苦しんでいるケイスケ君に

【カトリック浅草教会】

2018年1月21日 年間第3主日
・ 第1朗読:ヨナの預言(ヨナ3・1-5、10)
・ 第2朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント7・29-31)
・ 福音朗読: マルコによる福音(マルコ1・14-20)

【晴佐久神父様 説教】

 イエスさまから、「わたしに(・ ・ ・ ・)ついて来なさい」と、そう呼び掛けられました (cf.マルコ1:17) (※1)
 ついて行きましょう。
 まごころから、自信を持って、「まことの愛」を持って、そう呼び掛けてくれた人、他にいますか? 「わたしに」ついて来なさい、と。そういう方に出会えたっていうことは、私たちにとって、本当に大きな喜びです。まことの愛を持たないものについて行って、ひどい目に合うってこともありますけど、イエスさまについて行くのは、神の国を見るためです。「神の国は、もうここに来始めている」と信じて、神の国の完成に向かう道を、私たちは歩んでまいります。

 昨日、オウム真理教の裁判が、ぜんぶ終わりました。感慨深いです。実は、一番多くサリンを撒いた林泰男さんは、中学時代、同じ学校で、私の同学年でした。隣のクラス。「やっちゃん」って呼ばれていた優しい子でした。でも、「私について来なさい」と、「まことの愛」を持たない教祖に言われて、ついて行って、殺人犯となり、死刑判決。(※2)
 私は、まことの愛を持ったイエスさまに出会えて、そのイエスについてきましたし、今日もなお、ついてきたことを片時も後悔することがない。これからも、恐れることなくついて行きます。この世に恐れはいっぱいあるけれども、だからこそ、イエスさまにすがりついて、ついて行きます。
 「イエスさまについて行ける」ということが、どんなにすばらしい恵みかということを、改めて、皆さんには強調したい。そうして、そのように、特に若い人たちに、イエスさまについて行ってほしいと、申し上げたい。今日、新成人の方たちが来ておられますけれども、「イエスから離れるな!」「この人について行ってくれ!」と、まごころから申し上げたい。
 この世では、いろんな人がいろんなことを言って、「こっちがいいぞ」「あっちがいいぞ」って言うけれども、まず、ともかく、イエスを見てほしいし、イエスについて行ってほしい。まさにパウロは、「この世の有様は過ぎ去る」と、そして、「この世のことにかかわりを持たない人のようにすべきだ」とまで、さっき言ってました (cf.一コリ7:31)(※3)。そのとおり、「この世の有様は過ぎ去る」のです。その過ぎ去るものについて行っちゃったら、自分も一緒に過ぎ去っちゃうんですよ。だから、過ぎ去らないものを信じて、ついて行く。
 特に、新成人の皆さん、それがどういうことか、「ついて行く」っていうのがどういうことか、そして、どのようについて行くのかを、ここでは細かくお話しする時間がありません。・・・詳しく知りたい方、ぜひ面談しましょう。(笑) 晴佐久神父、60分から90分、じっくりお話ししますよ。ただ、ここでは、ともかく、「イエスについて行け!」と、「本物の救い主から離れるな」と、それをどうしても言いたい。

 先週も上野教会でお話ししたんですけど、この近くの、ある神社で、殺人事件がありましたでしょう。去年の年末ですか、辞めさせられた宮司(ぐうじ)が、まあ、辞めさせた側なんでしょう、新しい宮司になったお姉さんを日本刀で殺しました。恨みですね。で、そのときの遺言に、「私は怨霊(おんりょう)となってこの世に残り、永遠にたたり続けます」と残して、それをコピーして各所に送り付けたんですね。だから、みんな知ってるんですよ。マスコミでも流れました。それで、今年の初詣は参拝客が激減したということですけど。ところが、上野教会の入門講座に通っている一人の青年が、その激減した様子を見に行ったんですね。(笑) わざわざ。まあ、初詣っていうことになるわけですけど、その後、駅の階段で足滑らせて、けがをして、松葉づえついて来たんですよ、入門講座に。そして、「たたられたぁ~!」って、(笑) 言うんです。
 ですから、私は、その入門講座で、急きょお話しました。「神は、たたらない」と。たたる神なんか、神じゃない。神は愛するんであって、それこそはキリスト教の基本でしょう。イエス・キリストの教えの、基本中の基本です。・・・神は、たたらない。「たたる神」なんて、語義矛盾ですから。そんなものは、神じゃない。「あなたが」それを「たたりだ」と思ってるだけで、神は、ひたすら愛してるんです
 私は、彼に言いました、「あなたが、駅の階段で、そのままホームから転げ落ちて、電車にひかれなかったのは、その神社の神さまのおかげですよ」と。(笑) それが信仰っていうもんです。・・・神は、たたらない。(※4)

 さっき、第1朗読で読まれましたけれども、まあ、ニネベっていう街の風紀は、そうとう乱れてたんでしょう。今の東京みたいなもんでしょうか。そこでヨナは預言者として、「40日したら、この街、滅びるぞ」と (ヨナ3:4)。まあ、ある意味、脅しですけどね。そうすると、ニネベの人たちは素直ですね、神を信じて断食して、悔い改めた。そこで、神さまは、「思い直され、災いをくだすのをやめられた」(ヨナ3:10)と。これが、旧約の神ってやつですね。(※5)
 でも、この神、やっぱりちょっとおかしくありませんか? 「滅ぼすぞ」とかって脅しておいて、人々が、「え~っ!? ごめんなさい!」って回心したら、「それじゃあ、滅ぼすの、やめてやろう」とかって。これ、なんか、神と人の関係が、ちょっと幼稚ですよね。
 ・・・そうなんです。旧約の神は、まだ人類が幼い段階の神なんですよ。もちろん、幼いこと自体は悪いことではありません。成長の過程で、必要な段階です。子どもはそうやって育っていくわけですから。人類も同じで、初めのうちは、親が叱ったり、ちょっと脅したりもするし、子どもも「ごめんなさい!」って謝ったり反省したりするし、そうすると親が、「そうか、分かったなら赦そう」って赦してくれたりっていうようなやりとりをしてるんです。つまり、神が人類を育てるプロセスなんです。
 子どものころは、みんなわがままでしょ。そんなときにちょっと厳しく対応するのも、親心でしょう。でも、まさか本音で、わが子にバチをあてるとか、(さば)いて滅ぼすとか、そんな神、いるわけないじゃないですか。だから、人類もいよいよ成長してきて、旧約の段階を卒業して、イエスが真の親心を、本当の神の愛を、教え始めた。これが新約ですね。親とちゃんと向き合えるだけの大人になったんです、人類は。そのために、神はイエスを送ってくださって、「すべてのわが子を救う天の父」という福音を語ってくださっている。
 もし、旧約の段階の神でいいんだったら、ヨナがいればいいじゃないですか。イエスなんかいりませんよ。でも、イエスは来られたし、「みんな(・ ・ ・)、救われる」と、「決して神は罰しない。(まこと)の親は、神の子たちみ~んなを愛している。だから、必ず救うんだ」と、命捧げて教えてくれた。
 特に若い人たちに、その、神の愛への信仰を持ってもらいたい。これから、いろいろ経験するでしょう。いろんな恐ろしいこともあるでしょう。魔が差して変な教祖について行っちゃったりして、地獄を見るかもしれない。でも、思い出してほしい。「ついて行くべきは、イエス・キリストだった」と。それも、「罰するイエス」とか、「裁く神」とかじゃなく、「そんな罪深いあなたをこそ、私は命がけで愛している」と受け入れてくれる、そのような、真の親。そのような、神。その神を(あか)しするイエスに、ついて行ってもらいたい。
 「わたしについて来なさい」(マルコ1:17)っていう、イエスさまからの呼びかけが聞こえますか。

 昨日の「福音カフェ」に、上智の神学部の学生たちが、ぞくぞくとやって来ました。昨日、卒論の発表だったんですね。発表は、口頭試問です。神学部4年間の総仕上げというか、クライマックスですね。だから、終わったらみんなホッとして、ぞくぞくとやって来て、そのレジメ(要約・概論)とかも見せてくれて、ミニ発表会をしてくれました。上智の教授より、晴佐久神父の方が丁寧に聞いてくれるって喜んでましたけど、(笑) 面白かったですよ。何が面白かったかっていうと、みんな、特に神学部だからっていうこともあるんですけど、自分が一番関心のある、そこが自分にとって一番知りたい、必要だって思うところを追究して、卒論にしてるんですね。
 たとえば、プロテスタントの洗礼を受けた一人の青年は、わざわざカトリックの上智大学にやって来て、プロテスタントとカトリックがどう違うのか、どちらも救われるはずなのに、なぜ違いがあるのか、そこを自分なりに調べて研究した。そこにけりをつけないと、その先に行けないと思ってるんですよね。偉いと思う。・・・というか、若いと思う。いいことですよ。自分がホントに、「そこを超えてかなきゃならない」っていうところを、真剣に追究する。これ、イエスについて行こうとする、一つの在り方ですね。・・・感動的でした。それを精いっぱい研究して、卒論にして、それを出す。
 「すべての人が救われるんだ」っていう普遍主義について、研究した人もいました。みんなやっぱり、自分の救いのことだから真剣なんですよ。
 私も思い出します。神学校の卒論は、「救済論」だったんですね。人が救われるって、どういうことなのか、それが分からないと、人を救うことだってできない。「あなた、こうしたらいいですよ」って言って、その人が私の思うとおりになったとしても、それは救いじゃないっていうことだって、あり得るじゃないですか。本当に救うのは神。でも、その神さまのお手伝いをするっていうのは、どういうことなのか。
 私、それは真剣だった。真剣にやりすぎて、勉強しすぎて、ついに卒論が間に合わなかったんですよ。(笑) まあ、物は言いようですけど。でも、ホントに真剣だったんです。だけど、間に合わなかった。・・・で、目次は出した。半分書いたところまで出した。「残り半分は、後払いで」って。(笑) ・・・もう亡くなった先生ですけども、なんと、それをゆるしてくれた。で、私は卒業できました。ゆるすどころか、すごく()めてもくれた。「この文章には心がある、力がある」、そう言ってくれた。「この先を読みたい」と、そうも言ってくれた
 で、私は、その約束を果たしました。っていうか、今、果たしているところです。この1月から、「福音家族」っていうタイトルで、『福音宣教』っていう雑誌に連載しています(※6)。1年間の連載です。これは、まさにあの頃の卒論の後半なんですよ。ただ、その後半が書けるようになるまでに、30年かかった。まさに、そういうことですね。その間、いろんな体験もした。勉強もした。本気で道を探し求めてきた。
 それこそ、神学校に飛び込んだのが、ちょうど21歳のとき。二十歳(はたち)のとき決心して、21歳のときに願書を出した。新成人の年です。私は真剣でした。人が救われるって、どういうことなのか。そして、私はそれを見つけました。・・・イエスについて行ったおかげです。
 ついて行った、その結論ともいうべきところが、結局、イエスと共にあること、イエスの周りに集まっていた、あの仲間たち、その仲間たちと共にあること、そこに、やっぱり、私は答えを見出した。一人で信じて、一人で救われるんじゃない。イエスの周りに集まっている仲間たちと共に生きていくこと。
 ・・・福音家族。
 そうです。私は、そこに救いがあると信じて、今、それを書いているところです。
 新成人の皆さんには、いずれ本にまとまったら渡しますから、ぜひ読んでいただきたい。

 昨日訪ねて来られた方、関西から上野教会にやって来て、「息子を捜している」って言うんですね。25歳の息子さんです。息子さん、一年前に失踪して以来、行方が分からない。勤め先でいろいろ悩んでいたのは、お父さんも知っている。仕事がだんだん大変になってきたところに、上司にあたる人が、非常に重い課題を与えたんですね。で、それが到底できないような課題で、まあ、いじめと取られてもしょうがないような状況だったようです。ともかく、その課題を与えられて、彼は絶望しました。お父さまに、「自分はもう無理です」と、「疲れました」と、「誰も恨んでいません」と、そういうようなメールを残して、いなくなった。それから一年、どこで、どうしているのか。
 ご両親は、この一年間、すごく苦しみました。親子関係は、そう悪くなかったようですが、・・・とても苦しんだ。そうして、なんとか息子を見つけたいと思い、「生きていてくれさえすれば」という思いで、祈りながら捜し回っています。親子とも、カトリック信者です。特にお母さまがね、本当に苦しんでいるようです。それで、お父さまが、休みのたびに東京方面に出て来ては、捜してるんですよ。というのは、携帯の位置情報の履歴があって、家を出たその日に、東京に来てるんですね。そして、横浜の綱島っていう所を最後に、消えたそうです。
 で、そのお父さまが、どこかで、「カトリックの神父で、その周囲にさまざまな若者たちが集まっている神父がいる」と聞いて、もしかして何か情報があればと訪ねて来た、というわけです。確かに晴佐久神父のところには、いろんな不思議な若者たちが集まってきます。それこそ、道を求めて。本物を求めて。私は、それに応えているつもりですし、実際に悩んでいる青年で、救いを求めて私のところへ来る人は多い。
 ですから、お父さまに、「希望はありますよ」と申し上げました。「私、会える気がする」と。彼の写真を見た瞬間、そう思ったんです。「なんだか、会える気がする」と。名前が「ケイスケ」っていうってのもあって。いや、私の周りに、ケイスケ、いっぱいいるんですよ。なぜだかケイスケが集まってくるんで、このケイスケにも会える気がする。そう言いました。
 私、今、仮称ですけど、「アキバ家族」っていう若者の集いもお世話しているんですね、これは、アニオタ(アニメオタク)とかゲームマニアとか、まあ、秋葉原系ですね。そんな話もしたら、「うちの息子もそっち系です」って言うんですね。「アイマス」って知ってます? アイドルマスターっていう、アイドルを育てていくゲームがあるんですけど、彼はそれにハマっていた、と。で、実は、アイマス好きだったら、横浜の綱島は聖地なんですね。綱島の交差点とか河川敷とか。だから、本当につらいときに、そこに行ったその気持ちは、よく分かります。だから、アキバ家族にも頼んで、ケイスケ君を捜してもらおうかと思ってます。
 私は、今の、この世界が、特に若い人たちにとって、本当に生きづらい世の中だっていうことを、よく知っています。しかし同時に、こういう困難なときにこそ、本当に、イエス・キリストが輝き出しているのも、よく見えます。この人について行けば、必ず救われる。絶望することがない。この世でどれほど重い課題に苦しんだとしても、どれほどお前は役に立たないと言われたとしても、神が、「あなたこそ、わたしの愛するわが子だ。あなたこそ、かけがえのない、役に立つ存在だ」と、そう言っておられるのを、私はやっぱり、若い人たちに伝えたい。それを、なんとか、ケイスケにも伝えたい。・・・なんか、会える気がするんですよ。
 一応、顔写真入りのチラシをお父さまからお預かしりましたので、後ろに置いておきます。お帰りのときにチラリと見て、もしも情報がありましたら、ぜひ、伝えてほしい。生きていてくれると私は信じていますし、そして、もしも会えたら、「わたしについて来なさい」と、そう言いたい。「福音家族に出会えたら、必ず救われる」と、私はそう信じてお迎えします。だって、私のうちにもキリストが宿っているんだし、こんなんだって、主の道を真剣に歩んでいるキリスト者なんだから。それは、皆さんだって、そうでしょう?

 私たちの身の回りに、実は、大勢の「ケイスケ君」がいるんじゃないですか。今、苦しんでいる、道を求めている、時に消えたくなっちゃった「ケイスケ君」が。その苦しんでいるケイスケ君に、すべての人を救う神の愛を伝えたい。新成人のお祝いの日に、「わたしについて来なさい」というお言葉を頂いて、私たちは、まず、まごころから、「はい、ついてまいります」と、そうお応えいたしましょう。そうして、今、道を求めている大勢の若い人たちに、「道を示す」という教会の使命を、もう一度、新たにいたしましょう。

 今日、新成人のお祝いをする皆さんに、この一言を生涯忘れるなと、私のまごころからのプレゼントとして、贈ります。
 「わたしに(・ ・ ・ ・)ついて来なさい」
 イエスさまは、あなたに、そうおっしゃってます。
 「はい」
 そう、お応えいたしましょう。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「イエスさまから、『わたしについて来なさい』と、そう呼び掛けられました (cf.マルコ1:17)
この日、2018年1月21日(年間第3主日)の福音朗読箇所から。
 福音朗読:マルコによる福音(マルコによる福音書)1章14~20節
  〈小見出し:「ガリラヤで伝道を始める」「四人の漁師を弟子にする」〉
===(聖書参考個所)===
 
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 (マルコ1:16~18/赤字引用者)
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※2:「昨日、オウム真理教の裁判が、ぜんぶ終わりましたけれども、(中略)殺人犯となり、死刑判決」
 「オウム真理教の裁判」は、1980年代末期から、1990年代中期にかけて、オウム真理教〔麻原彰晃 (あさはら・しょうこう) 、本名・松本智津夫被告を開祖とする新興宗教〕が起こした事件の裁判。
 お説教中の林泰男(小池泰男)被告は、同教団の元幹部。オウムの一連の事件でも、特に、多くの犠牲者を出した地下鉄サリン事件に積極的にかかわったとされている。ワイドショーなどでは「殺人マシン」などと呼ばれたが、頼まれたら断れない弱さを持ち、同じく事件に関与した井上嘉浩被告からは、「実行メンバーの中でもっとも人間的で優しい人なので、いやがることを引き受けた」と言われている。2008年2月、死刑が確定した。   (文中へ戻る
===(もうちょっと詳しく)===
 オウム関連の事件では、29人が死亡、負傷者は6千人を超える。「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」といわれるこれらの事件の刑事裁判は、1995年の強制捜査から23年になる本年1月19日、すべて終結した。その間、192人が起訴され、13人の死刑が確定した。
 この事件で特に注目されているのは、1989年11月の坂本弁護士一家殺害事件、1994年6月の松本サリン事件、1995年3月の地下鉄サリン事件の三つの事件で、毎日新聞では、これらをオウム「三大事件」と呼んでいる。
(参照)
・ 「林 泰男」(ウィキペディア)
・ 「小池(旧姓:林)泰男の生い立ち【元オウム真理教幹部】」(NAVERまとめ)
・ 「オウム裁判終結 高橋克也被告の無期懲役確定へ2018/1/19(産経ニュース)
・ 「最高裁 高橋克也被告の上告棄却、オウム裁判終結2018/1/19(毎日新聞)
・ 「オウム裁判終結、高橋被告の無期確定へ2018/1/19(JIJI.COM)
・ 「オウム裁判終結(関連ニュース)2018/1/22(産経新聞)
・ 「オウム全公判終結 (2011年11月) 2012/6/3(毎日新聞)
・ 「オウム真理教事件」(ウィキペディア)
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※3: 「まさにパウロは、「この世の有様は過ぎ去る」と、そして、「この世のことにかかわりを持たない人のようにすべきだ」とまで、さっき言ってました(cf.一コリ7:31)
この日、2018年1月21日(年間第3主日)の第2朗読から。
 使徒パウロのコリントの教会への手紙一7章29~31節
  〈小見出し:「未婚の人たちとやもめ」7章25~40節から抜粋〉
===(第2朗読全文)===
 
兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。(一コリ7:29~31/赤字引用者)
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※4: 「この近くの、ある神社で、殺人事件がありましたでしょう。(中略)・・・神は、たたらない」
 この辺のことは、先週の上野教会でのお説教のなかでも、触れられています。
 興味のある方は、「神は、たたりません」 (2018/1/14説教) 、上から5段落目(この辺)から、また、同日の「参照※4」などをお読みください。
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※5:「さっき、第1朗読で旧約聖書が読まれましたけれども、(中略)これが、旧約の神ってやつですね。」
この日、2018年1月21日(年間第3主日)の第1朗読は以下のとおり。
 ヨナの預言(ヨナ書)3章1~5節、10節
  〈小見出し:「ニネベの悔い改め」3章1~10節から抜粋〉
===(聖書参考個所)===
 
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。神は彼らの業(わざ)、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。 (ヨナ3:4~5、10)
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※6:「この1月から、「福音家族」っていうのを、『福音宣教』っていう雑誌に連載しています」
◎『福音宣教』 (キリストを伝えるためのカトリック月刊誌)
 発行: オリエンス宗教研究所
 発行間隔: 月刊
 発売日: 毎月15日、年間11回(8、9月合併号)
 価格: 一冊540円(送料別)、年間定期購読6300円(送料込)
 2018年の年間テーマ: 「いのち息づくところ」
 「かけがえのない神からの大切な贈り物、『いのち』。いのちが息づいている多様な場所を見つめ、この贈り物について考え、味わい、感謝するきっかけの数々をお届けします」 (オリエンス宗教研究所)
 晴佐久神父連載: 連載タイトルは「福音家族」
 「福音に招かれた、また招かれる人々が集い、キリストに結ばれ、福音家族となっていくありかたを考え、探っていきます」(晴佐久神父)
(参考)
・ 「月間 『福音宣教』」(オリエンス宗教研究所)
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2018年1月21日(日) 録音/2018年2月22日掲載
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