「もう1枚」をお願いします

2013年12月8日 待降節第2主日
・ 第1朗読:イザヤの預言(イザヤ11・1-10)
・第2朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ15・4-9)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ3・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 待降節第2主日、今年は12月8日にあたりましたが、「12月8日」と聞くと、ある世代から上の方は「戦争の始まった日」と思い、私たちカトリック信者は「聖母マリアのお祝い日」と思い(※1)、そして晴佐久神父は「ジョン・レノンの命日」と、(笑)そう思うんですよ。(※2)

 こればっかりはどうしようもない。あの1980年の12月8日のことは、一生忘れられないわけですし・・・ジョン、大好きでしたから。
 ちょっと子どもっぽいところのね、ある人でしたけれども、純粋だったでしょ? 「ラブ・アンド・ピース」なんて、照れくさいような話ですけれど、でも、それこそが人類にとって一番大事なことであるのは、もう間違いない。その、一番大事なことを、真っすぐに、純粋に主張して、そのように生き、具体的にそう振る舞うっていう、それは、私にはメチャメチャカッコよかった。
 既成の概念であるとか、悪しき伝統であるとか、そういうものにとらわれて、「でも、世の中はそんなもんだ。しょうがないよね」みたいな諦めムードの中で、「だけど、愛でしょ?」と真っすぐに言い、「仲良くしようよ、分かち合おうよ、愛し合おうよ」って、てらいもなく訴える。そういうのって、ちょっと照れくさいような感じもあるんだけれども、「大事なことは、堂々と勇気を持って、ちゃんと言おう!」みたいな生き方。これは、私の司祭生活にも大きく影響してます。
 ぼくが神学校入った年なんですよね、1980年12月8日。日本ではもう9日の午後でした。ショックでしたけれど、最初のうちは涙こぼすってわけでもなく、ただ、「とんでもないことになっちゃった」って思いながら、その日の夜になって、あの頃はレコードですからね、レコード取り出して、「イマジン(Imagine)」とか聴いてたんですよ。そのときになって、ようやく気が付いたんです。
 「・・・ということは、二度とジョンの新曲はないってことだ」
 当たり前のことですけど、それに気づいたとき、私にはそれが一番ショックだった。もう、ボロボロ涙こぼして泣いておりました。・・・一晩。・・・もう、二度と会えない。あの音楽、あの愛のメッセージ、あの生き方。
 9・11のときなんか、ジョンが生きてたらって思った人、多かったんじゃないですか?
 あのころ、みんな「イマジン」歌ってましたよね。私、9・11の翌月にニューヨークに行ってミサ捧げたんですけど、ジョンが殺されたダコタ・ハウスの前に行ってみたら、大勢集まって、みんなで「イマジン」歌ってましたよ。
 「天国なんてないって想像してごらん」
 「宗教なんてないって想像してごらん」
 「えっ? それって反キリスト教的なんじゃないの?」って思うとしたら、真逆なんです。
 「キリスト教徒だけが入れる天国なんてないって思ってごらん」
 「自分だけが正しいと思ってる宗教なんてないって思ってごらん」
 そう言ってるんだし、それこそが、テロと報復に打ち勝つ普遍主義でしょう。
 「・・・それをイメージしようよ」っていうのは、まさに真の普遍教会、「カトリック」の精神じゃないですか。ジョン・レノンは、第二バチカン公会議、知ってたんですかね。
 あの日の、「失われたものはもう戻らない」っていう、「ジョンの新曲をもう聴けない」っていう、どうしようもない喪失感っていうのは、強烈に残ってます。
 「喪失感」ってこれ、いろんな悲しみの中でもやっぱり、トップクラスですよね。・・・もう取り返しがつかない。もう二度と会えない。・・・「喪失感」。

 だけど、これまたちょっと、ポール・マッカートニーの話ですけど、・・・この話になると長くなるけど(笑)、 どうしても、ポールの話もさせてくださいな。
 この前、ポールのコンサート行きましたでしょ? で、とっても素晴らしかったっていう話はここでしましたけど(※3)、実は、コンサートで一番記憶に残ったのは、「ヒア・トゥデイ(Here Today)」(※4)っていう曲なんです。
 ポールがね、コンサートの途中で、日本語で、日本語で(・・・・)ですよ、言ったんです。
 「次の曲は、ジョンのために、歌います」って。
 で、ポールがジョンのために歌う歌といったら、この「ヒア・トゥデイ」しかない。これはジョンが亡くなって2年近くたって、ようやくジョンのことを歌えるようになって、作った曲です。 ポールはそのころ、新しいアルバムのレコーディングしてたんだけど、ジョンが死んでから、ショックのあまり、仕事を中断して、音楽できなくなっちゃったんですよ。
 ジョンとポールっていうのは、ホントに特別なつながりがあって、お互いに尊敬しあってましたし、2人はよく悪口言い合ったりしてましたけど、それは、どれだけ仲が良かったかってことですよね。ジョンは、「ポールの悪口を言えるのはオレだけだ。他の奴が言うのは許さない」って言ったことさえある。
 ジョンは、ラジオのインタビューが終わって自宅に戻って来たときに殺されてるんですけど、その人生最後のインタビューで、こう言ってるんですね。
 「人生のうちで2回、とてもよい選択をした。一人はヨーコで、もう一人はポールだ」
 別のところでは、「自分の生涯の最大の功績はポールを見つけたことだ」なんていう言い方をしたこともある。
 まあ、ともかくこの2人のつながりは、この二人にしか分からない特別なものがあって、ポールにしてみたら、ジョンが殺されたっていうのは、これはもう、とてつもないショックで、実際、歌えなくなっちゃった。で、2年近くたってから、ようやくこの曲を作ったんです。・・・「ヒア・トゥデイ」
 ヒアは「ここ」、トゥデイは「今日」っていうより、「今」っていうニュアンスですね。・・・「今、ここ」っていう曲ですけど、「今ここに、もし君がいたなら、何て言うだろう」っていう風に、ジョンに語りかけるような歌を歌ってるわけですよ。(※5)
 実際にポールが、何かのインタビューで(しゃべ)ってたのをテレビで見ましたけど、曲作るときに、ひとりスタジオでピアノ弾きながらアレンジを考えてて、ちょっと弾いてみて「こんな感じかな?」、で、もうひとつ別のバージョンを弾いてみて「これもいいかな?」なんていうとき、そこにジョンがいるんですって。・・・もちろんジョンが死んだ後の話ですよ。で、ジョンに聞く。
 「どっちがいい?」
 すると、ジョンが答える。
 「そりゃ、前の方だろ」
 「やっぱ、そうだよね」
 ・・・そうやって曲作ってるんだって。
 「今、ここに君がいたなら」っていうのは、ジョンのために曲作るんならそういう内容にするしかないっていう、ポールなりの思いなんですよね。で、その歌詞の最後では、こう歌うんです。
 「今だから言える ぼくは君を愛してた 君と出会えて本当によかった 今、ここに君がいてくれたなら ・・・でも、君はぼくの歌の中にいる 今ここにいるんだ ヒア トゥデイ」
 これを、まさか(なま)で聴けるとは思いも寄らなかったんで、ポールが目の前でですね、「ジョンのために」だなんて言って、この曲を歌った日にゃあですね、私はもう、慟哭しておりましたよ。まあ、そうでなくても、涙もろいことはご存じでしょうが、慟哭しておりました。それはね、「あっ、ジョンに会えた!」、そう思えたから。
 ・・・ポールにしてみたら、「君を失ったんじゃない、君はいるんだ、ここに。今ここに」っていう気持ちなんじゃないですか。
 喪失ほどつらいことはないけれど、「いや、失っていない、愛は消えない、今ここに、確かにいるんだ」っていう福音、それはやっぱり一番の希望でしょう。・・・そうじゃないですか? だって、この世は、喪失の連続なんだから。
 「今ここに、この歌の中にいる」・・・。

 福音をこうして語っていても、「主は消えたんじゃない。今ここに、このぼくの愛のメッセージの中に確かに生きているんだ!」と、ぼくだってそう言いたいわけですし、・・・でもこれは、弟子たちがみんな感じたことでしょう。
 弟子たちにしてみれば、命がけで愛したイエスさまでしょ。十字架上で殺されたときには、もう、われわれが想像もつかないくらいの喪失感があったはず。けれども、三日後には「今、ここに主はおられる」って歌ってるんです。
 「主は復活なさった!」
 「今ここにおられる! ぼくらは、愛されている!」
 「主は、この私が告げる福音のうちに生きている!」
 ・・・これはもう、弟子たち自身が、その福音に救われてるんですから、圧倒的なメッセージでした。

 「わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」(マタイ3:11)
 洗者ヨハネはイエスさまのことをそう語りましたけど、この洗者ヨハネとイエスさまも、すごく深いつながりがあったんですよ。なにしろ、それぞれ、エリサベトのおなかの中にいるときと、マリアさまのおなかの中にいるときに、もう出会ってるんだから。まさにお互いに、「君に出会えてホントによかった」「ホントに君を愛しているよ」って言い合えるような、特別な関係。
 この二人、親戚ですしね、おそらくは若い時に二人だけでいろいろ語り合ってると思うんですよ。神の国について、永遠の命について。そして、お互いに深く尊敬し合っていた。特にヨハネは、イエスのことを、この方こそ救い主だと、分かっていた。それで、一足先に世に出て、「もうすぐ真の救い主が、主イエスが現れる。その方こそが、神の国を完成させてくださる。さあ、回心して主を迎えようじゃないか」という思いで、イエス登場の準備をする。・・・素晴らしいチームワークですね。
 ですから、イエスさまも、ヨハネを特別視しています。
 ヨハネは捕まって殺される直前に、イエスに使者を遣わして尋ねますよね、「来たるべき方は、あなたでしょうか」って(cf.マタイ11:3)。これは、イエスを疑っているというよりは、「自分は殺されるけれども、イエスよ、後は任せたよ」みたいなエールを送っていると、とるべきでしょう。「あなたは救い主として、神の国を実現させるんですよね? 信じていいんですよね」と。ある意味ハッパ掛けてるんですよね、牢の中から。「そろそろ、その時が来たんじゃないですか?」って。
 そのとき、イエスは答える、「大丈夫だ。牢に帰ってヨハネにこう答えろ、『ちゃんと神の国は始まっているぞ』と。貧しい者には福音が告げられ、死者は生き返ってるよ」と(cf.マタイ11:4-5)。そして言うんです、「あのヨハネは預言者以上の存在だ。およそ女から生まれたもののうちで、ヨハネより偉大な者はいない」(cf.マタイ11:11)と。(※6)
 そして、ヨハネは殺され、それを聞いたイエスは、ついに、エルサレムに向かいます。ご自分において始まった神の国を完成させるために。
 まあ、ヨハネの英語読みは「ジョン」ですけど、(笑)なんかね、12月8日に「ヨハネ」と聞くとね。・・・洗者ジョンが殺されたと聞いて、イエスはいよいよ「時が来た」と悟ったんです。殺されたヨハネはもちろん、この世のあらゆる喪失を復活の栄光へと導くために、自らを捧げる時が来た、と。

 弟子たちが私たちに命がけで伝えてくれたことは、もう唯一、「イエスは生きている」なんです。
 「あなたは『愛する人を喪失した』って言う。あなたは『もう自分は救われない』と思っている。でもそれは、あなたの(・・・・)考えであって、主は(・・)、もう復活なさっているし、主と共に世界は復活し始めている。主は死んでいない。あなたと共にいるし、あなたのうちに生きている。そこにのみ、希望を置け!」と、弟子たちはそれを告げに全世界に出かけて、福音を宣言して回ったわけですよ。
 まあ、パウロの英語読みが「ポール」だなんて言うつもりもありませんが、(笑) ポールはただひたすらに主の復活を宣言して回っていたでしょう? これこそが、キリスト者が告げ知らせるべき、一番大切なメッセージなんじゃないですか。
 「主は、今、生きてるんだよ、このメッセージのうちに!」という、それはやっぱり、言って回らなきゃならないこと。失ったかと思って苦しんでいる人たちが大勢いるから、これはやっぱり、言って回らなきゃならないことでしょう。

 さて、「喪失」といえば、被災地。
 まさに喪失の地ですけれども、先週、3・11からちょうど1000日たったんですね。ちょうど1000日っていう日に、私は釜石にまいりました。釜石を訪れるのは、もう10回以上ですけれども、相変わらず、皆さんからの義援金を直接お届けし、現地の要望を直接聞いてくるっていうやり方を続けています。
 釜石は、カリタス釜石がNPO法人になり、おかげさまで、皆さんのご協力で、ワゴン車も買えましたし、少しずつではありますけれども、会員も増えていってます。このベースを応援に行ってるわけです。
 現地では、他のボランティアベースが撤退していくんですよ。たとえば、キリスト教系の別のベースも撤退しました。撤退っていうか、その中の一人だけ残ってて、私が応援に訪問したら、駅前に小さな部屋を借りて、まだ頑張ってましたけど、やっぱり1000日もたつとね、少しずつ、「もういいかな・・・」みたいな感じになるのは、仕方がないかも知れません。
 でも、私なんかは意地っ張りなほうだから、「ここからだ、1000日からだ!」っていう気持ちがあるし、現地のスタッフも、そういう思いで頑張ってるんです。だって、まさに、ここからでしょ。「みんなが撤退するなら、これからだ。一番目立たないところの苦しみに寄り添って行こう」っていう、これはやっぱり、カトリックっぽいですよね、そういう意地の張り方は。
 地元でも、「カリタスさんは、いなくなりませんよね?」って言われてるそうですけど、「もちろんです」って答えますし、いなくなるどころか、このたび、ついにベースの拠点となる建物が建つんです。今まで、事務所やボランティアの宿泊スペースは釜石教会の司祭館、信徒館に間借りしていたんですけど、釜石教会の駐車場スペースに、新しく「市民交流センター」「市民活動センター」・・・、まあ、呼び方はこれから決まるんでしょうけど、それを建てる計画がまとまって、来年の4月ごろに出来上がるんです。そういう意地の張り方っていうのは、あの喪失の地にあってはね、失ったかに見えて、実は始まってる、失ってないんだっていう、一番の希望でしょう。
 釜石に行くと、いつも、スタッフのみんなを励ますために、夜、近くのお店で食事を振舞うんですけど、これも復興のためっていうことで、被災したお店を選んで出かけるわけですね。で、今回も、教会のすぐ近くの被災したお店を予約して行きました。小さな飲み屋さんですが、営業再開して頑張ってるところを借り切って、スタッフみんなで十数名でね、「これからも、頑張ろう!!」って。
 そこのおかみさんが、なんだかすごくうれしそうに次々とお料理を出してくれて、これが心のこもった家庭料理でね、ホントにおいしくって、でも、ホントに次々と品数が多くって、内心、「これ、予算以上だな」と思いましたけど、でも復興支援ですしね、「さあ、どんどん食べて、飲んで♪」ってやってました。
 けど最後、お勘定ってなったら、これが予算以下で、とっても安いんですよ。「これじゃ安すぎます」って言ったら、「いえいえ、いいんです」なんて言う。でもそれじゃ、復興支援にならないし、「いやあ、困りますよ」っていう話になったとき、「いいんです。皆さんが、今日、ここに来てくれただけで、ホントにうれしいんです。だって、カトリックさんには、どれだけお世話になったか」って、・・・そう言うんですよ。喜んでる気持ちがあふれてるんですよ。うれしいじゃないですか、そんなこと言ってもらって。
 あとでベースの人が教えてくれました、「あそこのおかみさんは、ホントに喜んでるんだ」って。聞けば、おかみさんが被災した直後、カトリックさんがすぐにベースを設けて、支援品を配ってくれた、と。おかみさん、そこに毛布をもらいに行って、「毛布、いただけますか?」って言ったら、ベースの人が「はい、どうぞ!」って毛布を渡してくれた。で、帰ろうとしたら、「もう1枚持っていきなさい」って言って、毛布をもう1枚渡されたそうです。
 「私は、あんなにうれしかったことはない。すべてを失ってしまった。もう未来なんかない。これからどうなるのか、そう絶望しているときに、毛布を配ってくれて、しかも『もう1枚持っていきなさい』って。私は、あの『もう1枚』が忘れられない・・・」
 ベースの人が、「あそこのおかみさん、繰り返しそう言うんですよ」って。お料理に、もう一品、もう一品と加わる理由が分かりましたよ、それを聞いて。

 「失った」っていうのは、これは、もうしょうがない。もう、取り返そうったって、取り返せない。普通はそう思う。
 でも、実は、取り返せなくても平気なんです。取り返す必要もない。なぜなら、失ったんじゃないから。失ったかに見えて、むしろ「もう1枚」が、そこにちゃんとあるんです。
 キリスト教が、「十字架」=「復活」って言ってるのは、まさにそのことでしょう。どうしても「もう1枚」を渡したい、神の愛。それが「今ここ」にあるって言ってるのが福音なんだし、イエスの救いが実現している「ヒア・トゥデイ」ですよ。
 私は、この福音こそは、すべての人を救うと信じてるし、特に「失った」と思ってるところでこそ、この福音が輝くと、そう信じてます。

 釜石に行くと、晴佐久神父は、現地の要望を安請け合いして帰って来ること、もう皆さんお気づきでしょうが、・・・安請け合い、しちゃいました。(笑)
 お話しした通り、釜石教会の間借りからベースは自立して、ちゃんとセンターを建てることになりました。それはもう、カトリックのベースとしてだけじゃなく、地元の他の支援団体も自由に使えるようなスペースとして。・・・そういうとこがまたカトリックっぽいんですけど、「皆さん、どうぞ♪」って感じで、ドーンと建てるんです。プレハブ2階建てですけど、総工費は5千万円。
 それで、「5千万、どうぞお任せください!」って、・・・とは言いません。(笑)もちろん、めどは立っていてですね、3千万はカリタスジャパンから、1千万が仙台教区から、そして、自己資金から500万。・・・あれ? 足りないぞ。(笑) 3千万+1千万+500万で4千500万。・・・500万足りない!
 「どうぞお任せください!」・・・(笑)
 「来年復活祭の頃の開所式には、耳揃えて持って参ります」と。
 ぜひご協力ください。多摩教会はもちろんですけど、今回はなるべくいろんな所で呼び掛けて、みんなが与える喜びを味わえるようにしたいと思っています。(※7)
 「失われたんじゃないんだ」「ちゃ〜んと神は与えてくださってるんだ」「私たちは与える側になろう」と、そんな思いを、みんなでね、共有して、「あの、すべてが流されたかに見える地に、真の福音と希望をもたらしたい!」と、そう思ってます。
 あらゆる喪失に打ち勝つ福音のために、「もう1枚」をお願いします。
 皆さんと共に「ヒア・トゥデイ」、「主はおられる」と信じます。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1: 「聖母マリアのお祝い日」
・ 「無原罪の聖マリア」の祭日(12月8日)
聖母マリアが、罪なく(原罪を受け継ぐことなく)、その母、聖アンナの体内に宿ったことを記念する日
(参考)
・「日本と聖母マリアについて」(カトリック中央協議会)
・ 「教会カレンダー:無原罪の聖マリア(祭)」(女子パウロ会「Laudate」)
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※2:「ジョン・レノン」
・ ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(John Winston Ono Lennon)
 1940年10月9日-1980年12月8日
 イギリスのミュージシャン。1960年代に世界的人気を得たビートルズのリーダー。ヴォーカル・ギターを主に担当した。ポール・マッカートニーと大半の楽曲を製作。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また平和運動活動家としても活動。1975年から約5年間音楽活動休止した後、1980年12月8日に、ニューヨークの自宅アパート前においてファンを名乗る男性により射殺された。(「ジョン・レノン」ウィキペディアより抜粋)
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※3:「とっても素晴らしかったっていう話はここでしましたけど」
・「あなたに会いにきてくれる」(2013/11/24説教)参照
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※4:「ヒア・トゥデイ (“Here Today”)」
・ 1982年にポール・マッカートニーが発表した楽曲。1980年12月8日に殺害されたジョン・レノンへの追悼歌である。アルバム『タッグ・オブ・ウォー(“Tug of War”)』収録。(「タッグ・オブ・ウォー」ウィキペディア)
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※5:「ジョンに語りかけるような歌を歌ってるわけですよ」
(参考)
・「ヒア・トゥデイ(Here Today)」(日本語訳付き)Paul McCartney」(YouTube)
・「Here Today / ヒア・トゥデイ(Paul McCartney / ポール・マッカートニー)、1982」(「洋楽和訳(lyrics)めったPOPS」/個人ブログ)
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※6:「あのヨハネは預言者以上の存在だ。およそ女から生まれたもののうちで、ヨハネより偉大な者はいない」
(参照)
・ルカ福音書:7章26節〜28節 / マタイ福音書:11章9節〜11節
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※7:「ぜひご協力ください」
 このたび、「福音の村」でも、募金をお願いすることになりました。
 皆さま、お一人おひとりのご協力を、心からお願い申し上げます。
 詳細は>>こちらの、「カリタス釜石に活動拠点を!」のページをご覧ください。
 また、晴佐久神父から皆さまへのメッセージ、「「福音の村」の読者の皆さまへ 募金協力のお願い 」も併せてお読みください。
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2013年12月8日 (日) 録音/2013年12月13日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英