家族になろうよ

【カトリック上野教会】

2017年5月14日 復活節第5主日
・ 第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録6・1-7)
・ 第2朗読:使徒ペトロの手紙(一ペトロ2・4-9)
・ 福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ14・1-12)

【晴佐久神父様 説教】

 「どうぞ皆さん、お座りください」って言う、このタイミングが難しいですね。助祭朗読ですと、司祭の説教と入れ替わる間に、皆さん、座ろうかどうしようかって。あの、これからは、みんな勝手に座るっていうことにしましょう。(笑) 助祭がいるときはね(※1)

 さて、ご覧ください、今日、素晴らしい神父さまがた、司教さまが来られて、一緒にミサを捧げております。
 ・・・さあ、では問題です。今日、どうしてこんなに大勢の司祭、司教が一緒にミサを捧げているんでしょうか。分かる人、いますでしょうか。・・・たぶん、いないと思います。なぜなら正解は、・・・偶然だからです。(笑)いやでも、実は、「偶然」っていうのもおかしい。神の目から見れば、「偶然」なんて、この世にないんだから。
 神さまが、集めた。
 ・・・そういうことですね。人の目には不思議なわざ。でも、神の御心によって、私たちはつながっているし、集まっている。一つの家族です。神父さまがた、お互いに「はじめまして」っていう間柄ですから、さきほども香部屋でね、あいさつし合っていました。でも、それぞれ、「上野教会でミサを捧げたい」と言って来られた方たちですから、文字通りの教会家族ですね。
 トマス・ダブレ司教さま(※2)は、司教になって27年、インドのプネ教区で貧しい子どもたちのためにお働きになって、「マザー・テレサ賞」(※3)も頂いた司教さまです。そういう縁もあって、今日は、マザー・テレサの会(※4)のシスターとブラザーもお招きしました。
 司教さまとお親しい東京教区の川村神父さま(※5)にも来ていただきました。私の恩師ともいうべき神父さまです。
 ロイス神父さまは早稲田大学の先生で、私も早稲田で教えているので、同僚ということになります。この春にフランスから日本に戻ってこられたところで、私に紹介したい学生がいるということで、訪問してくださいました。
 昨日、ここで結婚式がありましたが、新郎のお兄様ということで結婚式を共同司式してくださった嘉松(かまつ)神父さま(※6)も、今日一緒に主日ミサをしてくださいます。ニャー助祭を含め、今日はこの6人で、共に、主の食卓に奉仕しています。
 ・・・教会家族のしるしなんですよ。
 私たち、司祭たちってね、「はじめまして」っていう間柄でも、もう全幅(ぜんぷく)の信頼感を持って、お互いに尊敬し合えるんですよ。・・・すごいでしょう? 香部屋で「はじめまして」って言ってたのに、この主の食卓に使える私たちは、もう、家族なんですよ。教会家族の目に見えるしるしです。
 皆さんも、この家族の一員です。

 上野と浅草のすべての入門講座で、今、家族のしるしとして、「一緒ごはん」を始めています。月に一度ですけど、ただ学ぶだけじゃなくて、「家族そろって一緒に食べましょう!」って。
 やっぱり、一緒にご飯を食べてると、いいですね。心がつながります。先週の入門講座でも、一緒ごはんしているときに、一人の方が、「この講座で福音に出会って、皆さんに出会えて、本当に救われた」と、そう言ってました。今年の復活祭に洗礼を受けた方なので、「特につらいとき、苦しいときは、神父さまから、教会家族と一緒に授けて頂いたご聖体を思い出して、『私はあのご聖体を頂いたんだから、だいじょうぶなんだ!』って、自分に言い聞かせているんです」と、そう言ってました。家族がいればこそですね。・・・教会家族。バラバラじゃないんです。この仲間たちが神さまによって呼び集められて、こうして一つに食卓を囲んでいるっていうのは、どれほど素晴らしいことか。
 今日も来られているマザーの会がお世話しているたくさんの人たちは、こんな家族を求めてる人たちですね。「一人ぼっちだ」「自分は見捨てられている」、時には、「ご飯を食べさせてくれる家族がいない」っていう、そんな子どもたちすらいる。そんな一人ひとりを、一つの家族にしていくキリスト教、素晴らしい仲間たちです。神さまから、そんな家族に選ばれたことを、誇りに思いましょうね。
まずは、「一緒ごはん」ですよ。そうしてみんなで一緒に食べている食卓に、他の方たちもお招きする。それこそがキリスト教。それこそが、「宣教」ってことです。

 さっき、第1朗読(※7)ですけど、面白いことが読まれてましたね。
 「苦情が出た」(使徒6:1)・・・と。初代教会の集会の中で「苦情が出た」。その理由は、「日々の分配のことで」(使徒6:1)。・・・これ、どういうことですか?
 「日々の分配のことで、苦情が出た(※8)
 つまり、逆に言えば、この初代教会の仲間たちは、持ってるものを出し合って、み~んな分かち合ってたんですよ。分け合ってたからこそ、「こっちは少ないじゃないか」って苦情が出る。「こっちが軽んじられてるのはおかしい。キリストの教会は家族だからみんな平等のはずなのに、格差があるのは変じゃないか」と。だから、使徒たちは、「じゃあ、ちゃ~んと上手に分配する係を決めましょう」ってことで、「霊と知恵に満ちた」 (使徒6:3) この人たちを選んだ。そういう出来事です。
 ・・・ステキじゃないですか。「苦情が出た」ってことは、「ちょっと偏ったら苦情が出るほどに、平等に分け合ってた」という事実があったからなんです。先輩たちが実際にやってたんだから、私たちもやりましょうよ。やればできます。家族間格差はあり得ない。持ってる人、持ってない人、一緒に食卓は囲めませんから。
 どうやったら、みんなで分かち合っていけるのか。私、ともかくね、一緒に食べるしかないと思う。だって、一緒に食べてると、こっちのお皿が山盛りで、あっちのお皿がちょびっとでなんて、誰だっておかしいなと思うし、ちゃんと平等にしますでしょ? 食卓が、何よりのシンボルなんです。
 ご聖体がね、もうちゃんと全部同じ大きさだってのも、平等っていうしるしなんでしょうね。そうして、「あなたもこのしるしを頂きましょうよ。私たちの家族になっていきましょう」ってね、みんなをその食卓にお招きする、それが、「最後の晩餐」にお招きする入り口としての、「いつもの晩餐(※9)」なんです。

 昨日、ここで結婚式があって、私、後でちょっと反省したんですけど、ちょっと自分の、・・・何だろう、今特に考えてること、しゃべりすぎたかな、と。教会家族、福音家族の話をしたんですね。二人を祝福すると同時に、「この二人によって、これから教会家族がより豊かになってくんです!」っていうような話を、夢中になってしちゃいました。
 まあ、でも、真実を語ってるとは思いますよ。つまり、信者の夫婦っていうのは、二人でパートナーになるだけじゃなく、二人が結ばれることで、他の人たちも結ばれて、大きな家族ができていく。結婚は、いわばそういう福音家族のしるしなんです。だって、二人は血縁じゃないんですもん。
 「血縁じゃない人たちが、家族になる」
 ・・・これって、すごいしるしでしょ? 福音家族って、血はつながっていないけれど、キリストの霊によってつながっているってことですから、素晴らしいことです。・・・信仰の家族。
 二人が結婚することが、単に神さまが二人を結んだだけじゃなくて、お互いの家族もそれによって結び、お互いの友人もそれによって結び、お互いの信仰の仲間たちも結ばれていく。そんな二人が信じ合って暮らす、その家庭に、いろいろな人たちが関わって、その家族はもはや一つの教会となって、多くの人を「父の家」(ヨハネ14:2)に招き入れる「福音家族」になっていく。
 ですから昨日、「結婚式っていうのは、単に二人のことではなく、偶然に見えるけれども、ここに参列したご家族、ご友人たちも、実はみんな神さまに結ばれた一つの家族なんだ。もし二人が試練に遭ったとき、苦しんでるときは、この家族で助けよう」ってお話ししたんです。今日、イエスさまが「父の家」(ibid.)という言葉を使いましたけど、いつかはみんなが迎え入れられるその「父の家」の、この世における目に見えるしるしとなる集いが、「福音家族」です。

 第2朗読(※10)は、使徒ペトロの手紙ですけれども、あなたがたは、神によって選ばれた「石」だ、「生きた石」だと、そう言われています(一ペト2:4)。皆さん、「生きた石」なんです。その「生きた石」を組み合わせて、何をつくるんですか?
 「霊的な家に造り上げられるようにしなさい」(一ペト2:5)
 ペトロの手紙に、そうありました(※11)。・・・「霊的な家」。皆さん一人ひとりの「生きた石」を集めて、「霊的な家」を建てる。「教会家族」「父の家」、そこに、みんなを招こうじゃないですか。
 私たちは、バラバラでいてはいけません。今、隣に座ってる人のこと、知らないでしょ? 声を掛けてくださいね、「つらいことがあったら、私も一緒に悩みましょう」「うれしいことがあったら、私も一緒に喜びましょう」「今度、一緒にごはん食べましょう」って。
 今日、ミサで同じベンチに座ったのは、偶然? ・・・ではありません。「神が」結んだんです。
 この「教会家族」のセンスがあれば、この世界はホントに「父の家」になっていく。私はそれを目的に、この上野教会で、また浅草教会で、一つ、また一つと「生きた石」を集めておりますから、皆さん、協力してくださいよ。
 第1朗読では、「こうして神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき」 (使徒6:7) と読まれました。第2朗読には、「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある(わざ)を、あなたがたが広く伝えるため」(一ペト2:9)とありました。そうしましょうよ。・・・「ますます広め」「広く伝えていく」。
 ヨハネの福音書では(※12)、イエスさまがこうおっしゃった。
 「私の父の家には住む所がたくさんある」(ヨハネ14:2)
 「たくさん」って、どれだけですか? 「父の家」が満杯になること、あり得ますか? すべての人が入れる家です。「もういっぱいで、あなたは入れません」、そんなことは決してない。
 そして、イエスさまはこうおっしゃった。
 「私は道だ」(ヨハネ14:6)
 その道は、どこに行く道ですか?「父の家」(ヨハネ14:2)に行く道ですね。逆にいうと、「父の家」に向かう道は、すべてイエスの道なんですよ。・・・普遍主義ってやつですね。信じましょう。
 フィリポに、イエスさまはこう言われました。
 「あなたはすでに父を見ている。フィリポ、こんなに一緒にいるのに、まだ見えないか。わたしを見た者は、父を見たのだ」(cf.ヨハネ14:9-10)
 この上野教会を見た者は、もう「父の家」を見始めています。ここにキリストがおられるんだから。「父の家」を、私たちはつくり始めています。
 日本におけるキリスト教は、なかなか伸びないって言ってますけれども、まだ始まったばっかりだから、当然なんです。これからですよ。「父の家」をつくっていきましょう。そうすれば、もう、この聖堂だって、入りきらないほどの人になると思いますよ。2年後、3年後、楽しみにしましょうよ。以前の教会でも、だんだん入りきらなくなって、エントランスに椅子を並べてみんな座るようになりました。皆さんが呼ぶからです。「家族になろうよ」と言って、集めてくるからです。

 今日、ここにおられる川村神父さまは、私の恩人神父さまです。50年以上前から、私を世話してくださっているんです。私が小学生のときに通っていた本郷教会で、助任神父さま(※13)でした。いつも教会に入り浸っている私を、近くのごはん屋さんに連れて行って、ごはんを食べさせてくれた。・・・懐かしい。教会のすぐ近くの中華料理屋さんとかね。レバニラ炒め。(笑) 忘れないです。おいしかった。「お米を一粒も残さずに食べるんだよ」って教えてくださった。・・・これ、もはや「家族」なんですよ。
 だから私、もちろん自分の家でもごはんを食べさせてもらうけれど、教会でも食べさせてもらう。それは当たり前のことだと思って育ちました。
 そういう教会を、この上野教会で実現するならば、今、おなかを空かせてこの前の道を通り過ぎている人が、もう、来年の今ごろはカトリック信者になって、ここでみんなといっしょご飯をして、ご聖体すら頂いて、まことの親である天の父に賛美と感謝を捧げている。・・・私はそれを、夢見ます。
 神さま、実現させてください。
 今日は、こんなに多くの神父さまがたが集まって、教会家族の目に見えるしるしとなってくださいました。こんなに多くの信者さん、シスター、ブラザーがたが集まって、キリストの家族、「父の家」の、目に見えるしるしとなってくださいました。
 私たちは、もう恐れません。
 この仲間で、神の国の先取りとなる「福音家族」を実現させますと、そう宣言いたします。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「助祭がいるときはね」
 現在、浅草、上野の両教会では、ベトナム出身のニャー助祭が奉仕している。
 ミサでは、福音書の朗読も担当。
 イエズス会士で、2017年3月4日に助祭に叙階された。9月23日に司祭に叙階される予定。
(参考)
・ 「ニャー助祭」(「天の鼓動の最初の一打ち」2016/3/12説教:参照※1)
・ 「助祭」(同上の備考)
・・・< 文中へ戻る

※2:「トマス・タブレ司教さま」
◎トマス・タブレ司教 (Bishop Thomas Dabre)(敬称略)
 1945年10月23日 インド ムンバイのBhuigaon生まれ
 1971年10月31日司祭叙階
 1990年 5月27日司教叙階
 2009年4月4日インド プネ教区の司教に任命される
(参考)
・ 「Bishop Thomas Dabre」(The Hierarchy of the Catholic Church)
・ 「Bishop Thomas Dabre」(UCAN directory)
・ 「Pune Bishop says love and humility were Mother Teresa’s special attraction2016/9/16(AsiaNews.it)
・・・< 文中へ戻る

※3:「マザー・テレサ賞」
 「マザー・テレザ賞」は、2005年にムンバイのアブラハム・マタイ博士が設立したハーモニー財団が中心となって運営され、同年から、ほぼ年に一度与えられている(該当者なしの年もある)。
 人間的・精神的・文化的価値の普及、宗教・民族間の平和的共存と対話のために貢献した人・団体に与えられる。
 受賞者には、ダライ・ラマ14世、マララ・ユスフザイさんなども名を連ねている。
(参考)
・ 「Mother Teresa Awards」(Wikipedia)
・ 「Mother Teresa Memorial Awards
・・・< 文中へ戻る

※4:「マザー・テレサの会」 (既出)
正式名称は、「神の愛の宣教者会」
◎「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity)
 マザー・テレサが創立したカトリックの修道会。(1950年10月7日ローマ教皇庁認可)
 「もっとも貧しい人々のために働くこと」を使命とする。
 もとは、女子修道会だったが、1963年には、男子修道会である「神の愛の宣教者兄弟会」も創立。世界各国で、多くの司祭、修道者が活動している。
(参考)
・ 「神の愛の宣教者会」(ウィキペディア)
・ 「神の愛の宣教者会」(公式サイト:英語)
・ 「特別企画 マザー・テレサ」〔マザー・テレサの略歴、召命についてなど〕(ラウダーテ) 他
・・・< 文中へ戻る

※5:「東京教区の川村神父さま」
◎川村 昕司(かわむら きんじ)神父 (敬称略)
トマス・アキナス 川村昕司神父 東京教区司祭
 1933年9月1日生まれ、1962年3月18日叙階
 晴佐久神父も、小学校時代の思い出として、川村神父さまのお名前を挙げ、「ミサがていねいで神秘的」であること、また、「大きな影響を受けた」と言われている。
(参考)
・ 「教区司祭紹介 第16回」(「東京教区ニュース第284号」 2012/7/1
・ 「教区司祭紹介 第53回」(「東京教区ニュース第323号」 2015/6/15
・・・< 文中へ戻る

※6:「嘉松神父さま」
◎嘉松 宏樹(かまつ ひろき)神父 (敬称略)
ペトロ 嘉松 宏樹神父 長崎教区司祭。カトリック中央協議会でもご活躍。
 1970年2月4日生まれ、1997年2月3日叙階
・・・< 文中へ戻る

※7:「第1朗読」
この日、2017年5月14日(復活節第5主日)の第1朗読の箇所は、以下のとおり。
 使徒たちの宣教(使徒言行録)6章1~7節
 〈小見出し:「ステファノたち7人の選出」6章1~7節〉
・・・< 文中へ戻る

※8:「日々の分配のことで、苦情が出た」
===(聖書参考箇所)===
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 (使徒6:1/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※9:「いつもの晩餐」
 「いつもの晩餐」については、2017年4月23日の説教「いつもの晩餐」で話されています。
 特に 4段落目後半>この辺から、お読みください。
===(参考中心箇所)===
ミサは「最後の晩餐」の記念ですけど、「最後の晩餐」っていうからには、「いつもの晩餐」もあったんです。「いつも」があるから、「最後」っていうんです。(「いつもの晩餐」:「福音の村」2017/4/23説教より抜粋/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※10:「第2朗読」
この日、2017年5月14日(復活節第5主日)の第2朗読の箇所は、以下のとおり。
 使徒ペトロの手紙(ペトロの手紙一)2章4~9節
 〈小見出し:「生きた石、聖なる国民」2章1~10節から抜粋〉
・・・< 文中へ戻る

※11:「ペトロの手紙に、そうありました」
===(聖書参考箇所)===
この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。 (一ペト2:4-5/赤字引用者)
・・・< 文中へ戻る

※12:「ヨハネの福音では」
この日、2017年5月14日(復活節第5主日)の福音朗読箇所から。
 ヨハネによる福音(ヨハネによる福音書)14章1~12節
 〈小見出し:「イエスは父に至る道」14章1~14節から抜粋〉
・・・< 文中へ戻る

※13:「助任神父さま」
「助任神父」は、「助任司祭」とも。
 小教区の主任司祭を補佐して司牧にあたる司祭のこと。
 ※1の「助祭」と混同されやすいが、助祭は「司祭」ではないので、この「助任神父(叙任司祭)」と立場は異なる。
・・・< 文中へ戻る

2017年5月14日(日) 録音/2017年6月8日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英