安らかな心で、何ひとつ心配がない

8月26日(年間第21主日)のミサ説教は、晴佐久神父様司式のミサがなかったため、休載となります。
代わりに、未掲載だった 7月1日(年間第13主日)ミサ説教を掲載させていただきます。

2012年7月1日年間第13主日
・第1朗読:知恵の書(知恵1・13・15,2・23-24)
・第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント8・7,9,13-15)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ5・21-43)

【晴佐久神父様 説教】

 この、イエスに触れた女性の話の箇所を読むと、いつも思い出すことがあって・・・。
 以前の、どこの教会でしたか、ミサの福音朗読でこの箇所を読んで、「神さまが触れてくだされば、すべての問題は解決する」、というような説教をしてですね、で、ミサが終わって閉祭の歌の中、真ん中の通路を私が退堂していくと、ひとりの女性が、パッと私の服の裾を触ったんですよ。真剣な顔で。・・・忘れられないですね。まあ、神父の服に触って、いいことあるんだかないんだか分かりませんし、キリスト教はそういう宗教でもありませんけれど、その必死な気持ちは、よく分かった。何かの病気で苦しんでいるのか、あるいはすごく悩んでいることがあって救いを求めているのか・・・。
 神さまに触れれば、神さまの愛に直接触れられれば、もうそれだけで、すべて解決する。当たり前のことですよね。この世界は神さまが愛をもってお造りになった世界であり、神さまの愛の中を生きている私たちなんだから。後は、その愛をこの私が感じられるならば、その愛を受け止めることができるならば、すべて解決する。もしかして神父の祭服の裾でも、そんな恵みがあるかもしれないと、思わず手を伸ばしたんでしょうねえ。
 多摩教会は、残念ですね。閉祭のとき、神父は真ん中の通路通らず、前から帰っちゃいますから。(笑)でも皆さん、言うまでもなく、ミサにおいては、神父の服なんかに触らないでも、ご聖体に触るんですからね。それでもう、神さまに触ったも同然っていう、そういう信仰を持っていただきたい。いや、そもそもご聖体って、向こうから触ってくださったっていうことですし、その意味ではもうすでに、このミサに集まっただけで、神さまが触れてくださってるっていう、そんな信仰を大切にしてほしい。

 今日、お母様がそこに来てますけど、先週火曜日に、あなたの息子さんの病院を一緒にお訪ねしたんですよね。息子さん、お元気そうでよかったです。「お元気そうで」って言っても、もう意識を失って寝たきりになってからずいぶん経(た)ちますから、そんな中ではお元気そうってことですけど。息子さん、去年は入門講座に来られてました。熱心に通っておられましたけど、突然倒れて、緊急洗礼もお受けになって。でも、意識は戻らない。ず〜っと寝たまんまで。行ったら、でも分かってくれましたよね。あれは嬉しいですね。目をこうパッチリ開いて、澄んだきれいな目でね、見えているのか、見えていないのか、私が声をかけると分かってくださってる様子で嬉しかったです。
 だけど、お母様が触ると、やっぱり違いますね。とてもうれしそうな反応なんです。あれは不思議というか、やっぱり分かるんですね。お母様にしてみたら、息子さんが倒れて意識がなくなり、もう1年になりますから、さぞ心配でつらいお気持ちでしょうけれども、それでも息子さんの方にしてみたら、もう毎日天国仰いでいるわけですしね、お母様が来て触れてくださると、そこにはすごく嬉しい瞬間っていうものがあって。ああいう瞬間に立ち会うのは、私もすごく嬉しかったです。
 でも、お母様が触ると、意識のない息子さんがすごく喜ぶ。それって、そのまま私たちの姿ですよね。われわれは、あれこれ偉そうに考えて意識あるつもりでいますけど、実は何も考えていないに等しいですよ。脳みそ使ってる時っていうのは、これ、ただ恐れたり悩んだりするためにある臓器ですから。救いのためには脳なんてものは、あんまり使わない方がいいんです。でも、まったく脳を使わず、たとえ意識のない状態でも、神さまが触れてくだされば、そこに天国が始まる。
 イエスさまなんて、そのために来られたんでしょ。ルカの福音書にありますね。イエスが悪霊を追い出してると、「あれは悪霊の力で追い出してるんだ」って悪口言う人がいて、イエスさま、こう答えた。「わたしは神の指で悪霊を追い出してるんだ。わたしは神の指で悪霊を追い出しているから、神の国がそこに来てるんだ」。イエスが触れれば、そこはもう神の国。イエスは、だから、神の「手」なんですよ。イエスは、神が人に触れる器官なんです。
 今日福音書で、イエスさま、せっせと触れてますでしょ。確かにこの女性の場合は、女性の方から触れたんですけれども、まあ、そうして触れられに来たようなもんですから、イエスさまはね。わざわざやって来られて、すべての人々に触れさせ、触れてくださる。

 今日もこの聖堂でそれが実現してるわけですけど、神さまが触れてくだされば、もう何の問題もないわけです。お母さんが触れてくれると、そこに喜びが溢れる。イエスさまは神の指だから、そこに神の国が実現する。今日もここで実現していること。そういう安心って、やっぱり必要じゃないですか? 頭使いすぎると、ろくなことないですよ。あれこれ考えて、考えて、そのせいで恐れて、恐れて。
 こういう聖書の箇所を読んでいると、・・・たとえば、イエスさまが触ったら、死んでる人も起き上がっちゃうじゃないですか。こういうのをね、あまり、「そんなことあるものか」とか「実は死んでなかったんじゃないの?」とか、余計なこと考えない方がいいですよ。神が触れたら、私は起き上がる。今、神が触れてくださっていなければ死んだも同然。っていうか、実は触れてくださってるのに、それを受け入れられないでいたら、それはもう死んでいる世界なんだ。神様が触ってくださっていることに目覚めた時、私は生きるものとなる。起き上がれる。それは考えることじゃない。信じて受け入れること。
 この人も、ただ治ったって話じゃない。イエスに触れて、神の国が実現して、永遠なる世界にこの人は生まれ出た。そういうことでしょ。だからイエスは、「あなたの信仰があなたを救った」って言いますし、そこに、もう恐れがない。命が輝き出る。美しい聖書の箇所です。イエスさまが触れると生きるものになる。

 今日、イエスさまが私たちに言いました。「わたしはあなたに言う。起きなさい」と。「タリタ、クム」。・・・「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」。・・・美しい言葉です。そんな言葉を聞いたら、私たちはもう、起き上がって、後は神の国のなかを歩み出すしかないし、それを人々に伝えずにはいられない。
 この癒やされた女性の出来事で、イエスさまがあたりを見回してね、「だれが私に触れたのか」って言うでしょ。これ、なんでわざわざ探し出してるんだと思いますか? これは、「癒やされて、救われて、神の命を生きる者となったっていうその喜びを、みんなに証しなさいよ」って言ってんじゃないですか? 「ただ癒されるだけじゃなく、そこから始まる恵みの世界を人々に告げよ」って。だから、見つけ出されたこの女性は、「自分の身に起こったことをありのまま話した」ってあります。これ、大事なんですよ。今日の福音は、「神さまが触れてくださってよかったね」って話ですけれど、良かったなら、今度はそれを証ししていただきたい。
 あの〜、この春洗礼を受けた方の証しの文集っていうのは、これ、いつ出るんですかね。担当者、そこにおられますけど。早く出していただきたいものですが。素晴らしいですよ、やっぱり。「証し」・・・。
 「つらい人生を生きてきました。けれども、神が触れてくださった。だから私は、ホントに生きる者となれた」。
 こんな素晴らしいことないじゃないですか。それを証ししましょう。その証しによって仲間が集まってきますから。

 昨日の入門講座でも、この春洗礼を受けた方の証しがありましたねえ。あれは嬉しかったです。この説教では何度か登場願った方ですけれども、今日は来られてませんよね。ってことは、もう病院入られたのかな。
 昨日の入門講座には来られてたんですけど、この方は去年お姉さまに勧められて、あまりにもしつこく勧められて、「もういいや、騙されたと思って」と、この教会に来たっていう方です。以前に説教でもお話しました。初めてミサに出た時に、「これが本物だ!」と気付いちゃったんですね。そういうことって、人生にあります。神が触れる瞬間。「これが本物だ」とわかる。そうするともう、そこから先は、神さまに触れられた者としての、まったく生まれ変わった人生が始まっちゃう。嬉しくなって、入門講座に通って、洗礼を受ける。
 その方は、ご主人との仲がうまくいってなくって、とても暗くて冷たくて悲しい日々を送ってたんですけれど、奥様が変わるとご主人も変わってくるんですよ。最初のうちは、奥様が入門講座のテープなんか聞いてると、「そんなもん聞くな」って、ご主人がパッと手ではらったりしてたのが、何度か聞いてるうちにだんだん気にするようになり、そのうち後ろの方でじ〜っと耳をそばだてて聞いてるのが分かるようになり、そのうち「いい話だな」って言うようになり、そのうち「今日は教会へ行かないのか」とか言うようになり、そのうち「車で送ってやろうか」っていう話になって、で、ついにこの間はですね、送ってくれたうえに、車を降りて、教会に近づいてきて、中には入らなかったけれども、外の壁に触って(笑)、「これが多摩教会か」って言いながら手でさすったって言うんですよ。(笑)だいぶ近づいてきましたね。これ、もう中に入るの、時間の問題じゃないですか?(笑)
 「壁さすった」って、ねえ。入門講座でそれ聞いて笑ったんですけど、いい話ですよね。それ、神さまに触ってるんですよ。まあ、たかが建物の話ではありますけれど。いや、神さまが触れてくださってると言うべきか。奥様の信仰を通してね。その、神に触れられているっていう喜びなしには、まことの命はないんだから、来年の復活祭にはご主人の洗礼式、あったらいいですよねえ。ホントに。命の水をかけられて、「神さまに直接触れられる」っていう秘跡を受け、「生涯神に触れられ続ける」っていうご聖体をいただき続けて、「神のぬくもりを感じ続ける人生」。ご主人にも、それに与(あずか)ってもらいたい。ぜひぜひね。
 その奥様が、入院なさるんですよ。それで、昨日手術前の最後に来られました。講座の中で病者の塗油の秘跡をお授けしましたけど、今週の木曜日に、手術があります。心臓の大きな手術です。でも、昨日彼女が証ししてくれたのは、「心配だけど信じて手術に向かいます」なんてレベルの話じゃなかったんですよ。ちょっと驚きましたけど。
 この心臓の大きな手術、彼女、3回目なんです。前2回は洗礼前だった。で、その2回は、ホントに怖くて怖くて、心配して、生きた心地のしない手術だったそうです。しかし今回、全然恐れがない。「もう私、洗礼を受けて、神様の恵みをいただいて、すべてを神様の愛に委ねているから、ホントに安らかな心で、何ひとつ心配がない。もう、どのお医者さんが手術するのかすら、どうでもいい」。そう言いましたよ。
 大きな心臓手術で、お医者様からは「手術中に心臓止まるかもしれません」って言われ、普通だったらドキドキして、とても心配してってことなんでしょうけど、彼女は「な〜んの心配もない。ホントに心が安らか。それを皆さんに申し上げたい」って、わざわざ証ししてくださった。「洗礼を受けたからだ」って言いましたよ。 ・・・神の愛に目覚める。神さまが触れてくださってる。そこに恐れがなくなる。・・・なんかこう、新しく受洗した方のほうが、ずっと信仰が深く、どんどん先に行かれちゃったって感じじゃないですか? 
 皆さんはどうですか? よく、ドキドキして「神父さま、怖いです〜」とかってね、相談に来るじゃないですか。私、こう答えますよ。「恐れるな。洗礼受けたんだろ?」と。神さまがちゃんと触れてくださってる。それこそが完全なる安心じゃないですか。そんな安心を、私たちは「救い」と呼ぶ。「あなたの信仰があなたを救った」。イエスさま、そうおっしゃった。信じましょうよ。

 どうせ私たちはいつか死ぬわけですけれども、でもそれは「死じゃない」っていうのが教会の教えですからねえ。第一朗読、美しかったでしょう? もう聞いててやっぱり感動しましたよ。「神さまは人を不滅なものとして創造した」。「神は死を造ったわけじゃない」。・・・つまり、「死なんてものはないんだ」ってことですよ。「死」とかって言ってるのは、この脳みその中の勝手な思い込みであって、まあどう思おうと勝手なんだけれども、そしてまあ、お医者様は「ご臨終です」って言うのかもしれない。確かにこの世では体はもう焼かれるかもしれない。でも、それでも、「死はないんだ」って言ってるんですよ。
 「神は人を不滅なものとして創造したんだ」。「恐れによって死が忍び込んできた」。そんな福音を聞かされたら、「もう神様に触れていただいているんだから、もう私は永遠に生きるものなんだから、もう何の心配もない」と思って、安心してお暮らしくださいな。
 そしてまた、そのような安心、平和をね、私たちがこう、しっかりと持っていたら、「私もそういう平和に与りたい」っていう人が、みんな集まってきますよ。

 「オアシス広場」、ご覧になりました? きれいになったでしょ? 教会の入り口の小さな広場ですけれど、「オアシス広場」と名付けて、そこは、この多摩市の住民と、神さまの指との接点なんですよ。そこできっとまた、素晴らしいことが起こるでしょう。
 ちょっとベンチをね、斜面の方に新しく広げて造ったんですよ。あれでだいぶ座りやすくなり、座る人の数も増えました。「無料コーヒーがいつも出てくる広場、多摩市に登場!」ですよ。多摩市の広報にでも載せたらどうですか?
「無料コーヒーサービス 〜 日曜日の11時より 〜 オアシス広場にて」・・・うん、いいですねえ。載せてもいいくらいですよねえ。無料で出すんだから。あそこでどんな素晴らしいことが起こるか。皆さんが招いてこないと、呼んでこないと。ガラガラのベンチ、意味ないですよ。
 わたしの霊名のペトロの祝日に、朝のミサでシスター方がお祈りしてくださってね、「今日のミサは、神父さまのご意向でお捧げします。私どもも一緒に祈ってお捧げいたします」なんて香部屋のメモに書いてあったから、私、喜んで、お説教でお話しました。「ありがとうございます。でも、『晴佐久神父さまのご意向』って、どんな『ご意向』か分かってるでしょ。言わないでも」と。「この修道院のシスター方のお働きで、受洗者1名上積み!」と、ちゃんと申し上げました。
 神さまの指に触れられて、「ああ、私は永遠に生きるんだ!」って目覚めて、この世の恐れを超えていける人。そんな人をひとり生みだせるってすごいことじゃないですか!
 「オアシス広場」、どうぞご利用ください。神さまが多摩市に触れた接点ですよ。

2012年7月1日 (日) 録音/8月30日掲載
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