とっても尊い「今現在」

2014年6月1日 主の昇天
・第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1-11)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ1・17-23)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ28・16-20)


【晴佐久神父様 説教】

 夏が来ましたね。
 ホトトギス(※1)が鳴くんですよ、この辺り。ご存じですか? ホトトギスの声(※2)、知らない人もいるかもしれませんが、夜も鳴くんですよね〜。これ、ホントに風情がある。
 どこかで聞いたこと、あると思うんですけどね。 キョッキョッキョキョキョ♪ってやつですよ。キュッキュッキュキュキュキュ〜ッ♪♪・・・(笑)って、いるでしょ? これ。昼ももちろん鳴きます。でも、この辺、夜も鳴くんですよ。夜聞くと神秘的ですよ。不思議にエコーがかかるんです。
 「テッペンカケタカ」って、ホトトギスの声はそう聞こえるっていう、「聞きなし」(※3)があるけど、ぜんぜんそう聞こえないですよね。むしろ、「特許許可局」だっていう説も(笑)・・・あって、そっちの方が近いような。トッキョッ、キョキャキョク〜♪(笑) って。
 今度、山に行ったら聞いてくださいね。この辺でも日中、鳴いてます。ただ、夜の方が静かだから、よく響いて、ああ、ホトトギス、鳴いてるな〜って。
 歌にもありますね。
 (歌う)♪卯の花の匂う垣根に♪ホトトギス早も来鳴きて♪忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ〜♪(※4)
 この「忍音」っていうのは、その年最初に聞くホトトギスの声を、「忍音」っていうんですって。・・・美しい言葉ですね。「忍ぶ」っていう字に「音」と書いて、「忍音(しのびね)」。
 「ああ、夏が来た!」っていう声だってことですよ。私、今年の忍音は、夜聞いたんです。
 「あれ? 何だろう? ・・・何か鳴いてるな」。・・・耳を澄ますと、キョッキョキョキョキョキョ〜・・・♪
 おお、夏の始まり、「忍音」聞いちゃったよ〜♪っていう感じで、今年の、この新しい夏を、特別に祝福されている気持ちになりました。・・・また新しい季節をいただいたんですね。

 ただ、年とってくると、「ああ、あんな夏もあった。こんな夏もあった。そしてまた夏が来た。なんだか、同じことの繰り返しだな・・・」とか思いがち。あるいは、「この夏を過ごせるだろうか。熱中症とかにならないだろうか。こうして日々は過ぎていく。いつか、人生最後の夏なんていうのも来るんだろうか・・・」なんていうふうな思いに、とらわれがち。
 でも、神が与えてくれた時間って、そんな一本の線みたいなものじゃない。もっと、どの夏もかけがえのない、どの瞬間も永遠だって言えるような豊かなものです。
 今日、「主の昇天」の日(※5)ですけど、主の昇天って、そんな永遠性を物語ってるんです。弟子たちがイエスと共に過ごした尊い日々はたった3年ですけど、そのすべての日々が、かけがえのない日々であり、いまや復活の主が天に昇ったことで、永遠の日々になった。そんな感じです。・・・ 今、こうしている素晴らしい一瞬、今、確かに味わっているこの一瞬は、主と共にあることで永遠になるっていう。
 この新しい季節、爽やかな夏を迎えて、今こうして、主を囲んで私たち集まってますでしょ、ここに。素晴らしい仲間たち、一人ひとりをこうして見ていると、胸がキューンとする。私たちが、今確かにここに集まっている、この一瞬、このひと時は、ホントに永遠なることだ。これはホントに素晴らしいことなんだ。
 ・・・このことをね、深く、深く味わうべきですよ。

 第2朗読(※6)で、パウロが、「神さまが心の目を開いてくださるように」って言ってますでしょ。(cf.エフェソ1:17-18)
 「心の目を開く」っていうのは、神を深く知る、イエスの恵みを知る、まあ、そういうことでしょうけれども、そうして心の目が開かれると、世の始めから世の完成までの永遠なる時間感覚っていうものが、この私のうちに湧き起こってくるんですよ。・・・これが大事。なんか、「ああ、もう終わっちゃったな」とか、「これからどうなるんだろう・・・」とか、目先の短い時間感覚でわれわれは悩みますけど、もっと心の目を開かなくっちゃいけない。
 「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、悟らせてくださるように」(エフェソ1:18)
 今は試練の中にあるけれど、これから、どれほど豊かな栄光を受け継ぐか、それを、私たちは悟る。心の目を開いてもらって、神の与えてくださる真の希望を悟りましょう。その希望によって、今この瞬間に永遠が宿るんです。
 「また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」(エフェソ1:19)
 「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1:23)
 まさに、このミサこそは、「絶大なる神の働き」であり、「すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられる」、そういう場。だから、永遠なんですよ。
 もちろん、この聖堂に永遠に座ってるわけじゃない。しかし、私たちが今ここで、神さまの恵みを生きてるっていうこの現実、事実は、決して消えない。世の始めから用意されていたことであり、やがて完成する天上のミサの先取りであり、今、心を開いてそれを悟るならば、私たちはすでに永遠を生きています。
 こういう、爽やかな信仰をね、この夏は大切に生きていきましょう、・・・まあ、いろいろまた、暑かったり疲れたり、いろんな問題が起こったりするかもしれないけど、いいも悪いも含めて、今日という日、この新しい季節、これがどれほど尊くて、決して消えない永遠なるものであるか、そんな思いでね、隣りの人の顔を眺めて、そんな思いで自分の手のひらを眺めて、静かに鳥の声にでも耳を澄ませて、「神に生かされてある今」を、深く悟って、信仰生活を送っていただきたい。
 「教会は永遠なるキリストの体」なんですよ。

 国立競技場がその役目を終えて、来月は壊されるっていうんで、昨日、さよならイベントみたいなのをやったんですね(※7)。56歳だそうですよ、国立競技場って。私と同い年なんですけど。
 それぞれにいろんな思い出があって、大勢の人がイベントに集まってましたけど、ニュース見てたら、みんな口々に、「私はオリンピック見ました、ここで」とかね、「ラグビーの早慶戦が忘れられません」とか、「サッカーの聖地です」とか言ってました。
 ちなみに、先週お話したとおり(※8)、私は先日、この国立競技場に入り損ねたんですけど、実は今まで、外からは見たことあるけれど、中に入ったことがなかったんです。・・・入ったことある人、少ないですよね、国立競技場って、案外。
 今回、ポールのコンサートで、初めて国立競技場に入れると思ってたら、結局入れなかった。残念だなと思いながら、あの聖火台、見上げました。っていうのは、東京オリンピックのとき、父親に連れられて見に行ったんですよ。あの聖火をね。その時も外から見ただけで、中には入らなかったんで。
 父は「あれがオリンピックだぞ」とか言って、まだ小学校1年生の僕に聖火を見せてくれました。正直、なんのことかよくわかんなかったけど、でも、高揚している父の感じっていうのは、子どもにもよく伝わるわけですよ。若き父にしてみれば、北海道から東京に出て来て、オリンピックが始まって、胸熱くしてたんじゃないですか。子どもに、オリンピックを見せに来た。まあ、チケット買うような余裕はなかったから、外から見せた。確かに火が燃えてましたよ。大切な思い出です。まだ六つか七つのころ。

 で、どうなんでしょう。「国立競技場が壊される」、これって寂しいこと?
 「ああ、あんなに素晴らしい、いろんなことがあったのに、終わってしまうんだ。すべては過ぎ去ってしまうんだ」って、残念なこと?・・・私は、そう思わない。そう思っちゃいけないんだと思う。むしろ、「確かに、あの日あの時、ここで、それがあった」、その事実が素晴らしいんです。その一試合、そのひとつのコンサート、その一日一日が。やがて、それは過ぎ去っていくかに見えても、「過ぎ去る」ってとこは見る必要がない。見るべきは、「確かに存在した」という事実です。もしかすると、それは存在しなかったかもしれないんだから。でも、確かにあったんです。この世界の中に。
 ・・・皆さんの人生と同じですよ。確かに、ここにあるんです。
 「56年の歴史を国立競技場が終える、ああ、私も56年生きてきたけど、いつかは終わるのか。いろんなことがあった。あのこと、このこと・・・。でも、ぜんぶ消えてってしまうのか。わびしいなあ、寂しいなあ、むなしいなあ・・・」って言うとしたら、それは違う。
 あの一日、この一日、泣いた日、笑った日、ホントに喜んだあのとき、つらかったあの瞬間、・・・それはもう、絶対に消えない。なぜなら、それは神のみ(わざ)だから。それは、この世界内に、確かに神さまがクリエイトした、おつくりになった恵みの瞬間であって、私はその当事者なんです。神がつくった日々は、消えてなくなるようなものではない。
 さよならイベントでは、最後に「蛍の光」を歌ったんですって。国立競技場で行われた東京オリンピックの閉会式で、「蛍の光」歌ったんですよね。だからみんなでそれを歌ったってことですけど、「蛍の光、窓の雪・・・」って、卒業式に使われる歌ですね。「蛍の光、窓の雪明かりで一生懸命勉強したけれど、いつしか年は過ぎて、やがてみんな分かれていく卒業のときを迎えました」っていう、まあ、そういう意味で歌われるでしょ?
 いつしか年は過ぎて卒業していく。・・・なんか寂しいなあって思うとしたら、それは違うんじゃないか。卒業を見ちゃいけないんです。そこで過ごした6年間、3年間の永遠性を見るべき。
 私たち、この世界をやがて卒業していくわけですけれども、確かに何年間か、確かに、そこで生きたんですよ。すごいことです。それは消えないし、それがあるからこそ、真に永遠なる世界に、私たちは生まれ出ていくことができる。
 だからこそ、この一日、この一日は、ホントに尊い。一日たりとも、欠かせない。
 ・・・つらい一日も含め、決して欠かせない。一日、一日。

 一昨日、昨日と、釜石に行ってまいりました。
 おかげさまで、皆さんからの援助金を、ちゃんとお届けすることができました(※9)
 以前に釜石に行ったときに、カリタス釜石が新ベースを建てるというので、その予算の計画書を見せていただいたんですけど、「これ、必要な諸々(もろもろ)を加えると、一割は足りないですよね」ていう話になり、「私が集めてまいりましょう、開所式までに集めて持ってまいります」と、そう大見え切って帰って来た。それを皆さんにお伝えして、お願いしてきたわけです。
 でも、その「1割」が500万だったんですよねえ。・・・500万円集めるって、ねえ。・・・言うのは簡単ですよ。「お・ま・か・せ・く・だ・さ・い」って、たった8文字。(笑) 「たった8文字」ですけど、実際集めるのは、これはホントに大変。
 それでも、まあ、そういうのが私の使命だとも思ったし、あちらこちらに呼び掛けました。直接持って来てくださった人もいましたし、被災地献金袋に入れてくれた人もいましたし、ネットで献金してくださった方も大勢いましたけど、先週ご報告したとおり、ついに集まったんですよ。
 大口で献金してくださった方もいたし、ホントに500円、1000円と、一生懸命ひねり出して献金してくださった方もいたし、もうそれは神さまが、ホントにその一人ひとりの思いをちゃんと受け止めてくださっていると思います。
 最終的には、直前になって寄付してくださった方、締め切り後の方もいて、643万8千円になりました。・・・643万8千円、間違いありません。「6、4、3、8」・・・「虫のサンバ」って覚えたんで。(笑)
 昨日、そっくり、カリタス釜石の理事長である平賀司教さまにお渡しいたしましたので、ご報告いたします。
 そして無事に、新ベース開所式が行われ、それこそ、みんながどれほど喜んだか。これはお伝えしなきゃならないと思います。

 私、釜石は津波の3カ月後から、ちょうど今月で3年通っておりますから、新ベースが建ち上がって、その前にテント張って椅子並べて、副市長さんとか福祉協議会の代表者も来たりして、テープカットしたりしてるのを見て、感無量でした。いいお天気で、さわやかな季節で、そう、そのホトトギスも鳴いてたんですよ。華やかな開所式で、なんだか幸せ〜な感じでしたけど、やっぱり最初に来たときのことを、思い出しちゃうわけです。・・・まだ、がれきの山でしたからね。ハエがすごくて、「すごいとこ、来ちゃったなあ・・・」と思った。・・・新ベースにも、そのころの写真が飾ってありました。
 新ベースは釜石教会の敷地内に建ったんですけれど、その敷地内のマリア像の前まで、がれきと車が流れ着いてる写真です。教会は浸水しなかったけど、マリア像のとこまで来たんですよね。
 その、水に浸かってた所に、新ベースが建ったわけです。・・・あのころは、ここにそんなのが建つなんて、想像もしなかった。教会がボランティアベースになっていて、がれきを片付けるボランティアが泥まみれになって、一日の作業を終えると戻って来てたころ。まだまだ、避難所暮らしでしたもんね、みんな。仮設住宅なんて、建ってなかった。
 でも、行くたんびに、少しずつ、少しずつ、復興していって、そして、このたびは、新たにベースが立ち上がった。
 釜石ベースは昨年、NPO法人「カリタス釜石」にまで成長し、このたびは拠点の新ベース開所。撤退していくベースもある中で、今からいっそうやっていこうっていうのが、どれほど尊いか。スタッフから聞いたんですけど、3年たっても先が見えずに、「このまま仮設で死ぬのかねえ」なんて声も多くなってるとか。そんな、今なおつらい思いを抱え、苦しんでいる人たちのために、さらに「今から」始めよう、ずっと一緒にやっていこうって、新ベースを立ち上げたってこと、胸いっぱいになって、うれしい思いでした。
 釜石市から副市長さんが来て、挨拶してくださいましたけど、「まだまだ、これからなんです」って、おっしゃってました。うれしかったのは、釜石市が、「教会さん、カリタスさんが、どれほど尊い働きをしているか、どれほど頑張ってくれていて、どれほど頼りにしてるか」っていうことを、ちゃんと挨拶で話してくれたこと。やっぱり誇らしかったですね。行政から見ても特別なんですよ、「カリタス」っていうのは。副市長さんがこんなようなこと、言ってました。
 「復興っていうと、どうしても物の話、カネの話が中心になってしまう。嵩上(かさあ)げがどうとか、補助金がどうとか。でもこの3年間、つくづく大切だと思ったのは、やっぱり『こころ』の復興なんだ、と。
 しかし、こころの復興の分野は、私たち行政は、どうも不得手で対応しきれない。その点、カリタス釜石は、そのこころの問題に真剣に対応し続けてくれて、本当に助かっている。
 NPO法人の中にはいい加減なのもあるけれど、カリタスさんはバックが教会だから、信頼してお任せできる。この度、末永く地域のためにと新ベースを立ち上げてくださったことを感謝しているし、私たちは本当に期待している」
 まあ、私もローマンカラーなんかしてね、教会関係者って顔でいるわけで、「そうでしょ、そうでしょ」っていう、誇らしい気持ちになりましたよ。
 あそこのスタッフたちが、どれほど頑張っているか。私は、せめてこのスタッフたちを応援しようっていう思いで通っているっていうこともあって、前日には前夜祭を開いて、皆さんを励ましました。そこで、これがどんなに尊い活動かっていうことを、改めてちゃんと申し上げ、応援している皆さんの思いも、ちゃんとお届けしました。
 「忘れてませんよ」と、
 「つながってますよ」と、
 ささやかではあれ、それをかたちに表すことができました。
 喪失する日があり、復興の日々があり、永遠なる一日、一日です。

 「キリストのからだ」っていいますけどね、教会は。
 これ、バラバラでいる人たちが集まって「教会」をやってるんじゃないんですよ。普通は「バラバラの人たちが集まってキリストのからだになってる」、そう思うでしょ? でも、「からだ」って、そうですか? 「手」がやって来て「足」とつながったとか、「私、『目』ですけど、顔に入っていいですか?」とか、そんな話じゃない。
 ・・・もとよりつながってるんです。
 「私たちはキリストのからだだ」っていう意味は、私たちは、自分が手なんです、足なんです、目なんです、口なんですって、気づくこと。バラバラな人たちがつながって、「さあ、一緒にからだになりましょう」じゃあ、いつまでも大勢の「私」がくっついてるだけでしょう。
 私たちは「一人の」キリストなんです。
 永遠なるキリストのからだなんです。
 もはや、「私」ではなく、キリストの一部なんです。
 手が苦しんでるってときに、足が「あら、おかわいそうに」っていうわけにはいかない。指先に、とげ一つ刺さっただけで、全身痛いわけでしょ? こう、つながってる者として、一つのからだとして、この世界が本当にキリストのからだになって一致するっていうのが、私たちの夢見る世界じゃないですかね。そうしてキリストとひとつである時に、永遠を生きていけるんじゃないですか。

 釜石も、どんどん復興してきました。
 どうぞ、訪ねてみてください。SL走ってますよ。私、昨日、釜石線でSLとすれ違いました。
 土曜日に、盛岡から釜石まで行って、日曜日に釜石から帰ってくるのが1本、走ってます。「銀河号」っていったかな(※10)。昨日の帰り道、汽車のポ〜〜ッていう汽笛聞いて、びっくりして窓の外見たら、シュッシュッシュッシュッてね、駅ですれ違いました。
 そう、そう、三陸鉄道南リアス線(※11)にも乗ってきました。南が全線開通したんですよ。ぜひぜひ、あれも乗って来たらいいです。大船渡と釜石の間、つながりました。乗るだけで応援になります。
 中でね、被災地のお姉さんたちが、お茶をみんなに振る舞ってました。「お茶どうぞ」って、ハッピ着てね。ああ、一生懸命やってるなあって・・・。
 観光者向けの車内アナウンスがあってね、たとえば「平田(へいた)」っていう所を通るとき、こんなふうに言うんです。
 「右手、左手を、ご覧ください。今現在の平田市街をご覧いただけます」、・・・こう言うんですね。で、見ると津波でほとんど流されちゃってる。トンネル抜けて釜石が見えてくると、「右手、左手、ご覧ください。今現在の釜石市街地をご覧いただけます」って言うんですよ。見ると、被災地が見える。
 私、その「今現在」が、すごく耳に残ったんです。だって、「今現在の」って、そりゃそうだろうって思うわけですよ。なんでわざわざ、「今現在の」って言うのかなって。見えてる景色は、「今現在の」景色に決まってるわけだから、普通、案内するときは、「今現在の」なんて言いません。
 ・・・もう、おわかりですよね。
 そのひと言に、「かつてはこうじゃなかった」、そして、「これからはこうじゃない」、そういう思いが込められてるんじゃないですか?
 かつてはホントに豊かな自然と、そこで暮らしているのどかで平和な街並みがあったし、それをお見せしたかった。でも「今現在は」、それがなくなっちゃってる。しかし、だからといって、このままじゃない。「今現在の」この街並みから、次の街が生まれていくところなんだ。いつかそれをお見せしたい。・・・そんな精いっぱいのひと言に聞えました。
 「今現在」、確かにそれは惨憺(さんたん)たるものに見えるかもしれない。でも、それは永遠なるものに連なっている、とっても尊い「今現在」なんだ、と。
 ・・・そんなアナウンスの声に聞こえました。


【 参照 】

※1:ホトトギス
カッコウ目カッコウ科。姿もよく似ている。特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵(たくらん)(卵の世話を他の個体に托する習性)することで知られる。全長は約28cm。
 日本では夏鳥で、九州以北に繁殖。北海道では南部に少数が生息する。
 夏の訪れを告げる渡り鳥で、季節の初音としてその鳴き声が待たれた。渡来初期には、昼夜構わず鳴く。
 多くは5月に渡来し、ウグイスなどの巣に卵を産み込み、子育てはせず、秋になると南へ渡っていく。
(参考)
・ 「ホトトギス」(サントリーの愛鳥活動>日本の鳥百科)
・ 「ホトトギス」(ウィキペディア) など
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※2:ホトトギスの声

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※3:「聞きなし」
 動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの。 意味のある言葉を当てはめる場合もあるが、広義には人間の言葉の発音に置き換えたものを指す。
(参考)
・ 「聞きなし」(ウィキペディア)
・ 「聞きなし辞典」(「森の自然誌」)
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※4:「夏は来ぬ」
「夏は来ぬ」(作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助)1896年発表
(参考)
・ 「夏は来ぬ」(YouTube)
・ 「夏は来ぬ」〈解説と研究〉(「世界の民謡・童謡」-「日本の童謡・唱歌」より)
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※5:「主の昇天」
「主の昇天」の主日は、復活したキリストが40日間弟子たちのもとに現れた後、天にあげられたこと(使1:3-11)を祝う日。
 復活祭から40日目の木曜日を昇天の日として祝う教派もあるが、日本のカトリック教会では、次の日曜日(聖霊降臨の主日の1週間前)に移して祝っている。
 今年の「主の昇天」の主日は6月1日で、この説教のあった日に当たる。
(参考)
・ 2008『岩波キリスト教辞典』(岩波書店)
・ 「主の昇天」(カトリック中央協議会)
・ 「主の昇天(祭)」(Laudate-「教会カレンダー」)
・ 「キリストの昇天」(ウィキペディア) など
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※6:「第2朗読」
・ 本日(2014年6月1日〈主の昇天〉)の第2朗読箇所
   「使徒パウロのエフェソの教会への手紙」1章17〜23節
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※7:「国立競技場がその役目を終えて、来月は壊されるっていうんで、昨日、さよならイベントみたいなのをやったんですよね。」
(参考)
・ 「ファイナルイベント」(「新国立競技場」>SAYONARA国立競技場プロジェクト
・ 「SAYONARA国立競技場FINAL③”FOR THE FUTURE” 未来に向けてファイナルセレモニー」(ウェブ電通報)
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※8:「先週お話したとおり」
・ 先週(2014年5月25日〈復活節第6主日〉)説教「あなたと一緒にいる」参照
その中で、ポール・マッカートニーのコンサートがあって国立競技場に出かけたが、公演が中止になってしまったという話があった。
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※9:「釜石に行ってまいりました。おかげさまで、皆さんからの援助金を、ちゃんとお届けすることができました」  (カリタス釜石にて〈2014.5.31〉/画像はクリックすると拡大表示されます)
 「福音の村」では、NPO法人カリタス釜石の新ベース建設にあたり、募金を集め、お渡しするという計画があり、昨年12月から今年5月までの間に、皆さまに呼びかけ、ご協力を仰いでまいりました。
 非常に多くの方からご支援いただき、心から感謝しております。
 本当にありがとうございました。
 なお、晴佐久神父からの「募金への感謝とご報告」、カリタス釜石から感謝状を、別途掲載しておりますので、宜しければ、お読みください。
 >>> 「募金への感謝とご報告」(晴佐久昌英神父)
 >>> 「カリタス釜石」からの感謝状(カリタス釜石 副理事長 伊瀬聖子さん)

(参考)
 *募金について*
  「カリタス釜石に活動拠点を!」
   ・ 2013年12月11日付「募金ご協力のお願い
   ・ 2014年5月15日付「募金終了と目標額達成のご挨拶
 *参考説教*
   ・ 「『もう1枚』をお願いします」(2013年12月8日<待降節第2主日>)説教
   ・ 「神には、おできになる」(2013年12月15日<待降節第3主日>)説教
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※10:「SL銀河」号 SL銀河号(SL Story’s/↑クリックすると拡大表示されます)
 東日本旅客鉄道(JR東日本)が、2014年4月12日から釜石線で運航するジョイフルトレイン。
 東北の観光、復興、地域の支援と活性化を目的として、展示保存されていた蒸気機関車(C58形239号機)を動態復元。釜石線を走行させる。
 * 運行事業者 : 東日本旅客鉄道(JR東日本)盛岡支社
 * 運行期間  : 花巻駅-釜石駅
 * 経由線区  : 釜石線
 * 運行開始日 : 2014年4月12日
(参考)
・ 「SL銀河」(JR東日本 盛岡支社)
・ 「SL銀河」(ウィキペディア)
・ 「さらなる復興へ向けて出発進行!花巻⇔釜石間で蒸気機関車「SL銀河」号が4/12(土)より運行を開始」(いわて三陸観光復興プラットホーム)
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※11:「三陸鉄道南リアス線」
 岩手県大船渡市の盛駅と、釜石市の釜石駅を結ぶ三陸鉄道の鉄道路線。
東日本大震災(2011/03/11)以降、全線不通となっていたが、2013年4月3日に盛 – 吉浜間が、2014年4月5日に吉浜 – 釜石間が、運行再開。
 (参考)
・ 「三陸鉄道全線運行再開等について」(三陸鉄道株式会社
・ 「路線図・駅紹介」(三陸鉄道株式会社)・・・(大きくてわかりやすい駅名<ふりがな付>の路線図です)
・ 「三陸鉄道へのアクセス」(三陸鉄道株式会社)
・ 「三陸鉄道南リアス線」(ウィキペディア)
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2014年6月1日 (日) 録音/2014年6月7日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英