生存率、永遠に100パーセント

2012年1月15日年間第2主日
・第1朗読: サムエル記(サムエル上3・3b-10、19)
・第2朗読: 使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント6・13c-15a、17-20)
・福音朗読: ヨハネによる福音書(ヨハネ1・35-42)

【晴佐久神父様 説教】

 「午後4時ごろのことである」と、福音書記者はどうしてもそれを書かずにはおられなかった。
 ・・・主と最初に出会ったとき。生涯忘れられない「永遠の午後4時」。
 イエスさまと最初に出会った時のこと、皆さんは覚えておられますか。誰かの紹介で教会を訪れた時でしょうか。聖書の一節をたまたま開いた時でしょうか。どんなかたちであったかはともかく、今日ここに集まっているというからには、イエスさまと最初に出会った時というのが、必ずあるはずです。
 あの、魂が熱く震える瞬間。イエスさまと出会って心から感動した、そのひと時。
 神さまが与えて下さったその時のことを、忘れてはいけません。忘れてはいけないどころじゃない、今、この瞬間も、その「永遠の午後4時」が続いているんです。ここに集まっているということは、ここに、イエスさまと出会ったその喜びから片時も離れられない、私たちの真実があるということです。そこから決して離れてはいけません。・・・イエスさまのみもとから。
 この二人の弟子も、心から求めているものがあり、しかし洗者ヨハネのところではそれが満たされなかった。だから、「見よ、神の子羊だ」と示されて、イエスについて行きます。すると、イエスが振り返る。目が合う。そして、イエスは問う。「何を求めているのか」。
 私たちは皆、そう聞かれたのです。「何を求めてるのか」と。そんなの、決まってますよね。神を求めているんです、誰だって。神の愛を。永遠の命を。この困難な世界を生きる意味を。試練の底で、苦しみからの救いを求めているんでしょう。みんなそうであるはずです。誰でも。そして、その求めている救いの福音、イエス・キリスト本人が、今、目の前にいる。その一瞬、ついに求めているものに出会ったその一瞬を、皆さんはすでに体験したはず。
 そのとき、弟子たちは聞き返しました。「どこに泊まっておられるのですか」。これは、「あなたのところに、求めているものは、あるんですか」っていう、弟子たちの切実な問いでもあります。「あなたのところに行けば、私の求めている救いがあるんですか」「あなたはそれを与えてくれるんですか」「あなたは、誰なんですか」。するとイエスはたった一言こう答える。
 「来なさい。そうすれば分かる」。
 いい答えですねえ・・・要するに「黙って俺について来い」ってことでしょ? 「黙って俺について来い。天国見せてやる」と。おとこ気あるというか、最高のせりふでしょう。こういうこと言ってくれる旦那に出会った奥さんは幸せですよね。(笑)「黙って俺について来い。天国見せてやる」。・・・いいですねえ。
 最近の男性はあんまりそういうこと言いませんね。むしろ女性の方がしっかりしてて、「黙って私についていらっしゃい。天国見せてあげるわ」(笑)、って感じかもしれませんが、どっちにしても人間の「ついて来い」ってのは、なかなかちょっと信じられない。しかし、これはイエスさまの「ついて来い」です。神さまの招きです。神さまからのこんな呼びかけに出会えた私たちは、なんと幸せなことか。
 そうしてついて行くと、ホントに天国があった。「その日は、イエスのもとに泊まった」とあります。
 ・・・イエスさまのみもとでの、「永遠の午後4時」。
 そこで弟子たちは、福音を聞いたんでしょうね。人生をかけて求めていたものがここにあるって、喜びに満たされたんでしょう。ちょっとワインなんかも振る舞われて、ああここが、天の宴の実現だっていう、そんな一瞬を弟子たちは体験したんじゃないですか。その宴は今日まで続いております。まさにこのミサが、イエスのみもとでの天国ですから。イエスさまに「ついて来い」と言われて、私たちついて来たんです。ここから離れちゃいけないよっていうことでしょう。

 3日前に、池上彰さんの「宗教がわかればニュースのナゾが解ける」っていう番組を見てたら、イスラム教ではお酒飲んじゃいけないっていうんですね。なぜなら「お酒を飲むと、神のことを忘れがちになるから」なんだそうで、私、その時、ワイン飲みながら見てたんですよ。(笑)思わずむせそうになりました。(笑)まあ、じゃあ、神のこと考えながら飲めばいいんだな、と気を取り直して飲み続けましたけど。(笑)その時言ってたんですけど、イスラム教の経典のコーランには、こう書いてあるんですって。「酒を飲んではならない。しかし、天国に行けばいくらでもおいしい酒がある」。それ聞いて、確信しました。「イスラム教の天国と、キリスト教の天国は、同じ天国だ」。(笑)
 宗教のこういう言い方って、ちょっと子どもっぽい言い方に聞こえるかもしれないけど、でも、希望を与えてくれるわけでしょ。美しい希望ですよ。「地上でどんなに困難があっても、恵まれなくても、天国に行けば、いくらでも幸いが待っている」。いくらでもっていうんだから、無限です。無限の喜び。それを信じていたら、地上で酒が有ろうが無かろうが、うまくいこうがいかなかろうが、体調良かろうが悪かろうが、もうそういうことはあんまり意味がなくなっちゃうんですよね。
 今、このミサは、その天国の宴の始まりとしてあるわけですから、この幸いをこそ、ホントに、この暗〜い世の中での希望としましょう。間違いなく、私たちは、神さまからの招きに応えております。この「天国の先取りの宴、聖なるミサ」に、永遠の喜びが溢れております。つらい気持ちになった時、この希望を思い出してください。
 「神さまが私を、呼んで下さった。イエスのもとに行ったら天国があった。洗礼を受けた私はもう、その天国にあずかっている者だ」っていう、その希望。それだけを頼りにしてほしい。他のことはあんまり聞かないで。

 おととい「病者の塗油」の秘跡を受けにきた方は、もう10数年のお付き合いですけれど、最近、悪い病気になったんですね。お医者様から、何万人に一人の難病だって言われたそうです。それで彼女、大変ショックを受けた。その上、何年以内の生存率が何パーセントっていうようなことも言われて、ホントに落ち込んだ。それで、何とか、救いを求めてやって来たんですよ。彼女、言うんですね。「あたし、宝くじにも当たったことないのに、何万人に一人の病気に当たっちゃった」。
 それで、私、はっきり申し上げました。まあ、彼女が私のところに来るということは、ある意味覚悟を決めに、活を入れてもらいに来ているわけだから、はっきり言いました。
 「あなたは、洗礼を受けていったん死んだんだから、あとは復活だけ信じてなさい」と。
 「だいたい、何万人に一人の難病になってしまったとか、宝くじにも当たったことないのになんて言うけれど、あなたがこの世界に生まれ、救い主に出会い、洗礼を受けて聖なるミサにあずかって、今、天下の晴佐久神父から福音を聞いて塗油の秘跡を受けようとしているなんて、何百万人に一人の選ばれた幸いな人だ。それくらい思いなさい」と、そう申し上げました。
 「イエスさまに出会って、福音を聞く。それは、70億分の1のあなただけの幸いなんであって、神はもうあなたを選んでいる。あなたはもう、洗礼においていったん死んでいるんだから、後は復活あるのみ。その、あんまりお医者様の言葉をね・・・、まあ、一応はちゃんと聞かなきゃなりませんけれども、どのみちそれはこの世の言葉なんだから、振り回されちゃいけない。
 『何年以内の生存率何パーセント』とか、それは『人間の言葉』なんであって、『神の言葉』じゃない。神の言葉を聞き、神の命をいただいた者は、生存率永遠に100パーセントなんです。あなたはそれを信じたんでしょ。秘跡を受けて、安心して、次の手術に向かいなさい」。そう申し上げた。
 第2朗読の、パウロの言葉のとおりです。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。
 私たちの生存率、永遠に100パーセントです。
 それだけ信じてたらいいんです。洗礼は、いったん死んで復活することです。この世のさまざまな恐れを全部引き受けたとしても、永遠なる幸いの世界に向かう、「お水(くぐ)り」なんです。

 「お水潜り」って言葉、今使いましたけど、これ、ケセン語訳聖書のことばです。ケセン語、ご存じですか。気仙沼、陸前高田、大船渡あたりの方言でケセン語っていうのがあるんですけど、山浦玄嗣(はるつぐ)さんていうお医者様が、福音書をそのケセン語に翻訳したケセン語訳聖書ってのがあるんですね。
 ケセン語って、東北地方の一方言ですけど、とっても味わい深いんです。たとえば標準語で「あなたの敵を愛しなさい」っていうと、なんとなく冷たい感じですけど、ケセン語だと「あんだのかだギだっで、でァじにしろ」っと、こうなるわけですね。まあ、私の発音はネイティブでないんでどうだか分かりませんけども、なんかこう、あったかくてほのぼのした感じになる。
 洗礼のことを、このケセン語訳聖書だと「お水(くぐ)り」っていうんです。ぴったりでしょう。まさに、「お水潜り」をしたってことは、もう今までの世界を離れて、お水をくぐり抜けて、永遠なる神さまの世界へ入ったという、そういう安心、喜び、希望なわけですから、皆さん「お水潜り」した者たちはですね、以前の世界の言葉や、以前の世界の情報に迷わされちゃいけないんですよ。「お水潜り」した者、いったん死んで新たに生まれた者、それはもう、神さまが特別に「でァじに」、「大事に」してくださってるんだから、もう何を失っても構わないという、そういう世界に、私たちはもう生まれ出たんです。
 昨日たまたまそのケセン語訳聖書の出版元の社長さんとお会いしてお話してたんですよ。大船渡の方でね。ちょうど私、明日からまた、被災地巡りするんですけど、明日釜石に泊まって明後日大船渡に行くんで、大船渡の話をお聞きしたんですけど、この聖書が津波で波かぶったって言うんですね。倉庫にあった聖書が三千冊、波をかぶってぬれてしまった。でも、幸い立派な箱に入ってたんで、ちゃんと読めるんですよ。それで今は、むしろその不運を逆手にとって、特別な意味をこめてその聖書を売ってるんです。
 そのキャッチフレーズが「お水くぐりの聖書、大津波の洗礼を受けた聖書」っていうんですよ。私、このキャッチフレーズに感動しました。「大津波の洗礼を受けた聖書」、いいですねぇ。だって、「津波は洗礼なんだ」ってことでしょ。なにかこう、救いのない災害に、突然光があたって美しく輝きだすような、そんなうれしい気持ちになりました。
 「津波は洗礼」、であるならば、私たちは、その先の復活の栄光を信じるのみ。永遠の幸いを、ただただ受けるのみ。まさしく、被災地はそんな洗礼を受けて、いったん死にました。でも、その死は永遠の死ではない。むしろ永遠なる命の世界への誕生であって、今あの被災地では、本当にその誕生の喜びが、ひとつ、またひとつと芽吹いている段階。私なんかが、せっせと被災地に出かけていくのは、まさに、「洗礼を受けたあなたたちは幸いだ」という福音を、はっきりと語るためです。どれほどの恐ろしい出来事があっても、この信仰さえあれば、あとは復活するだけ。

 昨日の入門講座に十代の少女が一人、両親に付き添われて来ていました。かわいい女の子でね、近くの別の教会の家族ですけど、私の「福音宣言」のCDを何度も何度も聞いて、救われて、今、福音を頼りにがんばって生きているご一家です。その少女は、ふた月前に脳腫瘍の手術をして、その手術のために目が見えなくなりました。
 「十代の少女が脳腫瘍の手術をして目が見えなくなった」。この事実は、あまりにも残酷に聞こえます。この2カ月、本人がどれほど恐ろしい思いをしたか、ご両親がどれほどつらい思いをしたか、そんな中で、どれほど福音に救いを求めたか。お父様もおっしゃってました。「もうこれ以上ないという、もうどうすることもできない絶望的な現実の中で、今、私たちは『信じる』ってことしかないという、そのような信仰がよくわかります」と。
 もはや、信じるしかない。でも、それは幸いなことです。神さまが一番近くにおられて、今まさに、最も「でァじに」してくださっていると信じるしかない状況。そのような状況を背負っている一人の少女がここに存在しています。私はその彼女のうちに、希望を見いだします。というか、そこにしか希望を見いだせません。神さまが「でァじに」してくださってる。ホントにその愛で包んでくださっているという信仰。あらゆる試練は洗礼です。潜り抜けるんです。
 ご一家は、カトリック信者の一家なので、昨日もまた「病者の塗油」の秘跡をお授け致しました。昨日の入門講座は、彼女のためにお話したようなもんです。「恐れるな、神はあなたを愛している。洗礼はいったん死んで生まれ出ることだ。あなたは洗礼を受けたんだから、だいじょうぶ! これから先、神さまがホントに素晴らしいことをしてくださる。信じて秘跡を受けてほしい。み心ならば癒していただける」、そうお話をして、病者の塗油の秘跡をお授けした。昨日の講座は入門係も含めて46人いたんですけど、その46人の仲間で「あなたのために祈ります」と言って一緒にお祈りをして、みんなで囲んで「病者の塗油」の秘跡をお授けした。「ここに希望がある」と、そう信じて。その子、顔を輝かせていましたよ。
 彼女の「試練」、「闇」、「恐れ」、その現実に、イエスさまが「いいから私について来なさい。ちゃんと天国見せてあげるから」と、そう応えてくださっていることに、私は本当に安心するし、感動しますし、「私もイエスさま、あなたについてまいります。どうか私にも、彼女に見せてくださる天国を見せてください」そう祈ります。
 今日ここに集まった、この仲間で、今「お水潜り」をしようと準備している人たちのために祈ってください。恐ろしい試練の中で秘跡を信じて生きている人たちのために祈ってください。そうして、今、このミサという秘跡のうちに、確かに神さまが働いておられるというこの現実に、信頼をおいてください。
 イエスのみもとであるこのミサを、神さまの恵みの実現として、感謝して捧げます。


【 参照 】
山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』(2011)文藝春秋
山浦玄嗣『ガリラヤのイェシュー』(2011)イー・ピックス出版

2012年1月15日(日)録音/1月19日掲載
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