魔物と戦って

2014年2月16日年間第6主日
・第一朗読:シラ書(シラ15・15-20)
・第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント2・6-10)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ5・17-37)

【晴佐久神父様 説教】

 バスも動かない、車も出せない、足元も雪深い朝、よくお集まりくださいました。
 でも、よく晴れた日曜日の朝ということもあって、みんな雪かきに出ていて、街なかが何やらいい雰囲気じゃないですか? なんでしょうね、この、ちょっとあったかい感じっていうのはね。普段あまり口利いたことのないご近所さんが、雪かきしながら、「よく降りましたねえ」なんてね、言い合ってるこの感じ、すごくいいと思いますよ。
 このあたりも、昨日の午後、土曜日休みの人とか、ご近所の人たちが大勢雪かきに出てきてね。そこの前の道、すごくきれいでしょ?(※1) 教会も頑張りましたし、あの角のホームの職員も頑張ったし。みんなが歩きやすくなるようにね。お互いに、ほっこりした気分で。

 先週も大雪でしたけど、教会で集まりがあって、雪の中頑張ってやって来たひとりの青年が、おもしろいこと言ってました。
 彼はいつも電車で通勤してるんですけどね、大雨の時は、電車の中って、いつもよりみんなイライラしてて、なんかこう、ギスギスしてるんですって。でも、大雪の時は、なんだかみんなちょっと優しくって、車内がほっこりあったかい感じなんだって。何でだろうねって、不思議そうに言ってました。なるほど、なかなか鋭い観察ですね。
 雨と雪で何が違うっていうんでもないでしょうけど、たぶん、みんなちょっとこう、子どもの頃でも思い出すんじゃないですかねえ。無邪気で楽しかったころの、幸せな思い出。そもそも「大雪」自体が、なんていうか、神様の世界からやって来た「恩寵(おんちょう)のしるし」みたいでしょう。きれいですしね、真っ白で。それに、日本人だったら、長く雪に閉ざされている中で助け合って、分かち合って生き延びてきた、そんな本能っていうか、遺伝子みたいなものが発動するのかもしれないですね。
 助け合って、雪かきをしている時のご近所さん、ほっこりあったかくっていいんですけど、だったらもう少し普段から、そういう遺伝子みたいなのを発動させて、みんながもうちょっとあったかい感じにできたら、ぜんぜん世の中変わるんじゃないかなあっていう気がするんですけれど。
 皆さんの中にある、神様から与えられた優しさ。これはもう、すべての人の中にホントに、それこそ生物学的な遺伝子レベルですら、備わってるはずなんですよ。さらには、目に見えない霊的なレベルでも、愛とか優しさって、すべての人の中に、ちゃんとぜんぶ揃ってるんです。あとはそれを、何かのきっかけで発動させるっていうかね、それを邪魔している何かを取り除いて、その本来の力を発揮させれば、世界はあっという間に神の国になるんですけどねえ・・・。
 

 今日の福音書(※2)で、イエス様が言ってることは非常にシンプルなことです。これ、マタイの「山上の垂訓(すいくん)(※3)を最初から読んでればよくわかることですけれど、ともかくイエスは一番最初に、「幸いだ! あなたたちは」っていう祝福から始めて、ず〜っと神の愛の話をしている。
 で、これ、イエス様は、ご自身が愛そのものですから、「この私に現れている神の愛を、みんな信じて、受け入れて、愛し合ってくれ」って、そう言いたいだけなんです。
 愛だけあれば、もう十分。外面的なこととか、(おきて)に頼るとか、自分は正しいんだって言い張るとか、もう、そういうことではなくて、ほんのチョットの優しさで目の前の人を受け入れたり、たったひと言でも励ましたりする、そんなことで、すべてはうまくいく。それこそが神の国だっていうことを、イエス様、言いたいわけですよ。
 「俺は律法をちゃんと守って、殺人の罪を犯していない、あんな人殺しどもとは違う」なんて威張ってる人がいたとしたら、イエス様は「そうじゃないだろう。そういうおまえは、他人に『このばか野郎!』って言ってるじゃないか。目の前の大切なパートナーに、『なんて愚かなやつだ!』って怒鳴ったじゃないか。そこには、最高の掟である愛がないだろう。確かに律法には、『人を殺すな』って書いてあるけど、『ばか』ひと言でも、相手の魂を傷つけ、『愚か者』ひと言でも、相手の存在を否定しているんであって、それは殺したのとおんなじだろう。律法を守るっていうのは、外面的なことじゃなく、まずは神が与えてくれた、心の奥の優しい気持ちを何よりも大切にすることなんだ」。・・・そういうシンプルなこと、言ってるんです。
 姦通(かんつう)の罪がどうのこうのっていうのも、当時なんかは男中心ですから、男の権利ばっかり守って、女性の権利なんて考えない世の中だったんで、たとえば、妻がいるのに他の妻と関係を持ったら、もちろん「それは罪」だって言うわけですけど、それは、その相手の女性の夫の権利を侵してるから罪だって、そういう考え方なんですよ。ひどいでしょ? だから、未婚の女性とだったら、罪にならなかったんです。・・・当時の話ですよ。
 これなんかはもう、「私は律法を守ってますから、姦通の罪を犯していません」なんて言ったって、実際には女性を(ないがし)ろにして、相手の気持ちを考えずに、自分の思い、自分の欲望だけで生きてるなら、もうすでにその状態が罪じゃないか、もっとあったかい心で、優しい気持ちで、もうひとりの誰かと関わるときこそ、天の国が実現するのだっていうことを、イエス様は言いたい。
 この福音を読んだならば、みんな胸に手を当てて、(この私も、神様からこれほど愛されてるんだから、もうちょっと優しい遺伝子を発動させよう!)って、思っていただきたいですよ。

 第1朗読で、(※4) 「あなたたちは生と死のどちらでも選べるんだ」って言ってますでしょ。(※5)
まあ、「生」は「愛の道」ですよ。「死」は、「利己主義の道」ですよ。それはもう、人間の前に置かれてるんです。「どっちでも選べる」って言ってます。
 「主は、お前の前に火と水を置かれた。手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい」(シラ15:16)
私たちの前に、「愛による命」と、「利己主義による死」と、その両方が用意されていて、どっちでも取れる。で、私たちは、いつも悪い方ばっかりを取っちゃってる日々だけど、ホントにチョットの優しさで、「もうひとつ忍耐しよう」、「もうひとつ譲ろう」って生きたときに、いのちを選び取ってることになる。・・・ステキでしょう? そういう世界にしましょうよってことじゃないですか?

 3日くらい前に、講演の依頼に来た、2人のスーツ姿の男性がいて、電話で依頼された時は、(いや、それは私の仕事じゃないなあ)って思って、お断りしようと思った話なんですけど、まあ、一応お会いしてということでいろいろ話を聞いてたら、俄然(がぜん)やる気になっちゃってですね、今年の秋に講演会って言うか、「研修コースの講師」をやることにしました。
 依頼に来たのは日本能率協会っていう所。(※6) 一般社団法人なんですけど、聞いたことがあるような、ないような、まあ、およそ私がまったく関係なさそうな所ですね。ご存じですか? よく知りませんでしたけど、立派な分厚いパンフレットも頂いて、パラパラとめくったら、「グローバルな人材を育てる」だとか、「新時代のイノベーションがなんたら」とか、(笑)まあ、なんかもっともらしいことがいっぱい書いてある。
 ようするに、日本の企業の産業育成っていうんでしょうか、よりよい社会のために、新時代にふさわしい人材を育てるべく、経営側にサービスを提供するような法人とお見受けいたしました。・・・ね? およそ私、関係なさそうでしょう?
 だけど、そこの研修コース、何て言うんだっけな、もう忘れちゃった。片仮名で「なんちゃらかんちゃら」っていう講座で、講師をしてくれって言うんです。
 言わんとすることは、今の世の中で、ただ競争に勝って利潤を追求するだけの、今までのようなシステムでやっていても、企業自体が成り立たないし、社会全体も持たないだろうと。だから、もっと、長い目で、広い眼で物事を見ることのできる豊かな人間性や、それこそ宗教的なことも含めた真の教養を持った次世代リーダーを育てなければならないから、講座を開くっていう・・・あっ、「リベラルアーツ」だ。「リーダーのためのリベラルアーツ講座」っていう講座です。要するに、企業もまた、ホントの意味での人間的教養を必要としているんだと。
 だから、芸術的な方面ですとか、宗教的な方面ですとか、そういう方面の人にも講師になってもらって、幅広く、人間の本質、それこそ魂の世界に至るまで学ぶことで、まあ結局は企業が生き延びるためって話ですけどね。
 でも、考えてみたら、企業がなければ現実の世の中は成り立たないし、その企業で働くリーダーが、本当によい世界のためになる企業を育ててくれるんであれば、これはとても福音的ってことですね。
 でもまあ、そんなこと言わせてもらえば当たり前のことであって、(やっとそんなレベル?)って逆にびっくりするような話ですよね。数字だけ追っかけて、競争で勝つだけで、人類が幸せになれるはずないんだから。そんなこと、火を見るより明らかなことなんだけど、それに気づかずに、ただただ競争して、ただただ儲けていれば幸せになれるなんて、およそ幼稚な発想に過ぎないわけですが、でも、実際に多くの企業がただ生き延びることだけ考えてるなら、もう少し霊的な世界にも気づいた方がいいでしょうし、その意味では、晴佐久神父なんかが引っ張り出されるのも、悪くはないのかなって思って。
 ただね、去年の受講者とか見ると、超有名企業の部長さんとか、そんな人がいるわけですよ。そんな人に私なんかが何話せばいいのかって、戸惑うわけで、結局は誰であれ、「『神様はあなたを愛してますよ』って話しますよ。それでいいですか?」ってお二人に尋ねたら、(笑)「いいです」って言うんで、じゃあ、宗教家っぽく、ちょっと脅かしちゃったりしようかな。(笑)「愛のないそんな仕事してて、あなた、死ぬに死ねるんですか?」とか。(笑)
 まあ、好きにしゃべっていいって言うから楽しみです。宗教学者の山折哲雄さん(※7)とかね、そんな有名人も講師にいるわけですよ。だからみんな、何か素晴らしいことが聴けると思って来るわけでしょ? 福音語るのにぴったりな現場でしょう。言いたいことは一つしかないわけだし。
 「あなたの中に、神様が愛を与えてくれている。その愛を信じてほしい。どんなシステムも、どんなイノベーションも、どんな経営革新も、決して本当の意味で、人を幸せにすることはできない。人を幸せにすることができる、企業を幸せにすることができる、社会を幸せにすることができるのは、あなたの心の中に与えられている、愛だ。ほんのチョットの優しさ、それだけで、企業は変わる。あなたに、それができる。愛の働きを押し殺している、あらゆる悪しき力に対抗して、企業と社会を変えていくことこそが、真の経営革新だし、あなたのミッションだ」って、私は言いたい。
 人の心を押さえつけて、その中に与えられている愛を発動させないでいる、あらゆるとらわれとか、何て言うんでしょうね、まさに「律法主義」みたいなものね、俺だけが正しいと思い、人を愚か者と言っているようなね、その悪しき力に対抗すること。そして、自分の中に与えられている、本当の優しさを、発動させる。そうすれば、企業だってね、ホントにいいものになるだろうし、社会もどんどん良くなると信じて疑いません。
 よかったら、参加しませんか? どうぞ申し込んで、聞きに来てください。サクラで参加してね、「ああそうだ、ホントにそうだ」って大げさにうなずいてくれたらありがたいですけど。(大笑) 何回かのコースで何十万円もするみたいですけどね。

 イエス様の言うことがすべてです。もう答えははっきりしてるんです。
 第2朗読(※8)で言うなら、もうそういうことは「隠されていた、神秘としての神の知恵」だと。そしてそれは「世界が始まる前から定めて」いたことで、だけど、「この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しなかった」(一コリント2:7〜8) と。・・・そういう知恵のことですよ。しかし、このことを、
 「神は御自分を愛する者たちに準備された」(一コリント2:9)
 私たちは、神に愛されている者です。「世の初めから隠されている知恵」をちゃんとイエスを通して教えていただきました。それを発動させたくて、日々、研鑽(けんさん)している者です。まだまだ道は遠いけれども、仲間たちに、「一緒にやってこう。頑張ろうよ!」って励ましたい。

 それこそ、金メダル取った羽生君みたいにね。(※9)
 もう寝不足になりましたよ〜、あの日は。見ました? もう止めよう、止めようと思いながら、ついに最後まで見ちゃった。いや〜、感動したね。
 私、もともとフィギュアスケート、大好きで。今までもず〜っと見続けてきたし。皆さんどうですか? フィギュアスケート、お好きですか? 私クラスになると、飛ぶ前に、(あっ、トリプルアクセル!)とかってわかるんですよ。(笑) もう、大好きなんですよ。結弦(ゆづる)君なんか、昔っから大ファンでね、十字切るでしょ、あの子ね。本人は体の軸を確かめるためだとか言ってますけれど、十字は十字ですから、うれしいですよ。
 あのフィギュアスケートで、私、すごく感動するのは、芸術性もあり、テクニックもありっていうことなんだけど、だからこそあれは究極のスポーツだってところですね。
 何が究極かっていうと、たとえば、あれ、フリーですと、4分以上、完全な集中をするんです。そういう競技って、他にないですよ。過酷です。ジャンプなんかも集中するけどほんの十数秒でしょう。滑降なんかも、集中して緊張してるけど、フィギュアはすごく内面が問われるでしょ、芸術性も問われるし。その人の心のすべてが出てくる競技なんです、あれ。他にあれほど緊張を強いられるスポーツ、ないですね。私、そこに感動するんです。人間性のすべてをその数分間に集中させるなんて、できそうでできないですよ。まあ、説教中の神父くらいなもんです。(笑) ホントにこう、なにか「究極の集中をしないとできない何か」っていうものを見せてもらえる。
 ちょっとでも気が緩んだり、心の中に恐れがあると、アウトなんですね。実は、身も(ふた)もないことを言うと、あのフィギュアっていうのは、もしも選手が100パーセントの力を出したならば、もうすでにメダル決まってんですよ。演技の構成は最初っから全部決まってるんだから。点をぜんぶ足したら、この人が最高、この人が2番って、もう最初っからわかってんですよ。
 でも、絶対その順番にはならない。なぜか。生身の人間には、その4分の間、100パーセントの力は、決して出せないから。
 つまり、あの選手たちは何と戦っているかというと、自分の中の恐れ、疑い、集中力を切らすような、何かと、それこそ「魔物」と戦ってるんです。そこが美しい。100パーセント戦いきることは、誰もできない。しかし、なおも自分を信じ、大いなる力に身を委ねて、その魔物に打ち勝ったときに、結果が付いてくる。
 フリーのユヅくん、最初の4回転と、次の3回転、コケました。かつてなら、その後、ボロボロだったんです、昔の結弦君は。だけど、今回はコケたあと、魔物と戦って、勝ったんです。徹底して練習して本能に叩き込んだ、「信じる力」だけで滑ってた。何か大きな力にすべてを委ねて、ひたすらに自分の中の恐れと戦ってた。
 かっこよかったでしょう? ショートの時なんかね、ラスト、(すべてあなたに捧げます!)っていう感じで、天に向かって、パーンと指一本を突き刺して。フリーの時のラストでは、(これが私のすべてです!)って感じで、氷上にパーンと手を突いてね、ハア、ハア、ハアッてね、息してたじゃないですか。・・・私も、あれくらいやりたい。
 自分の中に与えられた優しい心、ゆるす心、魔物に負けてばかりで、まだちっとも発揮できていない。あれくらい精いっぱいやって、最後にニコッとしたいです。


【 参照 】

※1:<雪かきの成果>
(それぞれの画像は、クリックすると大きく表示されます)

聖堂までの道
聖堂までの道
 
多摩教会脇の坂道
多摩教会脇の坂道


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※2:「今日の福音書」
・ 本日(2014年2月16日<年間第6主日>)の福音朗読箇所
マタイによる福音書 5章17〜37節
(参考)
新共同訳聖書では、内容区分ごとの概括的な理解を助けるという趣旨で、この該当箇所には、「律法について」(5:17〜20)、「腹を立ててはならない」(5:21〜26)、「姦淫してはならない」(5:27〜30)、「離縁してはならない」(5:31〜32)、「誓ってはならない」(5:33〜37)という小見出しを付けている。
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※3:「山上の垂訓」
・ 「英」Sermon on the Mount
キリスト教文化圏が、マタイによる福音書5章〜7章に対して与えてきた伝統的な呼称。
新共同訳聖書では、「山上の説教」。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き教えられた」(5:1-2)で始まり、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると」(7:28)および「イエスが山を下りられると」(8:1)で締め括られる。このきわめて意識的に構成された枠組みの中に、「心の貧しい人々は、幸いである」(5:3)、「狭い門から入りなさい」(7:13)など世上有名なイエスの言葉(教え)が集められている。ルカの平行記事(6:17-49)ははるかに短く、場所も「平らな所」(6:17)での説教とされているから、「山上の垂訓」に意識的な構成を与えたのはマタイ福音書の著者と考えなければならない。彼にとって、「山」は神の啓示の場所として特別な意味を持っている。(17:1-8; 28:16-20)。おそらく「山上の垂訓」はやはり山の上で与えられたモーセ律法(出20以下)に取って代わるものと考えられているのであろう。(2008「岩波キリスト教辞典」〈岩波書店〉より)
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※4:「第1朗読」
・ 本日(2014年2月16日<年間第6主日>)の第1朗読箇所
シラ書15章15〜20節
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※5:「『あなたたちは生と死のどちらでも選べるんだ」って言ってますでしょ」
(参照) 
「主は、お前の前に火と水を置かれた。手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる。」(シラ書15章16〜17節)
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※6:「日本能率協会」
(参考)
【名 称】 一般社団法人 日本能率協会 ※略称:JMA(ジェイエムエー)
【英文名】 Japan Management Association
【目 的】 「本会は、マネジメントに関する調査、研究、情報の収集及び提供、人材の育成及び指導等を行うことにより、企業、団体等の経営革新を図り、もって我が国経済の発展、国民生活の向上及び国際社会への貢献に寄与することを目的とする。(「協会概要」より引用)」
【活 動】 「調査・研究」、「提言」をベースに、人材の育成をおこなう「経営・人材革新」、専門展示会の開催を中心とした「産業振興」、国際標準マネジメントシステムを普及する「審査登録」の主要三活動のほか、「表彰活動」、「ソリューション」など多岐にわたって活動している。(「活動案内」より引用) 
【ホームページ】 「日本能率協会
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※7:「山折哲雄さん」
・ 山折哲雄 (1931- )
日本の宗教学者。専攻は宗教史・日本思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。(「山折哲雄」〈ウィキペディア〉より)
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※8:「第2朗読」
・ 本日(2014年2月16日<年間第6主日>)の第2朗読箇所
 使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント2章6節〜10節)
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※9:「金メダル取った羽生君」
・羽生結弦(はにゅう ゆづる 1994- )
 日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。2014年ソチオリンピック男子シングル金メダリスト。2012年世界選手権銅メダリスト。2010年世界ジュニア選手権優勝。(「羽生結弦」(ウィキペディア)より)
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2014年2月16日 (日) 録音/2014年2月23日掲載
Copyright(C) 2014 晴佐久昌英