間暇かけて一生懸命やりましょう。・・・そういう方でしたよ。
 土曜日のミサの前に、なぜか必ず私にお弁当買ってきてくださるんですね。毎週、いろいろと違うお弁当でね。土曜日のミサの後、それ食べるのがホントに楽しみで。「もういいですよ。申し訳ないから」なんて言うと、「いえいえ、神父さまのために、こうして少しでも応援できるのが、私の喜びなんです」って、いつもそうおっしゃった。季節のフルーツも入っていて、そして牛乳が1本、必ず入ってる。1リットルの。私は毎日必ずカフェラテを作って飲むので、150ccずつ、7日でちょうどなくなるんですよ。でもこの3年間、毎週、彼女が持ってきてくれる牛乳があるから、おいしいコーヒーを飲みながら買わずに済んだんです。これからは、買いに行かなければなりません。・・・切ない。「ありがとう」って思います。小さなことだけれど、手間暇かけ、毎週、毎週ですよ。そういうことって美しいですね。励まされるし。
 現に、その彼女のささやか~な奉仕で、魂救われて、洗礼受けた人もいるんですよ。その話は以前もしました。洗礼受けたその彼は10年前に初めて教会に来て、この教会の聖書研究会に来て、ドアを開けてのぞいたら、神父さんが話してて、みんなが真剣に聞いていて、みんなチラリとこっちを向いたけれどもそれっきりで、なにか堅い雰囲気だし、「おじゃましました」って感じでそっとドアを閉めて帰ろうとした。するとその時、Fさんがサササッと来て、「さあ、どうぞ、どうぞ。お入りください」って言って、スリッパを並べてくれた。彼はそれで、「ああ、よかった」と思って、その集まりに入って、しばらくこの教会に通いました。まあ、いろいろあって、その時は洗礼を受けなかったけれども、10年後に再びこの教会に戻ってきて、この春、洗礼を受けました。もちろんFさんを代親としてね。「あの時彼女がサササッと来て、スリッパを出してくれなかったら、自分は生涯洗礼を受けることはなかっただろう」って、本人、そう言ってました。洗礼文集にも、そのこと載ってるんじゃないですか。
 第2朗読のヤコブの手紙で「御言葉を行う人になりなさい」って呼び掛けられました。「神の掟は、もう私たちのうちにちゃんと働いていますから、それを受け止めて、魂救われて、そして今度、御言葉を行って魂救う人になってくれ」と、聖書はそう言いたいんです。彼女はそれを実際にやった方でした。
 実は、亡くなられたとき、自宅で寂しくおひとりで亡くなられました。この猛暑の中、ひとり暮らしで体調も悪かった。毎日電話していた方が、彼女が電話に出ないので心配し、洗礼を受けた彼も含め何人かでアパートをお訪ねして、誰も出て来ないので警察呼んで開けてみたら、亡くなられてた。敗血症でした。でも、亡くなられて1日もたってないっていうことでしたから、その意味ではよかったです。そういう仲間がいなかったらひと月、ふた月気づかれないってこともある時代ですから。
 亡くなる直前に彼女と電話で最後にお話した方が、こんな内容でしたって、教えてくれました。
 「今、私はホントに幸せ。教会のみんなと出会えてホントに幸せ。ミサから帰ってひとりぼっちの家に戻ると寂しくなることもあるけれど、でも祈りで一緒。神さまと一緒。教会のみんなと、神父さま方とみんな一緒だから、私はホントに幸せ」
 これが、まあ最後の言葉っていうことになるんでしょう。これを聞くと、よかったねえ、多摩教会に出会えて・・・。ひとりぼっちで亡くなりましたけど、でもそれはこの世の話。今はもう神の掟の世界、「サプライズ・神の国」に迎えられて、喜んでるでしょう。「え!? こんなに素晴らしい国なの、こんな喜びがあるの!?」って、本当に驚いておられるでしょう。サプライズもあるんじゃないですか。彼女が天の国の扉をそっと開けて、「こんな私が入っていいのかしら」って戸惑ってると、イエスさまがサササッと来て、スリッパ並べてくれてね、「さあ、どうぞ、どうぞ、お入りください!」って・・・。

2012年9月2日 (日) 録音/9月8日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英