親父代わり

2012年10月7日年間第27主日
・第1朗読:創世記(創世記2・18-24)
・第2朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ2・9-11)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ10・2-16)

【晴佐久神父様 説教】

 ちょうど昨日、私の父の命日で、33回忌っていうやつですね、仏式でいえば。丸32年。もうそんなになるのか〜。50歳で死んだわけですから、生きていれば82歳ってことになるわけです。節目のときという思いで、このミサを捧げています。
 私にとって、あの父のイメージは、結構厳しかったりとか、実はユーモアがあったりとかいろんな特徴があったとは思うんですけど、一番中心的なイメージは、「最後はちゃんとしてくれる」、そういうイメージです。ちょうど、放蕩息子をポンと放り出しても、最後の最後にはちゃんと受け入れてくれる、みたいな。男親って、そういうイメージありませんか?最終的には俺が責任取るよ、と。何があろうとも、わが子だけは絶対に見捨てないよ、と。だれもがみんなその子を悪く言っても、俺だけは最後の最後まで味方する、と。私の父については、そういう安心感っていうのが絶対的にあった。もちろん、いろいろ欠点もあったとは思いますけど、この親父は最終的には僕をちゃんと守る、この親父が僕を見放したりすることは絶対ないっていう、それはもう、あたりまえのこととして感じていました。
 どちらかっていうと、母親のイメージは、毎日愛してくれるって感じでしょ。家族に毎日気を配って、いつも優しくしてくれて。父親の方は、普段はあんまり関わってくれないし、忙しそうにしている。でも実はすべてをちゃんと計らっているし、何かあったときとか、最後の最後は全部、バシッと引き受けて、最良の解決をしてくれる。私にとっての両親は、そんなイメージです。うちでは父と母が逆なんて家もあるかもしれませんし、あるいは両親ともちゃんとしてくれなかったって不満持ってる人もいるかもしれませんけど、一般的にも父親の本質的イメージって、そんな感じじゃないですか。最後はビシッとやってくれるっていうイメージ。
 言うまでもなく、私たちの信じる天の父こそはそういう父ですから、何があろうとも最後は守ってくれる親父ですし、その意味ではいつまでたっても自分は子どもなんだな〜って思う。私、父親亡くした時は21歳で、その後は一人前に成長してきたつもりでも、実は、この世の父を失ったけれど、その後は天の父に甘えてきたっていうだけで、やっぱり、最後の最後はなんとかしてくれる「父」っていうものに頼りきってるなっていうふうに思いますし、それでいいんじゃないかとも思う。それを、信仰っていうんじゃないかと。

 久しぶりに、小平教会に行ったんですよ。先週日曜日。私の司祭叙階25周年っていうこともあって、出身教会が呼んでくれたっていう形です。懐かしかったですよ。皆さんはわかりますかね・・・その教会から出身して神父になって、25年たって戻ってきて銀祝ミサをするって、ホントに感動するものなんだっていうのは、ちょっと想像していただきたいんですよ。ホントに感動しました。
 行く前は、久しぶりに行って、あそこでみんなと会えてミサできて、嬉しいな〜っていう程度だったんですけど、行ってみたら、だって、ここでああしたな〜とか、こんなことあったな〜とか、もういっぱい、言うなれば神様からいただいた恵みの歴史が詰まってるわけでしょ。神父になろうなんて思いもしなかった時から通ってた教会ですよ。仲間もいっぱいいて、知り合いもいっぱいいて、現に、25年たっても結構知ってる顔が大勢、みんなプラス25歳の顔で並んでるわけですよ。(笑)もう、浦島太郎の玉手箱がいきなりパンッて開いたような感じ。25年前、そこで叙階式直後の初ミサもやりましたけど、それ以来です。主日のミサを捧げるのは。・・・懐かしかった。いろんなこと思い出して。
 あの聖堂は、私の父も設計に関わったんですね、新聖堂建てる時に。建設会社に勤めていたんで。お金集めたり、様々な工夫をしたり、いろいろ頑張ってたなあ、とも思い出した。でも、その後すぐに父は亡くなって、一生懸命関わって建てたその聖堂で、自分の葬儀ミサを出すことになりました。

 父の葬儀の後、ひと月ほどして、父の死をきっかけに、私は「神学校に入る」って決心し、主任司祭のところに相談に行きました。小林五郎っていう神父でね〜。・・・懐かしいですよ。小林神父さん、ぼくら青年たちのこと可愛がってくれました。
 先週のそのミサで、聖堂に入って一番最初に目に留まって、思わずそのミサの説教で話題にしたのが、祭壇のすぐ隣のガラス張りの「泣き部屋」でした。赤ちゃんが泣いてもいいようにした小さな部屋ですけど、そこを見た瞬間、小林神父を思い出した。ああ、ここでよく、学生の頃酒飲んだなあ、小林神父さんも一緒になって飲んでくれたなあ・・・まあ、そういう時代でしたよ。のどかな時代。主任神父が「まあ、いいだろう、一杯!」とかって学生に飲ませてね、クリスマスの夜とか。ビール好きでした。なんかこう、親父肌っていうか、ドンと腹のすわった方でした。
 その主任司祭に「神学校に入りたい」って、言いに行ったんです。出身教会の主任司祭が推薦してくれないと、神学校行けませんから。「神父になりたいです。つきましてはぜひ推薦してください」ってお願いに行ったわけです。珍しく朝のミサに来た晴佐久君を「なんだろう」と思ったでしょう。「お話があります」って言ったら、「まあ、上がれ」と司祭館に上げてくれて。ちょうど先週もその司祭館に通されて、「ああ、このあたりだったなあ」というとこに座ったんですけど、もう、32年前の話です。「で、何の話だ」って言うから、「ぼく、神学校に入りたいんですけど、推薦してくださいっ!」ってお願いした。さて、OKなのか、OKでないのか、こっちはドキドキなわけですよね、でも、その時彼は、OKでも、NOでもなく、こう言ったんです。
 「そうか!じゃあ、今日から、お前と俺は仲間だ!」
 「お前と俺は仲間だ」。・・・たぶん、小林神父さんも、神学校に入ろうと思った時に、ドキドキしながら主任司祭の許可をいただきに行ったでしょうし、そうして、自分の人生をかけて「神こそを父とする、そんな神の子としての生涯を、司祭として捧げよう」って、そう決心して、神学校に入ったわけでしょう。きっと、それから何十年かたって、今度またひとりの青年が、自分と同じようにドキドキしながらやって来たことに、おそらく感動しただろうし、純粋に、仲間ができたことを喜んでくれたんだろうな、と思う。
 そのときはそんなことは分かりませんでしたよ。でも、今、ちょうど私も同じように推薦司祭になって、自分が本当に信頼を置いているひとりの青年を神学校に送ってますし、その彼がもうすぐ叙階しようっていうときですから、小林神父さんの気持ち、わかります。
 それは、「なんだ、お前みたいないいかげんな奴でうまくいくのか? まあ、しょうがない、とりあえず推薦してやるか」とか、そんな他人の感覚じゃない。「そうか! 今日から(・ ・ ・ ・)」・・・まだ、その時点では神学校に入ってもいないんですよ、なのに「今日から(・ ・ ・ ・)、お前と俺は仲間だ!」・・・嬉しかったんだと思うんですよね〜。それはもう、息子のように応援して、育てて、最後まで守ろうっていう気持ちなんです。親父代わりになるっていうこと。私の方も父を亡くして間もなかったんで、「ここからはこの神父が親父代わりだ」なんて思いもあったと思う。
 そうして受け入れてもらえて嬉しかったし、とっても安心したんですけど、小林神父さんはその後3年ほどでガンで亡くなってしまいました。・・・残念でした。叙階式に出てほしかったから。
 その上、その後、神学校でなかなかうまくいかず、悩んだり絶望しかけたりしましたし、何とか立ち直ったころには今度は神学校からダメ出しされて「ああ、自分はもう神父になれないかも」って落ち込んでたとき、相談したある神父さんが言ったんですよ。「こんなとき、小林神父さんが生きておられたら、守ってくれるのにねえ・・・」って。そう言われて、ようやく「ああ、そういうことなのか」と気づかされた。「推薦司祭、親父代わりって、そういう存在なんだ」と。つまり、司教のところに行って、「こいつを何とか叙階させてくれ」と、わが息子のように頼み込む存在。そう気づいたら急に涙ボロボロこぼれた。
 わが息子が一番困ってるとき、どうしようもなく行き詰ってるとき、だれからも理解されないときにこそ、「い〜や、俺の子はいい子なんだ、必ず成長してくれるんだ。おれに免じて信じてくれ」と言って体張って守ってくれる。そんな「最後の最後には絶対守ってくれる親の存在」っていうのが、ぼくらにとって、ホントに大事だし、死んだ父が教えてくれたことも、親父代わりの小林神父さんが示してくれたことも、きっと、そこなんでしょう。すなわち、体を張って守ってくれる天の父なんでしょう。イエスの十字架ってそういうことでしょうし、われわれの信じてる神は、そのような父だっていうことを、ぼくらは信じてるわけです。

 最後の最後はちゃんとしてくれる。・・・皆さん、安心してくださいね。今うまくいっていなくても、今もう終わりだ、ダメだと思っていても、最後の最後はちゃんとしてくれるっていう親父がいたら、もう心配ないじゃないですか。そこに信頼するっていうこと。
 福音書で、イエスさまが「それゆえ二人は父母を離れて一体となる」ってさっき言いましたけど、それは、「この世の父母を離れて、神なる父、神なる母と一体となる」っていうふうに読んでいただいていいですよ。ここでは結婚の話をしているわけですけれど、キリストの教会は、「結婚」を、神と人のつながり、神と人の絆っていうふうにも読むわけですから。そういう意味では、もちろんこの世の父母も大事だけれども、それがすべてではなく、その先に「天の父」がおられる。たとえこの世の父母では受け止めきれなかったことでも、天の父は最後の最後に全部受け止めてくれる。だからもう、その先の心配がない。そういう、最終受け皿っていうか、もうその先の滅びの世界なんていうものは、神がおゆるしにならない。そんな絶対の安心の境地がちゃんとあるっていうことを、皆さん信じてくださいね。
 それが、福音書の後半の「幼子のように、子どものように神の国を受け入れる」っていう意味ですよ。神の国って、その安心の境地そのものでしょ。最終的に天の父が、「これより先に不安はもうありません」と、「どこまで落ちていったにしても、ここより下はありません」っていう最終的な受け皿。たとえ一番下まで落ちてみても、そこにちゃんと神の国が開けてましたというような究極の希望を、天の父が用意してくれていることに信頼を置きます。
 昨日も子どもの祝福式やりましたけれど、早く生まれてきた子なんで、まだちっちゃくってね〜。かわいかった。ちっちゃい目をギュッて閉じて、ちっちゃい手をギュッて握って、安心してスヤスヤ寝ている。なにも、「信仰とは何か」とか、「希望はあるか」とかっていう難しい話ではなく、「私が見捨てられることはあり得ない」っていう素朴な信頼感でスヤスヤと寝ている。
 いくつになっても、私たちも、それでいいんじゃないでしょうか。・・・真の安心。

 被災地の釜石と大槌に、今週初めに行ってきました。皆さまからの義援金もお届けしてまいりました。カトリックの釜石ベースに泊めていただき、翌日はプロテスタントの新生釜石教会で信者の皆さんと一緒に祈祷会に参加させていただいて。幸せなひとときでした。このたび、プロテスタントの出版社から、私の『恐れるな』っていう本が出ましたでしょう。あれは、その新生釜石教会でお話したこと、それがそのまま本になったものです。今回、それがなぜ生まれたかっていういきさつを聞くこともできました。
 去年の6月、釜石がまだひっくり返って大変だったとき、新生釜石教会に招かれて、まだ津波の後も生々しい、壁のない礼拝堂で礼拝説教をしました。そのとき私は、「どれほどの悪であっても、それは善につながっている」と、最終的にはちゃんとしてくれる神さまのことをお話しし、「だから、安心していいんだ」「恐れるな! 地は震えても天は決して揺るがない」と、メッセージを残しました。
 それを聞いていたひとりの方が、津波からそれまでの間、ホントに恐れて心閉ざして、いったい何が起こってしまったのかって怯えていたのが、私の語った福音に励まされて「そうだった! 『信じる』ってことだった!」と気づかされて心が開き、それが嬉しくてある雑誌に「晴佐久神父さんが福音を語ってくれて、本当に救われました」って書いた。それを読んだ雑誌の編集部の人が、「その話のテープ残ってませんか」って連絡してきて、たまたま録音があり、それをテープ起こししたものが本になりましたっていうことでした。
 「恐れるな」っていう、そのメッセージは、本当に一番恐れている現場に、「お前を絶対に見放さない」、「俺が最終的に全部引き受けるぞ」っていう、そういう「親父の心」っていうか、「責任は俺が取るよ」っていう天の父の思いを届けたってことなんです。やっぱり、そんな絶対的な福音こそが、一番救いになるんですよ。一番恐れてる現場では。

 大槌町にも行きましたけど、カトリックのベースがね、被災地の、もうなんにもなくなった真ん中に、ポツンと建ってるんです。もとは小さなホテルだったコンクリートの建物なんですけど、2階部分まで流されて壊れていたところを修復して、ボランティアのベースにしている。ほんとに周りはすべて流されて、もうなんにもない荒涼とした被災地ですけれど、そこに水道を引き、電気を引いて、スタッフとボランティアたちが暮らしてるんです。そこでは私の同期の神父ががんばっていて、その彼を励ましに行ったんです。
 夕方訪ねたんですけど、暗くなると、周りがほとんど真っ暗です。最近、一部に街灯が立ちましたけど、だいたい真っ暗。その真ん中に、カトリック教会のベースが、窓に灯をともして輝いてるわけですよ。まるで「希望の星」ですね。闇夜にキラリと光る希望の星です。地元の人もそれがよく分かっていて、とても喜んでる。
 地元の人は、高台移転なのか、かさ上げしてまた住むのか、今のまんまでまた立派な堤防を造るのか、どうしていいんだか何もはっきりしない。そもそも役所の人たちもみんな流されちゃってるわけですし、国の方もちっとも方針が定まらないで。もう不安で、恐れて、どうしようもない状況の中、真っ暗闇の中に、ベースがひとつ光ってると、地元の人が言うんですって。「頑張ってくださいね」「教会さんのボランティアがそうして輝いているのが、私たちの希望です」「私たちも戻って住みたいんだけれども、なかなか住めないでいるなかで、ベースに灯がともって人が住んでるのが、遠くから見えるだけでも、私たちホントに嬉しいです」と。
 秘跡です。「神の愛の目に見えるしるし」ですよ。教会って、そういうことでしょう? 惨憺(さんたん)たる現場、最も恐ろしい状況のなかで、「でも、天の父が働いておられる、まことの親が最後は守ってくれるんだから、何にも問題ない。神の子たちも協力して、ここからやっていこう。恐れるな。信じて、希望を持って始めよう」・・・そういうしるしなんですよ。

 ご存じのとおり、私には16才の同居人がいまして、沖縄から来てもう8カ月になりますが、いつも部屋を掃除してもらってるんですよ、まあ、それくらいはね・・・って感じですけど。(笑)それがですね、昨日の朝、掃除機かけながら、ポロポロ泣いてるんですよ。びっくりして「どうしたの? だいじょうぶ?」って聞いたら、「さっき電話があって、親父が死んだ」って言うんです。大阪に住んでおられる父親なんですけど、急死されたんですね。ですから、「いいから、すぐに行け」って言って、私の黒いスーツと白いシャツ持たせて、新幹線で大阪に行かせました。
 彼が子どもの頃、その父親が家を出てって以来、親父とあまり会えないでいたようです。でも、時々会ってはいい思い出を作ってきたようで、とっても仲いいんですよ。子どものころはあそこに連れて行ってくれたとか、会ったときに一緒にこんなことしたとか、しょっちゅう親父の話をしてるんで、まあ、親父のことホントに好きなんだなあって思ってましたけど、その親父がちょうど50歳で亡くなったっていうんですねえ。
 私の父と、亡くなった年も命日も一緒。でもまだ、16ですしね、それでなくてもひとりで故郷を離れて頑張ってる中、父親を亡くして今どんな思いか、想像つきますよ。皆さんもお祈りしてあげていただきたい。今夜がお通夜で、明日がご葬儀です。
 ただ、父親っていうものはやっぱり先に逝くわけですし、大きな意味では、それは子どものためでもある。私も、父が亡くなったからこそ、神学校に飛び込めたわけですから。彼が大阪に向かって玄関を出るときに、伝えました。
 「自分も50歳の父親を亡くしたけれど、そして親父と一緒に過ごした時間が短かったといえば短いけれども、でも、一番大事なものは親父からちゃんともらってるし、それで十分だ、それをちゃんと生かそうって思ってる。君も必ずもらってるはず。長男だろ、しっかりね」。
 なんだか、親父代わりって気持ちで。
 「この世の父母を離れて、神と一体となる」。・・・彼にもまた、そのような信仰の歴史が始まるんじゃないですか?

2012年10月7日 (日) 録音/10月11日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英