さあ、洗礼式をしましょう

2012年4月7日復活の主日・復活の聖なる徹夜祭
・第一朗読:創世記(創世記1・1-2・2)/ ・第二朗読:創世記 (創世記22・1-18)
・第三朗読:出エジプト記(出エジプト14・15-15・1a)/ ・第四朗読:イザヤの預言(イザヤ54・5-14)
・第五朗読:イザヤの預言(イザヤ55・1-11)/ ・第六朗読:バルクの預言(バルク3・9-15,32-4・4)
・第七朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル36・16-17a,18-28)
・使徒書の朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ6・3-11)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ16・1-7)

【晴佐久神父様 説教】

 イエス様は復活なさり、墓には天使のような方が現れて言いました。「あの方は、ガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる」。イエス様は、墓におられません。お墓は死の象徴ですから。イエス様は、ガリラヤに行かれました。
 では、ガリラヤとは、どこか。命の象徴であるガリラヤは、どこか。イエス様はどこに行かれたのか。・・・ここです。ここに来られたのです。ここが、ガリラヤです。命のシンボルである洗礼式が行われる、今ここが、イエス様の来られたガリラヤです。
 さあ、洗礼式をしましょう。皆さん、よい準備をしてきました。長い準備、短い準備、いろいろですけれども、すべてそろいました。いよいよ洗礼式です。ここがイエス様のおられるガリラヤです。

 皆さんは生まれてから今まで、いろんなとこに行ったでしょ。学校に行ったり、職場に行ったり、遊びに行ったり、いろんなとこに行きました。どうでした?楽しかったですか?良いとこでしたか?嫌なこともありましたか?・・・いろんな所に行った。でも、そこは本当に行くべき所でしたか?いつまでもいるべき、真の目的地でしたか?
 皆さん、今までいろんな所に行ったけれど、しかし今日、ここに来ました。主イエスのおられる所。ここに来ればもう、すべての闇が吹き払われるという救いの場所に、皆さんは神様に導かれてやってきました。洗礼を受けるためです。
 2012年の4月7日を、皆さんは生涯忘れないことになる。この世で今までいろんな所に行ったけれども、2012年の4月7日にカトリック多摩教会の聖堂で、洗礼を授かった。それをこそ皆さんは、ホントに天に生まれていくその日まで、決して忘れることはないでしょう。皆さんの生涯で、最も尊い瞬間。主イエス・キリストとひとつになるその時が、今日ここで実現いたします。もうすぐです。

 皆さん一人ひとりをこうしてお迎えして、私は本当に、心からうれしく思います。それこそ、あの大震災では、津波に流されそうになった方を、ギュッと手を握って引き上げて救ったなんていう人もいたでしょうけれども、そんな人の気持ちに似てますよ。・・・皆さん沈みそうでしたから。闇の底で、もう私なんかどうでもいいという気持ちになっていたから。もはや救いはない、このまま私はず〜っと試練のうちに生きるしかないなんて思っていたから。・・・その皆さんの手を、カトリック多摩教会はギュッと握って、この洗礼式にまで引き上げたんです。
 思い出してください。最初にここに来た時のことを。私は覚えてますよ。教会に現れた最初のあの日のことを。み〜んな暗い顔してた。今日のような顔じゃなかった。みんな不安そうだった。緊張していた。恐れていた。・・・でも今は違う。目の前のこの一人ひとりの優しい顔をつくり出したのは神様ですし、今日決定的に、その神様が皆さんに新しい命を与えてくださる。
 新しい命。この世に生まれてきたことよりすごいことなんですよ、洗礼を受けるって。キリストとひとつになって、まったく新しい世界が始まる。もちろん、目に見える世界は変わらない。自分の性格も変わらない。いろんな問題は山積み、それも変わらない・・・しかし、水をかけられたその時から、皆さんはまったく新しい命に与(あずか)る。さっき読まれたでしょう。「もはや死はない」んですよ。死を恐れることがない。今生かされていること、神が生かしてくださっていること、その神だけを信じて、キリストとひとつになって新しい命を生き始める。

 初めてここに来たとき、自分はどんな思いだったかを、チラリとでも思い出してくださいよ。こうして皆さんの顔を見ていると、その日のことを思い出します。ちょうど目の前に、あの頃新興宗教に洗脳されかけて、自分は滅びると思いこまされていた人がいますねえ。あなたはあの頃、自分は本当に滅びるんじゃないかと恐れていた。滅びたくないと思っていても「このままじゃ滅びる、この宗教を離れたら滅びる」と言われて苦しんでいた。絶望的な気持の中で、インターネットで必死に探し当て、恐る恐るカトリック教会に来てミサに出ると、司祭が福音を語っていて「神はすべての人を救ってくださる。私たちは、みんな救われる」と、そう宣言していた。それを聞いて「自分も救われるんだ」っていう希望が生まれた。・・・よかったねえ。昔話じゃない。つい去年の話ですよ。「自分も救われるんだ」、そう思った瞬間、あなたのうちに神様の栄光が現れたんです。神様はどうしてもみんなを救いたいから、この教会を通して、福音を通して、あなたを導いてくれました。喜んで翌週もミサに来たら、やっぱり同じことを言っている。「安心してください、イエス様が救ってくださる」。「神は、本当にあなたを愛している」。・・・それを聞いて、もう、ここで洗礼を受けるぞって、そう決心したんですよねえ。2回のミサで自分は救われたっていうあなたの喜びは、私にも、すごくうれしかったですよ。その笑顔にみんな癒されました。入門講座の仲間たちも、あなたの笑顔がとってもうれしかったんです。
 こちらには「このふた月で人生が逆転した」って言った方がおられますねぇ。それは忘れられないふた月になりました。あなたはお姉さまからしつこく誘われて、気が進まなかったけど「え〜いっ、だまされたと思って行ってみよう」と思って来たんでしたよねぇ。・・・だまされてよかったね〜。(笑)キリストの教会に来て、福音を聞いて、救われる・・・それこそは、この世界を創造した神様の目的なんですよ。神様は何のために人を生んだか・・・それは喜ばせるため。福音を聞かせるため。あなたはこの教会で福音を聞き、それまでの暗く冷たい人生がまったく変わってしまった。「このふた月で人生が逆転した」って言うほどに。ここから先を、とてつもない栄光の世界が始まったここから先を、一日、一日神の愛を信じて生きていってください。もうあの暗かった、恐れていた、ビクビクしていた、そう、あなたはビクビクしてたんですよ。とってもビクビクしてた。もうその日々は終わりました。
 若い頃から自殺願望があったって言ってた人もそこにいますねぇ。あなたは「いつ死のうか」って思ってたんですよねぇ。でも死ぬに死ねなかった。キリストに出合うってすごいことですよね。キリストに出会ったおかげで、そんな思いから解放されて、今や、もうこうなったら、生かされた命を教会のために捧げようとさえ思ってる。そうして今日はついに洗礼式。死を願望していた人が、洗礼を受けて、教会を生きる。キリストに出会っちゃったんです。・・・今までどんな悪の力の働きで、そんな苦しみのうちにいたのかは、分からない。しかし、今日洗礼を受ければ、その苦しみが実はちっとも怖いものではなかった、すべては神に至るための生みの苦しみの日々だった・・・と、そう分かります。あなたはもう死を願わなくていい。死ぬ必要がないんですよ。だって、今から死んじゃうんだから。キリストと共に。後は生きるだけ。キリストと共に生かされるだけ。・・・今から、命が始まります。
 その前にいる方・・・つらかったねぇ。ホントにつらかった。お子様を亡くして。子ども亡くすってどんな気持ちか、私には想像もつかないけれど、いや、ホントにつらかった。その苦しみ、孤独、ず〜っとどうしてあげることもできず、ただ寄り添ってきましたけれども、この教会でひたすら福音を聞いて、聴いて聴いて聴いて、ずっと聴いているうちに、どんどんどんどん、あなたも変わってきましたよね。生まれ変わっていく姿を、私はずっと見てきましたよ。顔が変わっていきますもんね、まず。「あなたの娘は死んだんじゃない。神に愛されて、先に神さまのところに生まれていって、あなたを待ってるんだ」。そう言った時から、あなたの目に希望がね、新しい希望が生まれた。あのつらかった日々のこと、もう忘れちゃっていいですよ。それは、永遠の命への希望を知らなかった時の闇だったんだから、何も知らずに苦しんでたんだから、もう忘れちゃっていいです。ある種の勘違いだったんです。悲しい気持ちになるのは、それは当然。だけれど、そのあなたを本当に喜ばせてくれるのは、あなたの悲しみの原因だった、あなたの娘です。彼女が天に生まれていって味わっているその天での喜びを、今洗礼と言う恵みで、味わいます。でも本番はね、天に行って再会した時ですよ。ど〜ぞ楽しみにしてください。もう私たちに死はないんです。娘さんは死んだと思っていたからつらかった。何もかも終わったと思っていた。ショックで一時期声も出なくなっちゃったじゃないですか。でも今日は、しっかり声出していただきますよ。この後の信仰宣言で「信じます」って言っていただきますよ。「永遠の命を信じますか」って聞いた時、「信じます」って言ってくださいよ。あなたが「信じます」って、そう言った時、その永遠の命を生きている娘さんが天で喜んでくれる。
 ああ、こうして一人ひとりのことを見ていると、家族のことで苦しんだ人もいる、奥様のことで悩んだ人もいる、つらい気持ちの中を生き延びてきた・・・。きりがないですからもう止めますけどね。目を合わせるだけにしましょうね。あなたも大変だったねぇ・・・ってね。あなたもそう、あなたもそう・・・。いろいろ不安定な時ありましたね、つらかったかもしれないけれど、今日から変わりますよ。まったく変わりますよ。新しい命ですよ。いろいろ考えて考えて、悩んで悩んで、恐れて恐れて・・・。でもそれは全部、今日で終わり。もちろん、恐れとか悩みとか、その脳みそから消えることはないかもしれないけれど、皆さんの魂には、もはや救い主、キリストが宿る。
 そうだ!・・・あなたのことも言わなくっちゃなんないねぇ。一週間前まで、洗礼を受けるの、受けないのって悩んでね。みんなをホントに心配させたんでしたよねぇ。いったん洗礼志願書出しておきながら、「取り下げます」って言ったんだよ、あなたは。(笑)まあ、その気持ちも分からんでもない。脳みそっていうのは、そういうもんです。今までね、その脳みそで考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで。でもそれは、な〜んにもない、空っぽの頭で考えていたのと同じことなんですよ。人の脳みそって、ホントに神様の知恵、永遠の愛を前にしては空っぽも同然。それであなたは、ついにもう考えるのをやめて、まるで赤ん坊のように、「まことの親である天の父を信じよう」って、そう思って、先週ようやく、洗礼志願書が戻ってまいりました。でも、実をいうと、取り下げるって言った時からね、私、かけらも疑わず、「この人絶対受けるよ」って思ってましたから、先週再志願した時は「やっぱりね」って思ったんですよ。だって結局、洗礼は神様が授けるものだから。人がどんなに抵抗したところで意味がないと言っていいんじゃないですか。
 そうそう、そこには、一緒に受ける周りの友達や入門係にずいぶん支えられて決心した方もいますよね。ホントに初めのころは「ヤダヤダ、私受けない、受けない」って言ってたね。(笑)「わたしなんかは受ける資格がない」みたいにね。でも、みんなが「あなたも一緒に受けようよ、だいじょうぶよ、心配ないわよ」ってね。い〜い友達に囲まれて。あるとき深々と頭を下げました。「授けてください」と。あの仲間たちの声、あれこそ神の声ですよ。

 今日はうれしい日だ。この後、みんなの名前呼びますけれど、皆さんの一人ひとりのお名前を、こう、感動なくして呼ぶことはできない。私の呼ぶ声は、神様が呼ぶ声なんだから。神からこうして名前を呼ばれるために、皆さんは生まれて来たんですよ。そのお名前呼びますね。お一人お一人、はっきりと「はい」と答えて立っていただきます。
 洗礼志願者は、代父母と共に、返事をして、その場にお立ちください。

2012年4月7日 (土)録音/4月11日掲載
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