なすべきことをしたまでです

2013年10月6日 年間第27主日
・第1朗読:ハバククの預言(ハバクク1・2-3、2・2-4)
・第2朗読:使徒パウロのテモテへの手紙(一テモテ1・6-8、13-14)
・福音朗読:ルカによる福音(ルカ17・5-10)

【晴佐久神父様 説教】

 先週は留守にしてしまいましたが、いかがでしたか。代わりの平林神父さま(※1)のお話、おもしろかったでしょ?
 「この業界では、晴佐久神父の代わりに説教するのは拷問です」と言ったとか言わないとか、(笑)漏れ伝え聞きましたけれども、まあでも、いろんな神父さんの話を聞くのはいいでしょう。こうして毎週毎週、おんなじ神父のおんなじような話を長々と聞かされるのが拷問のようでなければいいと願うばかりですが。

 広島県の福山教会(※2)と三原教会(※3)という所に先週行ってまいりました。そこも同じように、いろんな神父の話が聞きたいっていうことで呼ばれたんでしょう。その辺りは「備後(びんご)ブロック」という名称で、いくつかの教会が一緒にやってるんですけど、東京なんかと違って、「ブロック」といっても、福山と三原なんて新幹線で2駅離れてるわけですから、そこで一緒に何かやるって、大変なことなんですよ。それでも、合同で黙想会とか、さまざまなイベントとかをやるんだけど、どうしても福山が中心になっちゃうんですって。なにしろ福山は「のぞみ」が止まる。三原は「こだま」しか止まらない。やっぱり町の大きさも、教会の規模も違うし、どうしても福山が中心だとか。
 だから今回も、晴佐久神父を呼んでミサと講演を福山で、ということだったんだけれども、三原教会の人が熱心に、「ど~しても三原教会にも来てほしい!」と。そういういきさつで、土曜の夕方の主日ミサと講演は福山で、翌日、日曜日の主日ミサと講演は三原で、ということになりました。

 でも、おかげさまで、両方の教会を回ることができて、いろんな出会いもあって楽しかったです。中でも印象に残ったのは、三原教会の近くの銅像との出会いです。ぜひそれを見せたいと言って、信者さんが案内してくださいました。
 それは、トマス小崎(※4)の像でした。二十六聖人のトマス小崎ですね。なんでこんなとこにトマス小崎の像があるんだろうと思ったら、この地で彼は、手紙を書いてるんですね。二十六聖人は、京都から長崎まで、ずっと引き回されていったわけですけど、途中の三原で、彼は四国のお母さん宛てに手紙を書いてるんですよ。私、トマス小崎は知ってましたけれども、そういう手紙があるとは知らず、もちろん内容も読んだことがありませんでした。 
 三原城の立派な石垣の近くに銅像が立ってるんですけど、トマス小崎が、右手に筆、左手に紙を持ってね、目は遥か天を見つめている銅像でした。で、そのとき書いた手紙が、ちゃんとプレートに刻まれてました(※5)。立派な手紙でした。まだ14歳ですよ。でも、お父さんと一緒に捕まった。お父さんも二十六聖人の一人ですが(※6)、お父さんと一緒に連れていかれたんですね。
 14歳って、まだほんとに子どもでしょう。今日の侍者で言えば、手前の彼女が13歳、こんな感じです。(笑)まだまだ、ホントに若い・・・14歳なんてねえ。
 三原の人が自慢してましたけど、この手紙、三原の牢役人が書くことを許したから書けたんであって、それは三原の人特有の、心のあったかさの表れだそうですよ。確かに、死刑囚が筆や紙を持ち歩いてたわけじゃないですから、この牢屋の人が許可してくれたんでしょうし、もしかすると紙と筆を与えてくれたのかもしれない。ともかく、彼はお母さんに、手紙を書いた。その手紙が残ってるんですよ。お父さんが取っておいたらしく、死後、彼が身にまとっていた着物の襟の中から見つかったそうです。そこには、おおよそ、こんなようなことが書いてありました。
 「私と父上のことを心配なさいますな。またすぐに天国でお会いしましょう。この世は、はかないものです。天国のまったき幸福を失わぬよう、努力なさいますように。この世で、誰から、どんな仕打ちを受けようとも、忍耐して、すべての人に愛徳を施されますよう。」
 こういう手紙なんですよ。素敵でしょう?
 キリスト教の信仰の本質は、すごくシンプルなものですから、14歳にわからないってことはない。むしろ、14歳だからこそでしょうし、二十六聖人最年少のルドビコ茨木(※7)なんて、12歳ですもんねえ。12歳のルドビコ茨木が、「パライソ、パライソ」(「天国、天国」)って言いながら天に召されていったわけでしょう? 12歳、14歳が素直に信じて、生きていくことのできる信仰、これがやっぱり本物ですよ。信仰って、複雑な話じゃない。
 そんな手紙に出会えて、うれしかったです。私、あまり殉教者のことは詳しくなくて恥ずかしい話ですが、それこそ先週、平林神父さん、殉教者のお話してくださったでしょう? 専門家ですからね。平林神父の後で殉教者の話するなんて拷問みたいなもんですが(笑)、ともかく、三原での出会いに、感動しちゃったんですよ。母親宛ての手紙に。母親にしてみれば、夫と息子を殺されるわけですから、それはつらかったでしょうけど、そのお母さんに、息子がこう書くんですよ。
 「父上のことも、私のことも、心配なさいますな。すぐに、また天国でお会いしましょう。この世は、はかないものです。天国でのまったき幸福を失わぬよう、努力なさいますように。」
 もう、おっしゃるとおりですよ。確かにわれわれは、「はかない人生」というものを生きております。しかし、この「はかなさ」にはわけがある。「はかない」っていうのは、やがて消えてしまうっていうことですよね。最終目的ではありませんっていうことです。っていうことは、最終目的は別にあるっていうことでもあるんです。人生がどれほどはかなくとも、それはまだ完成してないんだから、当然でしょう。途中が「はかない」っていうのは、当たり前っちゃあ、当たり前なんです。準備期間なんだから。はかなさって、それだけ見たらただはかないだけですけど、はかなさがあるってことは、やがて完成の日が来るっていう保証でもあるんです。

 先ほど、第1朗読で、ハバククの預言にありましたよね。「主よ、なんで私が助けを求めているのに、聞いてくださらないのか」って、はかない現実に文句を言っておりますけれども、主が答えるわけでしょ。「たとえ、遅くなっても、待っておれ」・・・いい言葉ですねえ。「それは必ず来る」「神に従う人は信仰によって生きる」。
 そういう信仰、イエスさまのさっきの言葉でいうなら、「からし種一粒ほどの信仰」でもいいから、そういうものを持って待っていれば、「それは必ず来る」。
 トマス小崎の言い方でいうなら、「何をされても忍耐して、すべての人に愛徳を施そう」と、そういう信仰を持って、「すぐに、また天国でお会いしましょう」と、こういう希望、こういう殉教者のひと言に支えられて、私たちは信仰生活を歩みます。
 トマス小崎の、そのはかない死は、何の意味もない、無駄な犠牲だったのか。もし、神の国がないのなら、そうでしょうけれども、もしあるのなら、これこそは最高の誉れになるわけでしょう? まあ、信仰薄い私たちには、そこまでは無理かもしれませんけど、「今日一日、また今日一日と、一つひとつやっていきましょう」って呼び掛けられた気がいたしました。
 イエスさまが、「果たすべき使命をちゃんと果たせ」と。で、やがて神さまのみもとに行ったときにですね、「私は取るに足りない僕です。なすべきことをしたまでです」と、そう言えと。それはまさに、私たちの生きるすべてでしょう。「なすべきことをする」、その「なすべきこと」っていうのは、主人に仕えることだとイエスは言ってますけど、主人に仕えるということは、その主人の喜びとなること、主人の思いを果たすことでしょう? それこそが、「何をされても忍耐して、すべての人に愛徳を施す」ことでしょうし、信じて、神の御国(みくに)に向かうことでしょう。
 「すべての人に愛徳を施す」なんて、大変なことかもしれませんが、まずは、目の前の一人ひとりの話ですからね。こういう福音を聴いたなら、今日一日、ちょっと忍耐をして、ちょっと愛徳を施せば、もうそれで、ご主人さま、喜んでくれるんじゃないでしょうかねえ。

 福山でも、三原でも、この前お話したランぺドゥーサ島の話をしたんですよ(※8)。 あの『楽園からの旅人』(※9)という映画の話ですけど、映画を地でいくような出来事が実際に続いていて、中近東やアフリカから、難民たちがイタリアに向けて、船でやって来るんですね。しかし、このランぺドゥーサ島にたどり着く前に船が沈没しちゃったりして、大勢の人が亡くなっている。そのことに教皇フランシスコは非常に胸痛めて、今年7月の、最初の公式訪問先として、この島を選んで、現地でイスラム教のたくさんの難民の人たちのために祈り、「こんなことをゆるしちゃいけない」と、言うなればまさに、「すべての人に愛徳を施そうよ」と、そう呼び掛けたわけですよね(※10)
 そういう話を、福山、三原でもして、帰って来たら、つい先日、またまた船がひっくり返っちゃって、大勢亡くなったんですよ。ご存じでしょう?
 20メートルの長さの船。「20メートル」って、この祭壇から、聖堂の後ろくらいまでじゃないですか? そんな小さな船に、難民が約500人乗ったんですよ。その船が。ランぺドゥーサ島のすぐ近くまでたどり着いたところで、エンジントラブルかなんかで船が止まっちゃった。私も26年間、南の島で船を乗り回してますから、よくわかりますけど、海の上でエンジンが止まるということは、死を意味するんですよ。これはもう、飛行機が、空でエンジン止まりましたっていうのとおんなじことです。
 ただ、飛行機と違うのは、海ですと、まだしばらくは漂流して浮いてますから、誰かが助けてくれるチャンスがあるってことですよね。けれども、今回の生存者の証言では、漂流中に、3(そう) 、近くを船が通りかかったけれども、だれも助けてくれなかったそうです。確かに難民満載の船を助けるのは面倒だし、大ごとになるし、その船にはその船本来の目的があるわけだからってことでしょう、見捨てたんですよ、その3艘。これこそ、現代社会そのもの。私たち自身の姿。
 このままだと、漂流して全滅だからと、岸の人たちに何とか知らせるために、毛布に火をつけて振ったら、引火して船が燃え始め転覆した、と。現時点で、500人のうち、助かったのは200人。遺体が確認されたのは110数名、子どもも4人亡くなりました。あとの200人は行方不明です。
 携帯電話が一つあったら助かったという報道もありました。しかし、500人の中で携帯を持っている人は一人もいなかった。まあ、当たり前といえば当たり前。携帯を持っているような恵まれた人は、子ども抱えて命がけで船に乗ったりしないですから。
 毎日新聞の報道(※11)では、教皇フランシスコが、この出来事を聞いて、「私の心には『恥』という言葉しか思い浮かばない」、そうおっしゃった。・・・なんとか助けてあげられなかったか。助けたいっていう気持ち、全くなかったのか。人間の心には、愛徳を施す力があるはずですよ。何がじゃまをして、見捨ててしまったのか。500人の命を見殺しにしてでも手に入れたものって、何だったのか。通り過ぎた3艘の船、後でその多くが亡くなったと聞いて、その後どんな思いで生きてくんだろう。それで手にしたものって、結局はとってもはかないものであるはずですよね、この世のものですから。むしろ、そんなものはぜんぶ失っても、「天国のまったき幸福を失わぬように」。

 でも、この前、横浜で人助けした女性がいましたよね(※12)。 ああいうのはやっぱり、聖霊の働きなんでしょうね。昨日、横浜の学校の保護者講演会にお話しに行ったんですけど、控室でその話を校長先生がしてくれましたよ。「すぐそこの踏み切りなんだ」と。倒れて意識のない男性を動かすのは、すごく大変なことですよって。火事場の馬鹿力みたいに、この40歳の女性が、レールの上に横たわった人を縦にしてね、レールとレールの間に寝かせて、もう電車が近づいてる中で助けて、自分ははねられたっていうんですから。
 まあ、勇気というか、人の中にそういう美しいものもあるんですよ。確かに、人の心には、苦しんでいる人を見捨ててしまうような冷たさもあるけれど、あったか~い愛徳の心もあるはずなんです。人類の歴史って、自らの内なる冷たさを抱えながらも、なんとかその温かさを手にしようという苦闘の歴史なんじゃないですか? だからこそ、イエスさまが来られたんでしょうね。人類の完成形であるイエスさま、愛徳そのものであるこのイエスにならい、このイエスとつながっていれば、どんなときだって、自らの冷たさを乗り越えて、あったか~い心、すべての人への愛徳を、私たちは生きることができるから。そこにこそ、「まったき幸福」が始まっている。それこそ福音です。
 この女性に、首相が感謝状を贈ったようですけれども、私たちキリスト者としては、神さまからの感謝状を想像します。もっとも、天国で、神さまが感謝状を与えようとしたら、彼女は言うでしょうね。「いえいえ、結構です。しなければならないことをしただけですから」と。
 彼女が今、天国で味わっているまったき幸福を思いながら、われわれも負けじと、主と共に、しなければならないことをしてまいりましょう。

 昨日行った、その学校でも、保護者の皆さんに、「ともかくまず第一に、子どもたちに福音を伝えてくれ」と、お話ししました。「真の幸せは成績の良しあしで決まるんじゃないよ、ホントに大事なことは、神さまに愛されているっていう真実であり、互いに愛し合って生きる幸福なんだよ」と、そういうお話をしてまいりました。
 講演の前に、控室で校長先生に、「『成績なんかどうでもいいよ』って親に話しますけど、いいですか?」って、ちゃんと許可を得たんですよ。そうしたら、「どうぞ、どうぞ。ご自由にお話ください」。で、「後でフォローしておきますから」(笑)って、言ったんですよ~。「神父さまはああおっしゃいましたけど、愛と同時に学力も大事です」(笑)なんて、お話しなさるんでしょうか。
 それはそれで正しいんですけど、私は常に、優先順位のトップのお話をしたいんです。「まったき幸福」の話です。今の子どもたち、大変だろうなと思うし、やっぱり、子どもたち、愛を求めて、生きる意味を求めて、苦しんでますから。その周りにも、苦しんでる人いっぱいいますから。一番大事なこと、真の福音をこそ、子どもたちに分けてあげてほしいんですよ。特にキリスト教の学校だったら、ねえ。「成績なんかは、はかないことです」とまでは、学校としては言えないとは思いますけど、でも、トマス小崎14歳、成績もなにもあったもんじゃないのに、聖人ですよ。
 14歳がねえ、殺される前、お母さんに、「この世ははかない。天国のまったき幸福を失わぬように。何をされても忍耐し、すべての人に愛徳を」って。やっぱり、今の14歳にも、まずそれをこそ教えたいですよね。この暗い時代に、一番力を注ぐべきこと、果たすべきことは何か。そのように生きていれば、何を失おうとも怖くないっていう生き方とは何か。それを14歳にもやっぱり教えてあげたいし、私たちもそのように身をもって生きていかないと。一通の手紙でも、そんな励みになるなら、それこそが、殉教者の誉れなんじゃないですか。

 今日は、実は私の父の命日なんですよ。時々、日曜日が命日にあたると、やっぱり説教でひとこと言いたくなるわけですけれども、まあ、あの人は良く働いた人でね、家族のため、教会のために奉仕して奉仕して、精いっぱい生きて、短い50年の人生を生き抜きましたけれども、あの人は言ってると思いますよ、天国でね、「なすべきことをしたまでです」と。
 私も、この人生を終えるときにですね、あの人のように、あるいは14歳の殉教者のように、「なすべきことをしたまでです」と、そう言って、爽やかに、天のまったき幸福を仰ぎたい。


【 参照 】

※1:「平林神父さま」
・ 平林冬樹神父さま(イエズス会
  : 聖イグナチオ教会協力司祭、日本カトリック司教協議会 列聖列福特別委員会秘書
 <前の週、9月29日(年間第26主日)は、晴佐久神父さま出張のため、多摩教会でのミサはありませんでした。>
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※2:「福山教会」(カトリック福山教会)
・ ホームページ : 「 カトリック福山教会
・ 所在地 : 広島県福山市昭和町7-26
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※3:「三原教会」(カトリック三原教会)
・ ホームページ : 「 カトリック三原教会 」( カトリック広島教区ホームページ内「教会案内」より )
・ 所在地 : 広島県三原市東町4830-1
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※4:トマス小崎(1583-1597)

 ・織豊(しょくほう)時代のキリシタン。日本二十六聖人のひとり。1583年(天正11年)生まれ。父ミゲルが働いていた京都の教会建設現場で作業を手伝い、1595年(文禄4年)頃洗礼を受ける。1597年(慶長元年)、父と共に捕らえられ、12月19日、長崎の西坂において、14歳で殉教。護送される途中で書いた故郷の母宛の手紙が残る。(「kotobank.jp>小崎トマスとは」より)
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※5:プレート

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※6:「(トマス小崎の)お父さん」
・ ミゲル小崎(または、ミカエル小崎)
織豊時代のキリシタン。小崎トマスの父。日本二十六聖人のひとり。46歳。もと弓師で,京都の教会の建設現場ではたらいていた文禄4年ごろ洗礼をうける。慶長元年トマスとともに捕らえられ,12月19日長崎の西坂で殉教した。(「kotobank.jp>小崎ミゲルとは」より)
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※7:ルドビコ茨木
日本二十六聖人のひとり。尾張出身。12歳。最年少の殉教者。都の聖フランシスコ修道院で神父や病人たちの世話をしていた。10カ月前に受洗。利発ではなかったが無邪気で明るい性格だったといわれる。司祭が逮捕された時、彼は除外されたが、捕らえるよう自ら願い出た。唐津に到着した時、責任者の寺沢半三郎は、一行の中に12才の聖ルドビコ茨木がいるのを見て気の毒に思い、信仰を捨てることを条件に助けようとした。しかし、ルドビコはこの申し出も丁重に断った。また殉教の前「自分の十字架はどこ」と刑場で訪ねたという。(資料まとめ)
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※8:「この前お話したランぺドゥーサ島の話」
・ 2013年9月15日(年間第24主日)説教「神さまの意地」参照
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※9:「楽園からの旅人」
・ オフィシャルサイト ( http://www.alcine-terran.com/rakuen/
( 参考説教 )
・ 2013年7月14日(年間第15主日)説教「善を行うことは、信仰にまさる」
・ 2013年9月15日(年間第24主日)説教「神さまの意地」
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※10:「教皇様は、(中略)呼び掛けたわけですよね」
・ 「無関心のグローバル化に警告、教皇、ランぺドゥーサでミサ、移民たちとお会いに」
  < http://goo.gl/LDWgew >(「バチカン放送局」:司牧訪問より)参照。
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※11:「毎日新聞の報道」
・ 2013年10月4日記事<ネット版では、同日の「イタリア海難事故:死者300人超す恐れ」(「毎日jp」)参照>
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※12:「横浜で人助けした女性がいましたよね」
・ 2013年10月1日、横浜市のJR横浜線の踏切で、男性を助けようとした女性が列車にはねられ死亡した事故。
  <事故の概要や反応などは、「横浜線中山駅踏切死傷事故」(Wikipedia<フリー百科事典)参照>  ・・・< 文中へ戻る


2013年10月6日 (日) 録音/2013年10月11日掲載
Copyright(C) 晴佐久昌英