光っているのは、あなたの心

2015年7月19日年間第16主日
・第1朗読:エレミヤの預言(エレミヤ23・1-6)
・第2朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ2・13-18)
・福音朗読:マルコによる福音(マルコ6・30-34)

【晴佐久神父様 説教】

 昨日、ささやかですけど、いいことがあったので、その報告から。
 都内の市ヶ谷の修道院で、いやしのミサをやっておりますが(※1)、4時からのミサで、5時過ぎに終わり、多摩の6時半のミサに間に合うように、いつも車を飛ばして帰ってくる(※2)。だいたいギリギリで間に合うんですけど、昨日は中央道が大渋滞で、「いや~、またやっちゃったかな~😥。これ、間に合わないなぁ・・・。電話かな~」とか思いながら、高井戸と永福の間あたりまで来たら、渋滞表示は、もっと先まで、ず~っと延びてるんですけど、突然車がガラガラになって、「あれ? もしかしたら間に合うかも! でも、そんなにうまくいくかなあ・・・」って思いながら走っていくと、稲城のインターまで、ホントに、「ほかに車、走ってるの?」っていうくらいガラガラで、インター降りたら、今度は、教会まで、信号が一度も止まらないんです。(笑) 「あれ? また青。あれ? また青♪」って、ず~っと。そして、連光寺の坂を越えていくじゃないですか、峠みたいに。するとね、峠のてっぺんで目の前がパッと開けたら、それまで、ずっと暗い雨だったのに、そこから先は晴れてて、西の空が、金色にパ~ッと光って輝いてるんですよ。
 昨日のミサはその直後だったんで、ちょっと興奮して、その話をしてたんですけど、なんかね、神さまってきっと、そんなささやかなことでも、ひとつの励ましのしるしとして、具体的に見せてくれてるんじゃないかと思うんですよ。私たち、いろいろと行き詰ったときや、もうダメだと思うようなときに、暗い気持ちになって周囲が見えなくなってることがありますけど、よく見れば、実は何らかの励ましのしるしを見せてくれてるんじゃないですか。
 もちろん、とってもささやかなしるしですよ。西の空がパッと晴れるとかって、そんなのただの偶然だって思う人もいるかもしれませんけど、私はそれを、神さまが、この私に具体的に関わってくれているしるしとして受け止めます。
 神さまって、ご自分を、抽象的に、学問的に表すわけじゃなくて、それこそ西の空がパ~ッと晴れるとか、道をスイスイ走れたとか、もう、そんなことででも、ぼくらを励まそうとしているって、私はそう信じます。信じたところから、すべてが始まるから。そこはもう、ただの偶然だと思わずに。
 神さまって、そんな意地悪じゃない。人生って、そんなに試練だけってわけじゃない。つらい中でも、よくよく見れば、誰かから優しい言葉をかけられたとか、痛かった膝が今朝から急に良くなったとか、ちょっとしたことかもしれないけれど、神さま、ちゃんと励ましてくれてると思いますよ。私なんかはそれを、どんなときでも見逃さず、パッと見つけて、「ああ、神さま、ちゃんとやってくれてるなあ」って心に受け止めたいって、いつも思ってます。

 イエスさまが、人里離れた所に、弟子たちを連れて行きますでしょ(※3)。この「人里離れた所」っていうのは、単に「人がいない所」っていう意味よりも、「人里を離れる」っていうところに意味があるんですよ。「人里」っていうのは、人間の考えとか計画とか、欲望とか恐れとか、そういうものが満ち満ちている所ですよね。そこは、忙しくてバタバタしていて、食事をする暇もないと。・・・いいことじゃないですね、やっぱり。そこを離れるってのは、神さまのわざを体験するためですね。
 昨日、例年どおり「そうめんパーティー」というのがあって(※4)、入門講座の前期の打ち上げということで、おいしいそうめんがいっぱい並びましたけど、さあ、そうめん食べようと思うと、「神父さまっ♡」と、誰かが話しかけてくるんですよね。(笑) いろいろな悩みを相談したり、次のアポを取るために手帳を開いたりってことになるわけですね。まさに、「食事をする暇もない」(cf.マルコ6:31)。(笑) だけど、その人の悩みを聞きながら、私の目は、じ~っとそうめんを見てるんですよ。(笑) 分かります? そういうの、ありますよね。なんだかな~っていう落ち着かない状況。
 「人里」っていうのは、いつも落ち着かない。なんだかこう、ウロチョロして、チョコマカして、ちっとも落ち着かない。ときに人里を離れて、神のもとに座る必要があります。しんと静かな気持ちになって、自分の考えを超えた神のみ心を知る必要があります。西の空がパ~ッと開けるなんていうのは、自分の考えと違いますでしょ。一方的に、向こうが光るんですよ。神が光らせてるんだから。そういうおおらかな世界に、・・・まあ、もう夏休みですしね、心を開いていただきたい。

 私、「人里離れた所」に行ってきましたよ、先週。
 先週日曜日、神父さん、いないな~って思われたかもしれませんが、スイスってとこに巡礼の旅に行ってたんですよ(※5)。スイスの巡礼なんて、あんまり聞いたことないと思うかもしれませんが、私にとっては、スイスに聖地があるんです。スイスには世界遺産にもなってる修道院があって、そこを訪ねたんですけど、実は、私にとっての聖地は、山なんです。いうなれば「マッターホルン修道院」とでもいう、(笑) それは、私にとってはもう、どうしても見たかった、触れたかった山です。
 小学生のとき、家庭教師の大学生のお兄さんがいて、もう40年以上前の話ですけど、夏休みにヨーロッパに旅行に行ってね、「スイスアルプスは、本当に素晴らしいですよ」って、絵はがきをくれました。それがマッターホルン(※6)の写真の絵はがきで、「ああ、なんてきれいな山だろう! ぼくも見てみたいな~。いつの日か、ここに行くことがあるんだろうか」って、ず~っと思っていて、以来海外にはずいぶん行きましたけど、なかなかスイスって、寄るチャンスがなかったので、「今回はぜひ、マッターホルンを拝みたい!」と、そう思って、巡礼に行きましたよ、35人連れて。
 氷河特急(※7)っていうのに乗ってね、で、ツェルマットっていうふもとの村に2泊したんですけどね、朝、マッターホルンの頂に輝く朝焼けを見に、午前4時過ぎに起きて、みんなで、向かいの山の展望台にロープウエーで登ったんですよ。なにしろ、マッターホルンって、形も美しいんですけれど、朝の光がまず当たり始める時って、これが神々しくて特別に美しい。時にダイヤモンドのような光。時に黄金のような光。多くはオレンジ色だったり、ピンク色だったり、いろんな光り方をする。ぼくらが見たときは、ちょっと桃色がかったオレンジに輝き始めて、一瞬、太陽の光そのもののような澄んだ光がきらめいて。もう、非常に美しかった。
 で、また、私たちの巡礼団、ロープウエーで登ったわけですけど、他に、どんなグループも登って来なかった。山の上が、貸し切りなんですよ。だ~れもいない。辺りの山々が、ぐるりと開けていて、目の前にマッターホルンがそびえていて、そこに朝の光が当たり始める。これを、ぼくらが独占したわけですね。あまりに神々しくて、うれしくなって、その場でみんなでお祈りしました。歌を歌ってね。ず~っと巡礼の途中、ミサで歌っていった、「()手の中で」(※8)っていう歌を歌いました。ご存じですか?
 「御手の中で すべては変わる 賛美に わが行く道を 導き給え あなたの御手の中で」
 っていう歌詞ですね。聞いたことあるでしょ?
 (歌う)♪御手の~中で~♪ すべては変わる賛美に~♪ わが行く道を~導き給え♪ あなたの御手の中で~♪
 今日、ラジオの収録があるので、ちょっとキレイ目に歌ってみました。(笑)
 この歌をね、あの光るマッターホルンを前にみんなで歌ったら、涙する人いましたよ。・・・「御手の中ですべては変わる賛美に」「わが行く道を導き給え」「あなたの御手の中で」
 ・・・この世界は美しい。神さまがお創りになったものは素晴らしい。そこに生きている私たちは、なんと尊い存在か。そのとき、私、巡礼団の皆さんにお話ししました。
 「これ、山が光ってるんじゃないですよ。皆さんの心が光ってるんです」って。
 だって、山なんていうものは、もう何百万年も前から毎日、光を浴びて光ってるだけですよね。そこにただあるだけです。
 しかし、人間はそれを、朝、早起きして見に行って、祈りの心で見つめて、そして、その輝きを前に、「御手の中ですべては変わる賛美に」って歌う。人間が現れるまでは、誰もそんなことはしなかった。人間の心だけが、そういうことを想うんです。これは美しい心ですよ。実は、マッターホルンが輝いてるんじゃない。目には見えない、私たちの心が輝いているんです。しかも、マッターホルンの輝きよりも美しく。
 神さまのみわざは、目に見える美しさを通して、目に見えない美しさをつくり出す。
 ・・・私たちの心の話です。光っているのは、あなたの心だってことです。
 「なんてきれいな心なんだろう!」って、お互いに思い合ったらいいし、胸に手を当てて、自分の美しい心のことも思っていただきたい。「汚れている」とか、「足りない」とか、「こんな自分は」とか思うのは、それは「あなたの」考えにすぎない。見てください、神は、山を光らせます。山は汚れていません。何かが足りないということもない。山はただ存在していて、何にもできない。そんな山が光っているのは、「神が」光らせているから。
 私たちの心に神さまの光が当たるとき、御手の中で、どれほど美しく輝いていることか。

 あと、ホントに美しい花を見た。
 今ちょうど、百花繚乱でね、ず~っと、トレッキングコースを歩きながらね、ユングフラウ(※9)の下のトレッキングコースですけど、歩きながら、ずっとつぶやいてました。
 「信じられない!」
 「あり得ない!」
 「天国か!?」
 ・・・ず~っと、つぶやきながら歩いてました。(笑)
 ちょうど一斉に花咲く時期で、白、黄色、桃色、紫、オレンジ、・・・ありとあらゆる色が、文字通りに百花繚乱(ひゃっかりょうらん)驚くべき花園でしたけれど、そんな色とりどりの中に、すごく目立つ青い花があったんですよ。これが美しかった!
 この青い花はね、ガイドさんに聞いたら、「リンドウ」だって言ってました(※10)。だけど、日本でいうリンドウとは、ぜんぜん違って、直径2、3センチの花ですけど、細長い5弁の花びらで、ともかく、美しい青。濃い青。
 今回、チューリッヒの聖堂でシャガールのステンドグラスも観ましたけど(※11)、ちょうどそのシャガールのステンドグラスの一番濃い所に似ている。ここの聖堂のマリアさまのステンドグラスの青(※12)も似てますけど、あれよりもっと濃い色ですね。ラピスラズリの青(※13)です。・・・その青が、光ってるんですよ。光をはらんでるんです。まさにステンドグラスのように。そういう色。花びらの表面の仕組みがそうなんでしょうね。光ってるんですよ。あの、チョウチョで、光るチョウがいるじゃないですか。大きなアゲハみたいなので、瑠璃色に輝いていて、角度変えると不思議な光がチラッと見えるような。あんな感じに近い、光る青の5弁の花びらが一面に、百花繚乱の中に、ちょうどいい具合に、5輪、10輪ずつ固まって、あちらこちらで輝いてるんですよ。
 私はもう、その青に魅せられて、感動したというか、ビックリしたというか、こんなきれいな花が世の中にあったのかと。「いや~、これを知らずに死ぬとこだった。ヤバい、ヤバい」みたいな。(笑) もう、それに見とれて、「ああ、ここにもあった!」「あっ、ここにもあった!」って言っているうちに、だんだん列から遅れて、添乗員さんがず~っと先の方で、心配そうに私を振り返って待っててね。(笑) 写真にも撮ったんですけど、写真だと、色とか光とかが出ないんですよね。だからもう諦めて、心に刻みました。わが心に。・・・ガイドさんは「ハルリンドウ」って言ってましたけどね。あの青がもう、心に光って輝います。私にとっては生涯忘れられない色として、大切に心の中に咲かせ続けたい。これだけはもう、実際の花が枯れたとしても、私の心の中では絶対枯れずにいつまでも咲いているぞ、と。・・・神の創造した色。
 ふと、イエスさまの、あの福音を思い出します。
 「野の花をよく見なさい。な~んにもしないで、ただ咲いている。しかし、わたしは言っておく。あのソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。明日はもう枯れてしまう、こんな野の花でさえも、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(cf.マタイ6:28~29)
 こう言ったんですよ、イエスさまは、私たちに。
 「こんな美しい花が咲いている。どうだ、私の創造物は。見てくれ、この美しさを。しかし、まして、あなたがたはなおさらだ」って言ってるんです、神さまは。
 目に見える、光る花はね、5弁の花で、美しいですよ。感動もしました。しかし、それを美しいと思った私の心、いつまでもその花が咲き続けている私の心は、もっと美しい。「神がこのように装わせてくださる。まして、あなたがたにはなおさら」っていうのは、単なる衣服の話じゃないでしょう。神は、私を、どれほど美しく装わせてくださっているか。自分では何にもできない、明日は枯れてしまうようなこの身を、神さまがどれほど美しい輝きで装わせてくれているか。
 「この花より、私のほうが美しい」
 なかなか、そう思えないかもしれませんけど、そう思ってください。私たちは神さまの最高傑作なんですよ、これ以上ないというくらいの。

 昨日、プロテスタントの神学生さんが入門講座に来られて、こんな話をしてくれました。
 「自分は、昔、うつ気味だったけれど、そんなときに、ある教会で暗い顔をしていたら、先輩の信者さんに叱られた。『ダメよ。あなたはもうイエスさまに救われたんだから、そんな暗い顔してちゃ。あなたがそんなに落ち込んでいると、イエスさまを、もう一度十字架に付けることになるのよ』、そう言われて、よけいにつらくなった」と。
 ・・・なかなかコワい指導ですよね。(笑)
 イエスさま、確かに、私たちを救うために十字架にかかって、まさに、その十字架と復活によって、私たちは救われた。これは本当に福音です。それを、私たちは喜ぶべきです。
 しかし、現実はなかなかつらいじゃないですか。そうは言っても、心は苦しいときもあるじゃないですか。信仰はあっても病気にはなるし、どんなに祈ってもけが(・ ・)すれば痛い。目の前の人間関係は本当に厳しくって、なかなかニッコリもできない。
 だからこそ、イエスさまは、私たちを人里離れた所に連れ出してくれたんです。人里で苦しんでるわけですから、まさに、「神さまでいっぱい!」っていう世界に私たちを連れ出してくれた。そうして真ん中に立って、牧者のいない羊のようなかわいそうな私たちに深く憐れみを注いで、福音を語ってくださった。こんなつらい私たちだからこそ、そうして十字架にかかって、復活の栄光を見せてくださった。・・・それは、毎日のことです。今も続いてるんです。ですから、私たちのつらい現実、それは、イエスさまをお迎えするための現実であり、今もつらいからこそ、イエスともつながれるんですよ。
 確かに、この体は、なかなかつらい。確かに、この現実は、なかなか厳しい。しかし、だからこそ、そのまん中に、イエスさまが、まさに輝きとして宿ってくれる。そのおかげで、いつしか私も光り出す。
 だから、「あなた、そんな暗い顔してちゃダメじゃないの」って叱るんじゃなく、「あなたがどれほど暗い状態でも、イエスさまはあなたを愛してるから、だいじょうぶよ。そんなあなたをイエスさまはよく知っているし、憐れんでくださっているし、今もあなたのうちにおられるから、あなたはそんな厳しい現実の中で、うつむいているまんまでも、輝いているのよ」、そう言って慰め、励まし、共にいる。これが、私たちの教会です。
 この世で一番美しいのは、イエス・キリストです。その、光り輝くイエスを「美しい」と思える私たちの心は、本当に美しい。
 やがて、・・・やがて、このイエスと本当に一つになって、私たちは輝き始めます。
 その夜明けに、永遠の光をはらんで、どんな山の頂よりも、どんな花よりも美しく輝く。その日はもうすぐです。それまでは、忍耐、続きます。でも、ちゃんと神さまは、私たちを「御手の中で」「すべてを賛美に変えるために」働いておられます。
 こんな話を聴いてるだけでも、こうして見ていると、皆さんの顔、輝き始めてますよ。百花繚乱っていう感じ。まあ、お世辞じゃなく、(笑)「あのアルプスで見た花園よりも、信じるこの仲間たちは美しい!」と、私の目には輝いて見えますよ。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です)

※1:「都内の市ヶ谷の修道院で、いやしのミサをやっておりますが」
◎「おかえりミサ」「福音の村」の別ページでもご案内
いやしのためのミサ「おかえりミサ」
 東京、信濃町の援助修道会で、2001年から続いている、晴佐久神父司式のミサ。
 誰でも参加可能だが、特に、事情があって教会に行けない方、体や心の病などでいやしを必要とする方、キリスト教に興味のある未受洗の方などを主な対象とし、いやしの恵みを祈り求める。
***** Information *****
・日時 : 毎月第3土曜日(8月はお休み) 
       15時~(途中参加可): 祈り
       16時~ : ミサ
・場所 : 援助修道会 聖堂
・住所 : 東京都新宿区市谷田町2-24
・電話 : 03-3269-2405 (問い合わせは17時まで)
・メール: auxijapon@live.jp (件名に「おかえりミサ問い合わせ」と入れてください)
****************
・・・< 文中へ戻る

※2:「いつも車を飛ばして帰ってくる」
信濃町の援助修道会から、多摩教会までは、首都4号新宿線から中央自動車道の高速道路を利用して、総距離32.4キロメートル。ほぼ1時間の道のりとなる。NAVITIMEより)
・・・< 文中へ戻る

※3:「イエスさまが、人里離れた所に、弟子たちを連れて行きますでしょ」
2015年7月19日〈年間第16主日〉の福音朗読箇所
 マルコによる福音6章30~34節
 〈小見出し:「五千人に食べ物を与える」(6章30~43節から抜粋)〉
  >>>
「 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 」(マルコ6:31~34)
・・・< 文中へ戻る

※4:「昨日、例年どおり『そうめんパーティー』というのがあって」
2015年7月18日開催。
カトリック多摩教会が夏に行っているパーティーで、入門講座が主催している。一応、入門講座の春期(1学期)の締めくくりとして、金、土、日と、3つあるクラス同士の交流会となっているが、広く、どなたでもお迎えしている。
晴佐久神父のお話に始まり、その後、夏といえばの「そうめん」を中心に、手料理をはじめ、さまざまな料理が出され、交流を楽しんでいる。
 秋期(2学期)の初めには、「ピザ・パエリアパーティー」(9月12日土曜日)が開催されますので、皆さまも、ぜひご参加ください。
(←画像はクリックで拡大表示)
(参照)
・ 「入門講座交流会〈そうめんパーティー〉(7月18日)」(カトリック多摩教会HP)
・ 「入門講座の7~9月スケジュール」(カトリック多摩教会HP)
・・・< 文中へ戻る

※5:「スイスっていうとこに巡礼の旅に行ってたんですよ」
 2015年7月7日(火)~16日(水)まで行われていたスイスへの巡礼旅行。
 今年4月、「福音の村」でもご紹介し、参加者を募らせていただきました。(>>>こちら
  
       ( ↑ 画像はクリックで拡大表示 ↑ )
・・・< 文中へ戻る

※6:「マッターホルン」
◎マッターホルン(独:Matterhorn マッターホルン、伊: Cervino チェルヴィーノ)
 アルプス山脈に属する標高4,478mの岩山。山頂にはスイスとイタリアの国境が通り、麓の町はスイス側にツェルマット、イタリア側にチェルヴィニアがある。マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表す「matt」と、山頂を表す「horn」に由来している。(ウィキペディア
 マッターホルン@スイス マッターホルンの朝日
       ( ↑ 画像はクリックで拡大表示 ↑ )
・・・< 文中へ戻る

※7:「氷河特急」
◎氷河特急(氷河急行、グレッシャー・エクスプレス〈Glacier Express〉)
 スイスを代表する山岳リゾートを結ぶ山岳鉄道。伝統の横断ルートを走る。アルプスの名峰や牧草地、山間の急流、渓谷など、絶景が続く。エアコン完備のパノラマ車両が導入され、テーブル付きの広い座席、日本語を含む6カ国語で説明が聞けるイヤホンなど、サービスも整っている。
 マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)とレーティッシュ鉄道(RhB)というスイスの鉄道会社2社が、ツェルマットとサンモリッツの間(約270km)を8時間かけて走行している。
 平均時速は時速約34kmで、「世界で最も遅い特急」と呼ばれている。
 氷河特急@ブリーク駅 氷河特急@ラントヴァッサー橋
       ( ↑ 画像はクリックで拡大表示 ↑ )
(参考)
・ 「氷河急行」(ウィキペディア)
・ 「グレッシャー・エクスプレス」(スイス政府観光局) 他 旅行会社のパンフレット等
・・・< 文中へ戻る

※8:「御手の中で」
 
作詞・作曲 Diane Ball 日本語訳詞 関根弘興
(歌詞)
1.御手の中で すべては変わる 賛美に わが行く道を 導きたまえ あなたのみ手の中で       
2.御手の中で すべては変わる 感謝に わが行く道に 表したまえ あなたの御手の業(わざ)を
・・・< 文中へ戻る

※9:「ユングフラウ」
◎ユングフラウ(独:Jungfrau)
 スイスベルン州のベルナー・オーバーラント地方にあるアルプス山脈の山で、ユングフラウ山地の最高峰。Jungfrauは、「乙女」、「処女」の意味。標高 4,158m。
 アイガー(Eiger/標高3,970m)、メンヒ(Mönch〈「修道士」の意味〉/標高4,107m)と共に、オーバーランド三山と呼ばれている。
(参考)
・「ユングフラウ」(ウィキペディア)
・・・< 文中へ戻る

※10:「この青い花はね、ガイドさんに聞いたら、『リンドウ』だって言ってました」
 学名は「ゲンチアナ・ベルナ」(Gentiana verna)
 リンドウ科リンドウ属の花。多年草。4~7月に開花する。
 アルプスを代表する花のひとつ。属名の Gentiana は紀元前のイリリア王「ゲンティウス(Gentius)」の名にちなむ。 種小名の verna は「春咲きの」という意味。
 濃い青色の花を咲かせる。 花は筒形で先が5つに裂け、日が当たると花の先の裂片が開く。 花は、空色や白のものもある。
  
       ( ↑ 画像はクリックで拡大表示 ↑ )
・・・< 文中へ戻る

※11:「シャガールのステンドグラスも観ましたけど」
◎フラウミュンスター(聖母教会)@スイス・チューリッヒ
 コバルトブルーの屋根を持つ尖塔とマルク・シャガールのステンドグラスが有名な大聖堂で、多くの観光客が訪れる。853年に女子修道院として建てられたが、1524年に閉鎖。12~15世紀ごろにゴシック様式の教会になり、20世紀になってシャガールが手掛けたステンドグラスが取り付けられた。
 シャガールのステンドグラスは、著作権の関係上、ここに表示できないので、(>>> こちら)をご覧ください。
(←画像はクリックで拡大表示)
(参照)
・ 「フラウミュンスター」(JTB)
・ 「フラウミュンスターのステンドグラス
・ 「Fraumünster」(ホームページ)
・・・< 文中へ戻る

※12:「ここの聖堂のマリアさまのステンドグラスの青」
 祭壇真正面、会衆席の背側になる屋根近くにあるステンドグラス。イエスさまご降誕の絵柄。
 (『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所)の表紙でおなじみの、A.カルペンティール神父(ドミニコ会)制作)

(←画像はクリックで拡大表示)
・・・< 文中へ戻る

※13:「ラピスラズリの青」
◎ラピスラズリ(lapis lazuli)
 半貴石。和名では瑠璃(るり)
 深い青色から藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つ。

(←画像はクリックで拡大表示)
・・・< 文中へ戻る

2015年7月19日 (日) 録音/2015年7月30日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英