心の扉を全開にして

2012年2月19日年間第7主日
・第一朗読: イザヤの預言(イザヤ43・18-19,21-22.24b-25)
・第二朗読: 使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント1・18-22)
・福音朗読: マルコによる福音書(マルコ2・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 成田でミサをあげて出発してから、イタリア巡礼の旅の間も毎日ミサをたてて、昨日、成田に戻ってまいりました。あまり寝てなかったんですけど、成田から帰る途中に市ヶ谷で癒やしのミサ、そして昨夜のミサ、その後久しぶりにお風呂に入って・・・、その後のことをよく覚えていない。(笑)バタッと寝て、そのまんまぐっすりと眠って、目覚めると、こうして愛しい皆さんが(笑)集まっていて。個人的に言えば、実り多い旅を終えて本当に今、感謝の気持ちでこのミサを捧げます。

 今回ローマで、福者ヨハネ・パウロ2世ゆかりの場所を回ってきた感動を、皆さんとぜひ分かち合いたい。彼は、私にとっての大切な「パパ様」だからです。今回の巡礼は、そのパパ様のお墓参りに行ってくるというのが、一番の目的でありました。
 ローマ教皇のことを、カトリック信者は親しみを込めて「パパ様」と呼びます。もちろん、本当のお父さんは天の父ですけれども、その天の父の慈しみを私たちに証ししてくれたのがイエス・キリストであり、そのイエス・キリストの代理者として、二千年間、神が愛であることを、キリストが主であることを、私たちにちゃんと伝える責任者として、信者の最高のお世話役として、教会の一致のシンボルとして、私たちを守り導いているのがローマ教皇です。私たちはその方を、親しみを込めて「パパ様」と呼びます。もちろん今までの教皇もそれぞれ素晴らしいパパ様でありましたけれども、私にとっては「パパ様」というと、まずは、何はおいても、あのヨハネ・パウロ2世教皇なのです。
 私は、彼が教皇になった2年後に神学校に入り、7年後、彼の在任中に司祭に叙階されました。在位26年と、記録的に長かったことでも特徴的な教皇でもありまして、私の司祭生活約18年間は、ヨハネ・パウロ2世教皇の下で働いたということになります。私にとっては、本当に「パパ様」で、いつも守り導いてくれる父親のイメージがあった。
 しかし、それは単に、私がその間神学生だったから、司祭だったからというだけではない。あの方が、非常に特徴的なカリスマを持っていたからです。だからこそ、彼は私にとって特別に「パパ様」でありました。そのカリスマは何かと言うならば・・・。皆さんにとってはどうですか、ヨハネ・パウロ2世教皇って、どういうイメージがあるんでしょうか。私にとって彼は、「この私に(・・)語りかけてくれる教皇」でした。それこそが、あの方の特別なカリスマだった。
 こう、何て言うんでしょう、神父も気をつけなけりゃならないんですけど、皆さんに話すとき、なんだかこう授業で神学の解説をしているような、聖書の講釈をしているような、そういう話し方をしてしまうことがある。それはそれで必要な場合もありますけれども、あのイエス様がなさったのは、そういう抽象的な、第三者的な話ではなくて、「今、目の前のあなたに(・・・・)語りかける」ということでした。愛をもって人格的に語りかけた。それが神の思いですし、それがイエス様のお仕事でしたし、それをキリストの教会は受け継いでいますし、あのパパ様は、特別にそのようなカリスマを持っておられた。だから、あのパパ様の言葉を聞いた人は、みんなこう思ったんですよ。「あ、私に(・・)語りかけている!」。
 ヨハネ・パウロ2世教皇は、いつもそのような思いを持って、本当に親しみを込めて私たち一人ひとりに語りかけてくださった。語るその内容もさることながら、その振る舞い全体がそうだった。それがあの教皇様のカリスマですし、私なんかが「パパ様」と心から呼べるのも、そのおかげです。

 事実、ヨハネ・パウロ2世教皇は、本当に一人ひとりに語りかけるために、全世界を飛び回ったんですよ。それまでの教皇の中には、教皇になってから亡くなるまで、一度もバチカンから出たことがないという方もいたわけですけれど、彼は教皇になってすぐにバチカンを飛び出して、全世界を駆け巡った。後にも先にも例がないほどに各国を駆け巡って、「空飛ぶ教皇」とまで言われた。海外訪問129か国、地球約30周分も回ったんですよ。実際、教皇になって間もなく、ヨハネ・パウロ2世教皇が日本に来られるっていうニュースが届いた時には、耳を疑いました。カトリック信者0.4パーセントの日本に、ローマ教皇がやって来る。教皇になりたてのヨハネ・パウロ2世教皇が、わざわざ私たちの所に来てミサをあげてくださる。私たちはもう、本当に心から嬉しかったし、ちょうど神学校に入りたての私にとっても、特別な祝福があるような嬉しい気持ちになって、まだドームになる前の後楽園球場ですけど、そこでのミサに馳せ参じました。神学生ということで侍者をしたんですけど、まあ、侍者といっても、先輩神学生たちが祭壇の所でパパ様にお仕えし、入りたての私なんかはず〜っと下の方で、・・・あの日はすごく寒い日でしたから、寒〜い、寒〜い中、じいっと端っこで立ってるだけの侍者でしたけれども、それでも、パパ様が日本に来て、私たちに語りかけてくださる姿に、胸が熱くなりました。
 しかも彼は、日本語で話してくださったんです。何カ月も前から日本人の神父をそばに置いて、毎日休まず日本語の勉強なさったんですよ、毎日。ですから、来日した時、挨拶のみならず、ミサの典礼文も日本語、スピーチまで日本語。考えてみればそれが、日本だけじゃなく、他の国を回る時もそうなさったわけですから・・・。
 それは何のためか。なぜそこまでなさるのか。それは、「あなたに(・・・・)、話したいんだ」という思いからです。人の振る舞いってそうじゃないですか。その振る舞いが、その心を表すわけでしょう。わざわざ会いに来てくれたとか、精一杯語りかけてくれるとか、一生懸命、自分の国の言葉を覚えてしゃべってくれるとかっていうと、「あ、この人は私にどうしても話したいんだ、私を大切に思ってくれてるんだ」って伝わるじゃないですか。

 では、あのパパ様が、なぜそんなふうに世界中を飛び回って、その国の言葉で語りかけてきたか。それは、イエス・キリストがそういう方だということを、ちゃんと、二千年たってもすべての人にきちんと伝え、証しするためです。あのイエス・キリストが、すべての町や村を回って私たちに神の愛を語りかけてくれた、その慈しみを、優しさを、ちゃんと変わらないように、壊れないように、汚されないように、今日まで守り伝えること。これが教会の仕事ですし、教会のお世話役としてのローマ教皇の仕事ということになります。ですから、その意味では特に珍しいことをした教皇というわけではなく、教皇として最もなすべきことをちゃんとなした、それがあのパパ様だったということもできる。彼は、イエスがそうであったように、目の前の一人ひとりに親しみを込めて語りかけることを何よりも優先したのです。
 実際、私が神父になって最初の年にローマへ初めて行った時、謁見会場で、今はあまりそうしないようですけども、ヨハネ・パウロ2世教皇は、壇上から下に降りて来て通路を全部回ったんですよ。1時間くらいかかりますかねぇ。毎週1回謁見の日には、大勢の信者がそこに集まっている。通路を全部回るって知らなかったので、私の所まで来ると思わなかったから、大きな声で「パ〜パ!パ〜パ!」って叫んだんですよ。「ここにもいるぞ〜!」みたいな感じで。そしたら、その声を聞いてこっちを見て、こう、指さして、「今からそっちにも行くから!」っていう感じのジェスチャーをなさった。あっ、そうなのかって思ってたら、ちゃんと来られて、私が「パックス!(平和)」って叫んだら、私の手を取って、「パックス」って頷いてくださった。語りかけてくださる教皇。一人ひとりに、どんなに大変でも、お疲れでも。
 彼は最期はパーキンソン病で、もう体がものすごくつらい時も、バルコニーに出て来て手を挙げ、一人ひとりに語ろうとなさった。その頃のことを近くで見ていた日本人神父が今回、私たち巡礼団に会いにいらして、いろいろお話してくださいました。「最期のころ教皇様は、みんなに何とかしゃべろうとして、しかし声を出せず、必死に『
アッッ、アッッ』としゃべろうとなさっていた。その真剣な様子に、ホントに胸が熱くなった。あの姿は忘れられない」と、教えてくださいました。つまり、あの教皇様は、最後の最後まで、一人ひとりのキリスト者に「神はあなたを愛している」と「キリストを受け入れなさい」と、父親のように呼び掛け続けたのです。その教皇様のことを、私は改めて「パパ様」と、そう呼びたい。

 あのパパ様が亡くなった時、私はちょうどスペインにいたので、ローマに飛んで行きました。葬儀ミサのために。あの時は、そうして誰もかれもがローマに飛んで来た。飛行機で私の隣に座っていたおばあちゃんは、私がホテルの予約をしてあるのを知って、すごく羨ましがった。私はスペインから知り合いの旅行会社に頼んで、無理やりローマのホテルを予約してもらったんです。さすが、日本の旅行会社恐るべしですよ。(笑)でも、そのおばあちゃんは、宿もないのにローマに向かってるんです。その後、どうしたんでしょうねぇ。ともかくみんな、あのパパ様のことを慕っていた。それは、「パパ様が語りかけてくださった、この私に(・・)話してくださった」、みんなそういう思いを持っていたからです。
 それはつまりは、神が、私に、キリストを通して、キリストの教会を通して、語りかけてくださっているという真実の、何よりの目に見える印だったんですよ。私も、その影響を受けて、司祭として働いてきた者です。私は、あのヨハネ・パウロ2世教皇から、大きな影響を受けました。私もまた、パパ様にならって、ちゃんと目の前の人に語り掛けよう、それがキリスト者の使命だ、とりわけ司祭職の本質だ。そういう思いで司祭職を果たしてまいりました。ですから、パパ様のご葬儀に馳せ参じたのも、ある意味、私にとっては自然なことでありました。自分のおやじの葬式に行くってことですから。そして、そんなふうに思った、特に若い人たちが、大勢ローマに詰めかけておりました。
 彼ら若者たちの多くは、若者たちを特に大切にして呼びかけ続けたヨハネ・パウロ2世がお始めになった「ワールド・ユース・デイ」の参加者です。私も何度も参加しましたが、特に2000年、大聖年のローマ大会が忘れられません。パパ様は青年たちに呼びかけ、全世界から何百万という青年が集まって、一つのミサを致しました。その時に、彼は繰り返し一つのメッセージを語った。それは青年たちにとっては、生涯忘れられないメッセージとして、今も残っております。
 「あなたの心の扉を開いて、恐れずにキリストを受け入れてください」。
 心の扉を開く。しかも、パパ様のお言葉のニュアンスをそのまま翻訳すると、ただ「開く」じゃなくて、もう「全開にして」です。いうなれば、心を開けっ広げに広げて、全開にして、心の一番奥深くの、一番大切な所、一番弱い所、それこそ一番恐れている所にまで、キリストを迎え入れなさいってことです。
 キリストを受け入れろってことは、神の愛を受け入れろってことでしょう。私たちの心は、恐れていますから。とらわれていますから。自分の弱さとか、罪とか、いろいろなものに縛られていますから。ですから、心の扉を開け放って、一番奥にまで、あなたの救い主を、神の愛であるイエス・キリストを受け入れなさいと呼びかけた。集まった何百万の青年たちは、みんなその言葉に心を開いて、キリストを受け入れたのです。いつしか彼の影響を受けた青年たちは、「ヨハネ・パウロ2世の子どもたち」と呼ばれるようになりました。その彼らが、ご葬儀にも集まっていた。
 皆さんも、心を開いて、イエス・キリストを受け入れてください。

 パパ様のゆかりの場所を、ローマでいくつか回りました。特に、パパ様が枢機卿になる前に過ごされていたポーランドの神学生宿舎にも招いていただいて、見学させてもらいました。神学生と言っても、主にローマに神学の留学で来ている司祭たちの宿舎ですけれど、パパ様の執務室や寝室が記念館のようになっていて、さまざまな遺品や写真が展示してあるお部屋もありました。寝室には、パパ様がお休みになっていたベッドとかあるわけですけれども、案内してくださった神父さんが次の部屋に出て行った隙に、ちょっと寝てみたんですけど。(笑)質素なベッドで。その上、ちょうどお手洗いが必要だったのでトイレをお尋ねしたら、「じゃあ、ここでいいですよ」と言って、そのお部屋のトイレ使わせてもらいましたけれども、彼がニコニコ笑いながら、「これはサン・バーニョだ」って言うんです。「ホーリー・トイレ」っていう意味ですね。なんか、パパ様をとても身近に感じました。
 でも、一番身近に感じたのは、その宿舎の聖堂です。その神父様が、「ここでパパ様はよく、深夜に祈っておられました」と言い、「ある人が(のぞ)いたとき、彼は真ん中の通路の床に、うつぶせになって、十字の形で祈っておられました」と教えてくれました。深夜、真っ暗な聖堂で、冷たい床に、うつぶせになって、十字の形で祈っていた。それは、すべてを神に捧げる祈りであり、全世界のキリスト者のための祈りであったのでしょう。そのパパ様が、私たち一人ひとりに語りかけてくださったことを、思い起こします。

 イエス様が中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と、そう宣言致しました。イエス様はそのようなひと言を宣言するために、この世界に来られたんです。この屋根をはがした4人の信仰も立派ですけれど、それは別に大したことじゃない。大したことなのは、神が語りかけるために人となって、私たちの所にやって来て、町や村を回り、ご自分の愛を直接語ってくださったことです。だから私たちは、イエス様に出会えたんです。神は、この私の目の前で「あなたの罪は赦される」と宣言してくださっています。神の権威による宣言です。あとは、私たちが、心の扉を全開にして、その赦しを受け入れるだけです。その赦しを受け入れることが、起き上がって、床を担いで、新しい一歩を踏み出す、その力につながるのです。
 イエス様を心に受け入れましょう。主を心の一番奥深くにまで受け入れた時、私たちの中に、新しいことが始まります。その新しさは、今までのこととは全然違う。人間がやってきたこととは違う。あの人に愛された、この人に愛されなかった、そんな話とは違う。「昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う」と、第1朗読で読まれました。それは、イエス・キリストを受け入れた時に始まります。
 第2朗読では、パウロがこう言っていました。「わたしたちとあなた方とを、キリストに固く結び付けてくださったのは、神です。神はわたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に霊を与えてくださいました」。この証印は、私たちの心の奥深くに、神様ご自身が押してくださったのです。ぎゅうっと、ご自分の愛の印を、「あなたを愛しているよ」というひと言を焼きつけてくださる。心を開かなければ、押してもらえませんよ。私たちがこうして、ミサにおいて共に心を開き、主キリストを受け入れ、保証の霊を与えられている時、ここに新しいことが始まっています。

 皆さんにお土産を買ってまいりました。ミサで鳴らすこの聖堂の鈴の調子が悪かったので、ローマで買ってまいりました。今日のミサから鳴らしましょう。と言わず、今、鳴らしましょうか?(チリン♪チリリン♪♪美しい鈴の音♪チリン♪チリリン♪)・・・今日、ラジオの録音だったら、これ入ってますね、この音。いいですね、ちょっとバチカンな響きでしょう?(笑)
 神様の愛を、全世界に美しく響かせる。私たちの務めです。

2012年2月19日 (日)録音/2月23日掲載
Copyright(C) 2012 晴佐久昌英