神さまは意地悪か?

2014年10月5日年間第27主日
・第1朗読:イザヤの預言(イザヤ5・1-7)
・第2朗読:使徒パウロのフィリピの教会への手紙(フィリピ4・6-9)
・福音朗読:マタイによる福音(マタイ21・33-43)

【晴佐久神父様 説教】

 この1週間、噴火の映像を、私たち、ず~っと見てまいりました(※1)
 皆さんは、ああいうのを見ながら、どう思われていたんでしょうか。ちょっと振り返ってみてください。私は信仰者として一つのことを思っておりましたが、皆さんは、何を思っていたのでしょうか。
 あの噴石飛び交う山頂で、ある人は「地獄だった」って言ってましたし、また、ある人は「生死を分けたのは、このアルミのカップだ」ってね、頭を覆っていたザックの中のつぶれたカップを見せていました。死を覚悟して、「お母さん、ありがとう」ってメールを送った娘さんとか。その方は幸い生還したんですけれども、家族にメールを送って、そのまま亡くなった方もいました。
 ああいう極限状況を見ると、「さて、私だったらどうするか」とかね、「いったい、どうしてこういうことになっちゃったのか」とかね、「登った自己責任もあるだろう」とかね、一般にはそれぞれの感想があるでしょう。ただ、やっぱり、キリスト者としての感想というのもあるはずです。何があろうとも神の愛を信じる者としては、こういう出来事を、どういうふうに受け止めたらいいか、そこはやっぱり、揺るがない思いをね、われわれは持っていなきゃならない。
 私が思っていたのは、そのことです。

 二日前に、いつか説教でもお話した(※2)日本能率協会(※3)っていう法人の「リーダーのためのリベラルアーツ講座」(※4)で、講師としてお話ししてまいりました(※5)
 高輪あたりの立派なビルのお部屋でしたけれども、有名企業の幹部や幹部候補生が集まっていて、企業を育てるリーダーとしての教養を深めるという目的の講座なんですね。その中には宗教や哲学という講座もあって、そこへ私なんかを呼ぶってとこがまた、勇気があるというか、すごいなあと思いましたけれど、私はただ福音を語るだけですから、経営に資するというよりは、ともかく、「みんな救われてるんだ、それに気づいてくれ。リーダーとして普遍主義を極めて、みんな救われてるんだと教え導いてくれ」っていう気持ちでお話ししました。
 ・・・これ、結構ね、高額なんですよ。各界の人が講師なんですけど、1週間で36万円。それだけかけても、元が取れるんですかね。なんだか、すごい世界だなあと思いましたけど、私なんかお門違いでね、金返せって言われないか心配で。でもまあ、いつもの調子で、「リーダーっていうからには、徹底して普遍であれ」って話をしたわけですが、その話の枕に噴火の話したんです。

 というのは、会場に早めに着いたんで、高輪のホテルの1階で、コーヒー飲んでたんですね。すると、すぐ隣で同じくコーヒー飲んでる3人グループがいて、2人は中年男性、ひとりは結構年配の男性。この年配の人が大声でよくしゃべる人で、噴火の話をしてたんですけどね、亡くなった方のことを話題にして、「世の中には運の悪い人がいるもんだねえ」って言ったんですよ。
 まあ、確かに、普通ならそう思うだろうな、とは思います。紅葉シーズンのお昼時にね、ちょうど噴火するその時に、山頂でお弁当を食べてた。それは「運が悪い」っていえば、そうかもしれない。
 で、その人がですね、また、こうも言ったんですよ、「第一ね、山頂には神社があったでしょ。お参りした人もいたんじゃないの。神さまに手を合わせてさ。なのに突然噴火だっていうんだから、いや~、神さまも意地悪だねえ」って、そういうこと言うんですよ。
 そうしたら、中年の一人がね、「まあ、宗教なんていい加減なもんですよ」って。
 私、ローマンカラーしてたんですけど、これって外せるんで、その時は黒いローマンカラーシャツの胸ポケットに入れてあったんですけど、思わず、ちょっと見えないように隠したりして。(笑)
 だって、年配の人が、それを受けて、とうとうと宗教批判始めたんです。
 「まったく、神さまに手を合わせたところでね、どうなるもんじゃない。非科学的ですよ。そもそもバチカンがガリレオを認めたのなんて、つい最近でしょ」って、ガリレオ・ガリレイの宗教裁判(※6)の話になって、さらにはイスラム教のスンニ派とシーア派の争い(※7)の話になって、「宗教ってのは、ホントに災いだね、ひどいもんですわ、ハハハ」(笑)
 私、すぐ隣で聞きながらね、何か言いたい、もやもやした気持ちになったけど、(笑)急に話に加わっていっても御迷惑でしょうからやめました。この人たち、後で私の講座に現れるかもしれないしね。
 さて、どうでしょう。一般にはそう思うわけですよ。
 「それにしても、運が悪い」とか、「神さまも意地悪だねえ、祈っても無駄だよ」とか。
 ・・・でも、そうなんですか?
 ただ「運が悪い」で片づける出来事ですか。神も仏も意味がないと結論する出来事でしょうか。確かに、お参りしてたのに噴火に遭ったという出来事は、運が悪く思えるし、神は意地悪だとも言いたくなる。それはわかります。しかし、キリスト教には、その先がある。ここが肝心。

 さっき、第1朗読(※8)で、神さまがおもしろい言い方してましたね。4節ね。
 「わたしがぶどう畑のためになすべきことで
 何か、しなかったことがまだあるというのか」(イザヤ5:4)
 これは、言うなればこう言ってるんです。
 「わたしはこの世界を創った。愛をもって創った。そのわざは完璧だ。何もわたしに落ち度はない。
 四季が巡り、いのちが溢れ、時に津波が起こり、噴火もするけれども、わたしなりの考えがあって、この地球という最高のぶどう園を造った。そして、その素晴らしさを味あわせるために、その地球にあなたたち人類を置いた。そこでわたしの恵みを受けて実らせるため、わたしの愛に目覚めてみんなが愛し合い、みんなが助け合って救われるために。
 それなのに良いぶどうが実らないならば、それは、わたしのせいじゃない。あなたたちが、なすべきことをしてないからじゃないか。酸っぱいぶどうになっちゃったのは、わたしのせいか?」
 って、こう言ってるんですね。
 「わたしのせいか? お前たちがするべきことをしていないから、何か間違えてるから、問題が起こり、ぶどう畑は焼かれ、石垣が崩れてしまうんじゃないのか」と。(cf.イザヤ5:5)
 たとえば、一見、噴火なんて防ぎようもなく見えるし、「それは神がしている」って言いたくなるかもしれない。でも、よくよく考えてみると、天災って、ほぼすべて人災なんですよね、実は。
 火山は美しい。確かにそうです。それは神のわざ。でも、温泉掘って旅館を造り、山小屋造って人を集め、登山ブームをあおって登山用品を売り、ロープウエーをつくって人を乗せ、「紅葉の御嶽山、絶景ツアー!」ってね、旅行会社が客を集めるのって、これ、人間がやってることですよね。
 まあ、悪いとは言わない。お客さんの喜びのために奉仕したいなんていう気持ちもね、多少はあるかもしれないけれど、本音はご商売のはずですよね。そうして、だからこそ、大人も子どもも大勢の人が3千メートル超える活火山の山頂にいるわけです。
 それに、「でも、神ならぬ身、突然の噴火を、私たちは予測できません。これは現代の学問の限界です」と、そう言う人もいます。・・・ホントにそうですかね。
 有珠山(うすざん)の大噴火の時に(※9)、避難を呼びかけた教授がいますでしょ(※10)雌阿寒岳(めあかんだけ) (※11)の調査もしていて、以前に今回の水蒸気爆発とそっくりな爆発をしているので、「じゅうぶん、火口付近立ち入り禁止にするレベルだった」と、そういうようなことを言ってますよ。
 私、火山()きなんで、その有珠山の噴火のときも、もちろん見学に行っております。2000年の、あれは、3月・・・ですね。まだ噴火が続いている時に見学に行きましたけど、初めて噴石を目視したのは、あの噴火の時です。噴石、すごいですね、やっぱり。規制線の一番前まで行って、日がな一日観察して、空振(※12)の音を体感したりしておりました。
 有珠山は、まあ、分かりやすい山だっていうこともあるんですけど、その噴火の時、北大の有珠火山観測所が「144時間以内に噴火します」って言ったら、143時間目に噴火したんです。だからその間に、延べで1万6千人を避難させた。まあ、もともとハザードマップ(※13)もあり、地元の協力もあってのことなんですけれど、そのときは1人も亡くなっていません。噴出量で言えば今回の爆発よりも桁外れに大きな大噴火だったんですよ。
 これ、神が意地悪なんですか。違うでしょう。人間の問題なんじゃないですか。
 現にその教授が、「もっと予測できたはずだ」というようなことを言ってるんです(※14)
 観測体制の不備は明らかです。人間は何十億円もかけて原発造ったり、橋を()けたり、まあ、いろんなことに金かけてますけど、なにもかも、商売でやっていること。火山の観測は商売にならない。だから、手を抜く。そして、被害が出る。
 つまり、私たちに、愛が足りない。
 ・・・それだけです。非常にシンプルな話です。
 私たちに、愛が足りない。だから、お金はそっちに回らない。だから、地獄絵図になる。
 もちろん、活火山に登るのは本人の決断ではあるけれども、同時に、商売の人たちが大勢の人が山に登ることに協力し、行政は観光の打撃にならないように緩い規制を黙認し、もうからない観測機器は故障しても直していませんでした、と。これは人間の問題です。
 ・・・愛がない。
 「この地獄絵図は、私が意地悪だからか?」って神は言いたいと思いますよ。
 むしろ、「わたしはちゃんとやった。美しい地球を創って、あなたたちに、すべて与えた。命を与え、知識も与え、科学技術も、すべてちゃんと与えた。何よりも、自分の利益よりも他者を大切にするという、愛を与えた。それを、もっともっと使って、良い実りを実らせなさい」、そう言いたいと思いますよ。
 宗教とは、まさに、そのような神を信じ、そのような神と共に働き、そのような神からいただいた愛で精いっぱいのことをして、いよいよそれでも噴石が飛んで来たら、そのような神にすべてを任せて「み手に委ねます」と祈る。これが、宗教っていうことです。
 講座でも、「神は完全な方で、すべての人を救うんであって、この世でのあらゆる善悪や、運不運といった二元論を越えた超越的存在だ。そのような、究極の普遍的存在である神を信じ、そのような、すべてを包む神のみこころを信じる普遍主義こそが、最高の宗教なんです」みたいな話をしたんですけど、まあ、どうなんでしょう、36万円払った方たちは、どう聞いたのか。
 実は講座の後で、担当者に「これはちょっと私、あまりにお門違いなんで、来年は勘弁ね」って言って帰ってきちゃったんですけど、こうやって改めて説教で話してると、なんだかムラムラと燃える気持ちになってきて、やっぱり来年も、(笑)行きたくなってきた。だってねえ、
 「宗教なんて、いいかげんなもんですよ」って思っているような一般社会に向かって、
 「じゃあ、あなたたちは何を信じているんですか、どういう世界をつくりたいんですか、そのために何をしているんですか」って、やっぱ、言いたいですよね。

 イエスさまが、今日、たとえてくださった話は(※15)、同じぶどう園のたとえ話ですけども、これも同じテーマを含んでますね。
 この家の主人、神さまのことですけど、「垣をめぐらし、絞り場を掘り、見張りのやぐらを立て」(マタイ21:33)ってこれ、ぜんぶ神がなさったこと。神さまはすべて、落ち度なく用意しました。それを、農夫たちに貸しました。
 ・・・っていうのは、「人類にすべて委ねました」みたいなことでしょうね、
 「この完璧なぶどう園で、あなたたちは、知恵と愛をもって、素晴らしい実りをもたらしなさい」と。
 「それが実るのは、大変素晴らしいこと、楽しいこと、感動的なことだ。あなたたちに、そういうプロセス、そういうチャンス、そういう使命を与える」と。
 これこそが人類の存在する意味です。
 ありがたいことです。そういうぶどう園に生まれてきて、実りをもたらすよう任されて、もう、やろうと思ったら、何でもできるんです、私たち。知恵と愛をもってすれば。そういう現場には、神さまも、具体的な応援をいっぱいしてくれるっていうこと、キリスト者なら、常に体験するはずですよ。
 そして収穫の時、素晴らしい実りを神さまにお返しする。・・・はずなのに、それを自分たちのものにしよう、自分たちの利益にしよう、「相続財産をわれわれのものにしよう」(マタイ21:38)なんていうときに、まあ、すべては台無しになる。・・・っていうことですねえ。
 だからこそ、イエスさまと私たちは、つながっていなければならないんです。実りの「先どり」である主と共にあれば、もっと知恵も増し、もっと愛も深まって、もっと神の国のために働くことができるからです。結局、イエスさま抜きでは、人間はなかなかちゃんと働けないから、キリスト者は一生懸命、イエスにつながっていようとするんです。
 神さまが「最後、息子を送った」(cf.マタイ21:37)っていうね、その息子を殺すんじゃなくて、私たちは受け入れて、その息子と共に豊かな実りをもたらして、すべてを主人にお返しすると、なんかそれがキリスト者であり、教会の喜びっていうことになろうかと思います。
 やろうと思ったらできるんです。みんなで、主と共に働けば、悲しい地獄も防げるんです。
 愛で防げることって、いっぱいあるはずです。
 有珠山の2年後の、2002年のエトナ山(※16)噴火の時も、私、シチリア島に見学に行きました。2002年10月。その時は、紅蓮(ぐれん)の炎のもと、噴煙の下をくぐるっていう体験しましたけど、これ、噴火してても、観光客乗せてタクシーが走るんです。
 火山と一緒に生きてるんですね、エトナ山は。それが可能なのは、国立火山学研究所っていう所が、百数十人体制で、常時、24時間見守っていて、観測機器も、百数十機、機能しているからです。だから、あれだけ噴火してても、平気なんです。ここまでは行ける、ここから規制って、細かく対応してる。・・・10年に1度みたいに噴火してるんですよ、あそこ。実は2002年の噴火の後、10年たって、もうそろそろかなと2012年にも、またエトナ山に行って、今度は頂上近くまで登ったんですけど、噴火したのは、翌2013年だった。そんなに噴火してるんですよ。実際に溶岩流れる噴火です。だけど平気でみんな暮らしてるのは、そこにそれだけお金かけて、人の命と暮らしと、観光と、全部守ろうとしているからです。
 愛と知恵があれば、可能なこと。
 商売よりも経済よりも、人の命は大事。そこに一番お金かけましょうよ。津波でも、台風でも、要は、話はそこでしょう。天災は仕方がない。台風、津波、噴火は、もうこれは防ぎようがない。しかし、人災は防げる。・・・愛さえあれば。

 昨日1泊して、今朝もう帰りましたけど、私の友人の若き医師が訪ねて来てくれました。JOCS(※17)っていうチームに所属している友人です。JOCSっていうのは、「日本キリスト教海外医療協力会」です。そこから派遣されて2期6年、パキスタンで小児科医療にあたり、このたび帰国して、訪ねてくれました。
 知り合ったのは3年前。1期終わって日本に帰って来てる時、釜石で出会いました。ちょうど震災の直後で、釜石のベースにボランティアとして来てたんです。で、すっかり意気投合して、その年は私の無人島キャンプにまで来てくれたんですけど、その後すぐ2期目でまたパキスタンに行き、3年働いて先週帰ってきて、早速昨日の夜のミサに来てくれたんです。「お久しぶり!」っていうことで、「お疲れさま!」って乾杯したら、3年間ほとんどお酒飲んでないって言ってました。イスラムの国はお酒飲まないんですね。
 いろいろ話を聞いてると、パキスタンの小児科医療、ともかくまず、医療機器がないんですよ。薬が足りない、機器が足りない。未熟児で生まれても、人工呼吸器がない。日本だったらいくらでも助かるのにっていう子どもを、助けられない。みすみす、見殺しにしてしまう。
 「一番大変だったのは、助けるときの大変さより、助けられないときの気持ち。これがやっぱりつらかった」って話してました。
 在任中になんとか人工呼吸器が一つ送られてきて、それで助けることができるようになった子どもたちもいたんだけれど、双子が生まれることもあるんですね、双子の未熟児が。でも、人工呼吸器は一つしかない。「こんなつらいことなかった」って。
 わかりますよ、そのつらさ。お母さんにしてみたら、どちらもかわいいわが子なのに、どうしようもない。どちらも助けてあげたいのに、どちらか一人しか助けられない。でもじゃあ、どうやってそのひとりを選ぶのか。彼は、仕方がないので、くじを作って、お母さんに引いてもらったっていうんですよ。お兄さんの方か、弟の方か。・・・そのくじを引くお母さんの気持ちわかります?
 あまりにもつらい思い出のようだったので、「でも、そうして、一緒に苦しんでくれた医者がいたっていうだけで、お母さんは救われたんじゃないですか」ってお慰めしましたけれど。
 これ、「神さまは意地悪だ」って話ですか? 「運が悪い」って話ですか?
 違うでしょう。・・・「2台目の人工呼吸器を送ろうよ」って話じゃないですか。
 ぼくらは、利益になることだったら、何だってやります。でも、利益にならないことには、ぜんぜん目も向けない。そういう世の中だったら、これはもう、「荒れるに任せても、酸いぶどうの畑が滅ぼされても」(cf.イザヤ5:5‐6)、致し方ない。これ、滅ぼされるというより、自ら滅びちゃうっていう話でしょうねえ。
 もちろん、2台目があっても、3人目は仕方がないって話にはなります。それはこの世の真実です。限界はあります。でも、「愛をもって、やるだけやって、精いっぱいやって、後は神のみ手に委ねます」で、いいんじゃないですか。少なくとも、ちゃんとやってないのに、運命論で切り捨てたり、神をうらんだりするのは、納得できない。
神に、落ち度はありません。

 先週のシニアの集い、本当に楽しい集いでしたけど、その後すぐ、午後には、施設を出られず教会に来られない方のために、「出張シニアの集い」っていうのをやりました。こちらから施設に出向いて、そこの方数名に、病者の塗油の秘跡(※18)と聖体の秘跡(※19)をお授けして、教会と同じようにお花と記念のカードを渡してね、おしゃべりしました。とても喜ばれましたよ。
 その時に、一番ご高齢の方がね、こう言ったんですよ。
 「私はもう、最近は、歩けなくなりました。耳も聞こえなくなりました。ついに目も見えなくなりました。神さまは、次々と、私から大事なものを取り上げられる。でも、それは神さまのみ心ですから、お任せです。私は幸せです。もうすぐ、行けるんですから」って、天を指差したんです。そして、
 「私が神さまのところに行けたら、一緒に祝ってください。実は私、自分の葬儀のときに、紅白まんじゅうを配る手はずを整えました」って。(笑)
 思わず、「・・・ホントですか? 楽しみです」・・・って言っちゃいましたけど。(笑)
 でも、「楽しみ」でいいんじゃないですか。行けるんだから。もっとも行くべきところへ。
 精いっぱい愛して、なすべきことをなして、そして、神さまがお召しになる。神さまが次第に、自分からいろいろなものを取り上げていく。最後は命までも。でもそれは、意地悪だからじゃない。断じて違う。ぜんぶ、愛のみ心のうちにある。そう信じる。これが「キリスト者」です。
 私も、もしも、噴石飛び交う現場に居合わせたなら、もちろん、「神さま!お憐れみを!」と、「なんとか助けてください。もし助かったら、もっとちゃんと働きます」(笑) くらい祈るでしょう。でも、もしも噴石がゴンッと当たっても、決して「神さまの意地悪!」とは申しません。
 「み手にすべて委ねます」と、そう申し上げます。


【 参照 】

※1:「この1週間、噴火の映像を、私たち、ず〜っと見てまいりました」
 長野県、岐阜県境にある御嶽山(標高3067メートル)が、2014年9月27日午前11時52分ごろに噴火した一連のニュース。
(参考)<ニュース記事は、リンク切れになることがありますので、ご了承ください>
・ 「2014年の御嶽山噴火」(ウィキペディア)
・ 「特集:御嶽山噴火」(朝日新聞DIGITAL)など
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※2:「いつか説教でもお話した」
2014年2月16日〈年間第6主日〉の説教、「魔物と戦って」の5段落目からをお読みください。
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※3:「日本能率協会」
(参考)
・ 名 称 : 一般社団法人 日本能率協会 ※略称:JMA(ジェイエムエー)
・ 英文名 : Japan Management Association
・ 企業目的 : マネジメントに関する調査、研究、情報の収集及び提供、人材の育成及び指導等を行うことにより、企業、団体等の経営革新を図り、もって我が国経済の発展、国民生活の向上及び国際社会への貢献に寄与することを目的とする。(「協会概要」より引用)
・ 企業活動 : 「調査・研究」、「提言」をベースに、人材の育成をおこなう「経営・人材革新」、専門展示会の開催を中心とした「産業振興」、国際標準マネジメントシステムを普及する「審査登録」の主要三活動のほか、「表彰活動」、「ソリューション」など多岐にわたって活動している。(「活動案内」より引用)
・ ホームページ: 「日本能率協会
―――――――
(※ 一般に親しみのある「能率手帳」(新ブランド:NOLTY〈ノルティ〉)は、グループ会社の「株式会社 日本能率協会マネジメントセンター」(JMAM)が扱っている。)
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※4:「リーダーのためのリベラルアーツ講座」
 将来の経営幹部候補者や、ビジネスリーダーとしての活躍が期待される人などを対象に、「哲学・歴史・思想等に触れて、ものの見方、考え方を豊かにし、他社、他者との対話や思考を鍛錬することを通じて、リーダーとしての必要な要素を醸成する」のが目的で開かれている講座。(「コース概要」より <2015.リンク切れ>))
(参考)
・ 「2014/09/11 【最終案内】リーダーのためのリベラルアーツ講座」(JMA メールマガジン)
・ 「第2期 リーダーのためのリベラルアーツ講座」(JMAマネジメント・インスティチュート) <2015.リンク切れ>
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※5:「・・・お話してまいりました」
(参考)
・「プログラム構成」・「パンフレット(pdfファイル)」<「第2期 リーダーのためのリベラルアーツ講座」<2015.リンク切れ>
 この講座は、全6回、7日間に分けて行われる。8名の講師が、各々のセッションテーマに従って講義を行う。
 晴佐久神父はその中の1回を担当し、セッションテーマは「宗教・社会」。
 他、この講座では、「リベラルアーツを学ぶ意義」「世界と日本」「哲学」「日本文化」「日本人の価値観」「歴史」「国際社会」「人間学」「大局観」などのセッションテーマがあり、それぞれ、株式会社ニチレイ相談役の浦野光人氏、東京医科大学哲学教室教授の西 研氏、東洋文化研究家のアレックス・カー氏、国際日本文化研究センター名誉教授で宗教学者の山折哲雄氏など、各界を代表するような著名人が講師として招かれている。
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※6:「ガリレオ・ガリレイの宗教裁判」
 ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)1564-1642(イタリア)
 天文学者・物理学者・哲学者。「近代科学の父」「天文学の父」といわれる。
 コペルニクスの地動説を支持したが、1616年、ローマ教皇庁から地動説禁止令が出され、ガリレオは宗教裁判によって有罪となった。
 ガリレオの死後、320年たった1965年、教皇パウロ6世は裁判の見直しを始め、1992年、教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判の誤りを認め、謝罪。
 教皇ベネディクト16世は、2008年に行われた、国連やユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績をたたえ、地動説を改めて公式に認めている。
(参考)
・ 「ガリレオ・ガリレイ」(ウィキペディア)など
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※7:「スンニ派とシーア派の争い」
 7世紀にイスラム教を始めたムハンマドの死後、後継者の選出を巡って、ムハンマドが打ち立てた「慣行(スンナ)」や信条を受け継ぐことを重視したスンニ派と、ムハンマドの血統を受け継ぐことを重視したシーア派に分かれた。
 世界のイスラム教徒人口は約16億人。うち9割がスンニ派だが、イラクは国民の6割をシーア派が占める。
 現在、シリアやイラクで対立している原因は、むろん、宗教の正当性を巡ってのことではない。
 政治的少数派のシーア派は、富の分配がうまく行われていないため、貧困層が多く、不満が募っているうえ、政権を握るスンニ派に対し、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっている。
 スンニ派も、イラン革命以後、イランの対岸には多数のシーア派が存在しているため、イランが革命の「輸出」をして政権転覆を図るのではないかと危惧しており、争いは収まるところを知らない。
(参考)
・ 『朝日新聞』2014/6/29朝刊1外報面
・ 「スンナ派」(ウィキペディア)
・ 「シーア派」(ウィキペディア)
・ 「教えて!尚子先生 イスラム教・スンニ派とシーア派の違いは何ですか」(海外投資の歩き方
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※8:「第1朗読」
本日(2014年10月5日〈年間第27主日〉)の第1朗読箇所
「イザヤの預言」
  5章1節〜7節
   〈小見出し:「ぶどう畑の歌」〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※9:「有珠山の大噴火の時に」
 有珠山は、北海道、洞爺湖の南に位置する、標高737メートルの活火山。
 この「大噴火」は、2000年(平成12年)3月31日午後1時7分に起こった。マグマ水蒸気爆発。
 3月27日から近日中の噴火は予知されており、29日には気象庁から緊急火山情報が出された。それを受け、危険地域に住む1万人余りの人たちは、噴火までに避難し、被害は限局化された。
北海道大学有珠火山観測所は、144時間以内に噴火すると予告。その予告から143時間目に噴火した。
(参考)
・ 「有珠山」(ウィキペディア)
・ 「有珠山」(気象庁)
・ 「有珠山 噴火」(北海道新聞)ほか
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※10:「避難を呼びかけた教授がいますでしょ」
 岡田 (ひろむ)氏。(1943‐)地球化学者。理学博士。専門は火山物理学、火山噴火予知、火山被害。
 1981年、北海道大学理学部付属有珠火山観測所助教授となり、1987年から翌年4月まで、同観測所、所長を務める。
 1988年4月から、北海道大学大学院理学研究科附属地震火山研究観測センター。有珠山噴火時は、同センター教授。現在は、北海道大学名誉教授。
 「有珠山の主治医」といわれている。
 噴火の的確な予想だけでなく、普段からの、地域に密着した危機管理能力も高く評価されている。
(参考)
・ 「岡田 弘」(ウィキペディア)
・ 「壮瞥町有珠火山被害対策本部が立ち上がるまで」(岡田教授と行政職員がとった火山活動初期の「初動の状況」を記録したもの) など
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※11:「雌阿寒岳」
北海道、阿寒の活火山。標高1,499メートル。日本百名山に選定されている。
現在もさかんに活動している活火山で、最近では1998年、2006年、2008年などに小規模噴火を起こし、降灰も観測されている。登山の禁止と解除が繰り返されている。
(参考)
・ 「雌阿寒岳」(ウィキペディア)
・ 「雌阿寒岳」(気象庁)
・ 「日本の第四紀火山:雌阿寒岳」(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)など
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※12:「空振」
火山の噴火やジェット機の発着音などによって、急激な気圧の変化が起こって生じる空気の振動。(「空震」とも表記される)
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※13:「ハザードマップ」(hazard map)
 自然災害で、どこでどのような災害が起こるかを予測して地図にまとめたもの。
 予測される被害の発生地点をはじめ、被害のおよぶ範囲や程度、危険場所や災害時の避難場所、経路なども記される。災害予測図とも。
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※14:「現にその教授が、・・・・言ってるんです」
(参考)
・ 「道内も火山観測体制強化が急務 御嶽山噴火1週間 機器増設、人材育成が課題」(『北海道新聞』2014年10月4日)
・ 「御嶽山と大違い 犠牲者ゼロだった有珠山噴火の『対応』」(『日刊ゲンダイ』2014年10月4日)
・ 「北大名誉教授が気象庁の対応を批判『明らかな前兆があった』‐御嶽山噴火」(『夕刊フジ』2014年10月3日)ほか
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※15:「イエスさまが、今日、たとえてくださった話」
本日(2014年10月5日〈年間第27主日〉)の福音朗読箇所
「マタイによる福音書」
  21章33節〜43節
   〈小見出し:「ぶどう園と農夫」のたとえ〉(小見出しは、新共同訳聖書による)
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※16:「エトナ山」
 イタリア、シチリア島の東部にあるヨーロッパ最大の活火山。世界遺産(自然遺産)。標高は3330メートルくらい。(「くらい」というのは、度重なる山頂での噴火のせいで、標高が変化するため)。
 世界で最も活発な活火山といわれるが、落ち着いている時期と噴火活動が盛んな時期が、交互に来ている。
 1169年には、犠牲者が1万6千人という歴史に残る大噴火があり、その後も、1669年、1万人の犠牲者を出す大噴火があった。その時は、溶岩流がカターニアから、海にまで流れ込み、カターニアの街は半壊してしまった。(その後、1693年の地震で全滅)
 1986年には噴火が高さ1600メートル、2007年には高さ400メートルという記録もされている。
 2002年は、10月27日に大噴火があった。
 ただ、麓は石灰を含んだ土壌で農業に適し、ぶどう園や果樹園が広がっている。
(参考)
・ 「エトナ火山」(ウィキペディア)
・ 「エトナ山」(シチリアクラブ)
・ 「エトナ山」(イタリア世界遺産の旅)
・ 「ギリシャ神話にも登場・・・世界一活発な火山『エトナ山』の驚異」(NAVERまとめ)
など
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※17:「JOCS」
 「Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service」の略。
 日本キリスト教海外医療協力会。
 公益社団法人。
 キリストの、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)の教えに従い、主にアジアやアフリカの人が、自発的で健康的な生活を送ることができるよう、保健医療従事者の派遣や、奨学金、協働プロジェクトなどで支えていく活動を行っている。
(参考)
・ ホームページ:「JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)
・ ツイッター:「JOCS東京事務局」(ツイッター)
・ フェイスブック:「日本キリスト教海外医療協力会JOCS
・ YouTube:「日本キリスト教海外医療協力会のチャンネル」など
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※18:「病者の塗油の秘跡」
 七つの秘跡(キリストによって制定され、教会に委ねられた、秘められた神のわざを示す感覚的しるし)の一つ。司祭が病者に油を塗って祈る式、また、その秘跡のこと。
 重病あるいは高齢のために困難があるとき、死の危険が迫っているときに、病人の額と手に司祭が祝福された油を塗り、神の癒やしといつくしみ、聖霊のたまものを祈る。
 この塗油のためにはオリーブ油か、他の植物油が用いられる。
 イエスから派遣された使徒たちは「油を塗って多くの病人を癒やした」(マルコ6:13)。また、使徒ヤコブも、その手紙の中で、病人は、油を塗って祈ってもらうようにと勧め、その祈りの力にも言及している。(ヤコブ5:14-15)
 このように、教会は長く、病人に油を塗って祈ってきたが、12世紀ごろから次第に臨終の病人のみに限られるようになり、「終油の秘跡」と呼ばれるようになっていった。
 しかし、第二バチカン公会議を経て、現在では臨終の時に限らず与えられ、「病者の塗油」という名称に改められている。
 教皇フランシスコは、2014年2月26日の一般謁見演説の中で、この「病者の塗油の秘跡」について言及し、「人間に対する神のあわれみに、手で触れることを可能にしてくれる」と述べ、改めて「この秘跡が、イエスが病者や高齢者に寄り添ってくださることを確かなものとすること、また、65歳以上の人ならだれでも受けることができること」を伝え、「慰めと、前に進むためのイエスの力を与えて」もらうようにと勧めた。
(参考)
・ 「病者の塗油の秘跡」
   『カトリック教会のカテキズム』(カトリック中央協議会、2002年)
    「病者の塗油の秘跡」1500番〜1532番
・ 「病者の塗油」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
・ 「病者の塗油」(ウィキペディア)
・ 「病者の塗油の秘跡」(キリスト教マメ知識>ラウダーテ)
・ 「病者の塗油の秘跡()()(この秘跡を受ける者、授ける者)(この秘跡執行の効果)」
   (カテキズムを読もう>ラウダーテ)
・ 「教皇フランシスコの2014年2月26日の一般謁見演説」(カトリック中央協議会)
・ 「ためらわず『病者の塗油』を」(カトリック新聞オンライン 2014年3月6日)
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※19:「聖体の秘跡」
 7つの秘跡の一つ。
 救いのいけにえであるイエス・キリストの御からだと御血とが、パンとぶどう酒の形態のもとに神に捧げられ、永遠の生命の糧となる秘跡。
 七つの秘跡の中でも、「秘跡中の秘跡」といわれる。
 この秘跡は、イエス・キリストが、最後の晩餐に時に、パンをとって感謝して使徒たちに与え、「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである」と言われ、また杯をとって同じように、「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい」と言われたところに端を発する。(マタイ26:26-28、マルコ14:22-24、ルカ22:19-20、Ⅰコリント11:23-25参照)
 キリストは、信じる者が、この秘跡によって永遠の生命で養われるために、世の終わりまで教会において記念され、再現され続けるように願われた。そして、その権能と務めを、使徒たちと、その後継者に与え、今も、司教や司祭たちが引き継いでいる。
 信者は、キリストの制定の言葉に従い、パンとぶどう酒は、キリストの御からだと御血に変化し、そこに現存され、また、その御霊魂も、神性も、共におられると信じる。これは、理性を超えた「信仰の神秘」といわれる。
(参考)
・ 「聖体の秘跡」
   『カトリック要理(改訂版)』(カトリック中央協議会、1979年)
     第3部「秘跡と祈り」-第34課「聖体の秘跡」p.177〜p.189
・ 「エウカリスチアの秘跡」
   『カトリック教会のカテキズム』(カトリック中央協議会、2002年)
    「エウカリスチアの秘跡」1322番〜1419番
・ 「聖餐」(ウィキペディア)
・ 「聖体の秘跡」(キリスト教マメ知識>ラウダーテ)
・ 「54.聖体の秘跡・ミサ」(山本神父入門講座>ラウダーテ)
・ 「55.聖体の秘跡2」(山本神父入門講座>ラウダーテ)、その他。
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2014年10月5日 (日) 録音/2014年10月11日掲載
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