愛の可能性を花開かせる

【カトリック浅草教会】

2017年6月25日 年間第12主日〔聖書朗読は「聖ペトロ 聖パウロ使徒」(祭)〕
・ 第1朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録12・1-11)
・ 第2朗読:使徒パウロのテモテへの手紙(二テモテ4・6-8、17-18)
・ 福音朗読:マタイによる福音(マタイ16・13-19)

【晴佐久神父様 説教】

 本来ですと、今日は年間第12主日のミサをしておりますけれども、当浅草教会では、聖ペトロ聖パウロ使徒のお祝い日として、この朗読箇所を読みました。私も「ペトロ」ですし、今日は私の霊名お祝いをしてくださるということですので、今日の箇所、大切に読みました(※1)
 つくづくと思うことは、ペトロなしに、今の教会はないわけですが、そもそもは、ペトロはごくごく普通の人だったんですよね。私もそう。皆さんもそう。みんな、ごくごく普通の人。パウロなんかは、むしろ教会を迫害していた人。でも、その「普通の人」「迫害してた人」を、神さまが選んで、ちゃんとご自分のお役に立てる。ペトロパウロのお祝い日に、特別にそのことを思います。私たちはホントにとても小さく弱い存在ですけども、神さまは一人ひとりに、何らかの使命をちゃんと与えていますし、その使命が花開くように、ちゃんと育てています。私たち全員の中に、そんな、神さまから与えられた、とてつもない可能性が秘められてるんです。これがやっぱり、ペトロパウロの日の一番の味わいだと、私は思う。
 「全員の中に」ですよ。大人も子どもも、みんな、なんらかの尊い可能性を秘めている。
 まあ、ほとんどその可能性を開かないままに、天国に召されたとしても、神さまは褒めてくださるというか、「よくがんばったね」と言って迎え入れてくださるとは思います。思いますけれど、その天国で、自らの内に与えられていた、その可能性のことを本当に知ったときに、愕然とすると思うんです。
 「ああ、なんてもったいないことしたんだろう・・・。自分の中にそんな可能性が秘められてたなんて。どうして生きてる間に気づかなかったんだろう。もっともっと、いくらでも素晴らしいことができたのに!」
 そう思って、きっと、愕然とすると思う。そんな後悔とか反省とかの思いを清めてもらって天国に向かうプロセスを、「煉獄(れんごく)」って呼ぶのかもしれませんね。いずれにせよ、そんな思いをする前に、頂いている恵みをちゃんと信じて、生きてる間にこそ、その可能性を開かせましょうよ。み~んなに与えられて、もうすでに持っている、素晴らしい、その、・・・なんでしょう、「まことの神の子に育つ種」とでも呼ぶべき恵みをね、芽吹かせましょう。
 繰り返しますけど、何にもしないでほっといても、まあ、救われますよ。種のままでも、神の子は神の子なんだから。でもね、せっかく「種」を頂いたんだから、種は芽吹かせてこそ初めて意味を持つんだから、ちゃんと水をやって、育つと信じて、温めてみましょうよ。もしそこに、思いも寄らない素晴らしい芽が出たら、まして予想もしなかった花が咲き、神の国の実が実ったら、どんなにこの世界は良くなるか。大げさでなく、皆さんは世界を救うことができるんです。
 ぜひ、今日は、自分のうちにね、そういう恵みがあるんだ、世界を救う可能性が与えられてるんだっていうことを思ってほしいです。ペトロは、ごく普通の人でしたし、パウロは、神の国にはむしろふさわしくない人でしたけれども、神さまに選ばれて、特別な人にさせられました。彼らは、自らに与えられた恵みに目覚め、それを信じたんです。そのおかげで、今こうして教会がある。一人の人が、自らの可能性を開くって、すごいことだって思いませんか?

 可能性っていう意味では、象徴的な人が、時々出てきますよね。
 私は、かつて千駄ヶ谷の日本将棋会館に通っていた子どもだったので、将棋、結構強いんですよ。将棋クラブの部長をしてたこともあるくらい。で、将棋界のことも多少は知っているので、このたびの連勝記録には、本当に驚かされています。言うまでもなく、藤井聡太君(※2)の話をしてるんですけれども、これ、皆さんが考えているよりも、はるかにあり得ないことなんです。そもそも、確率論からいっても、あり得ない。特に「連勝」っていうのは、確率論からいくと、ものすごく大変なんですね。だって、仮に勝率5割なら、2分の1×2分の1を繰り返していくわけだから、10連勝ならあり得ても、20連勝なんてことになると、現実にはあり得ないような確率になっていきます(※3)。しかも、それが、デビュー以来一度も負けなしで、28連勝とかいうのは、天文学的数字ですし、驚きを通り越して、「なんだか、変」としか言いようがない。
 それで、私は、納得できる一つの結論を得ました。おそらく、彼は、AI搭載のロボットなんじゃないか。(大笑) そう言えば、動作や物腰もぎこちないし、しゃべることも、パソコンの模範例文みたいだし。いよいよ明日、新記録の29連勝を達成するかどうかっていうところまできましたけど。
 しかし、もしも、彼が生身の人間であるならば、今回の出来事は、ある非常に大きなメッセージを秘めていると思う。つまり、一人の14歳の脳みその中に、それほどの可能性があるという事実は、私たちにもその可能性があるっていうことです。同じ人間である私たちの中にも、今までの常識とか、自分の考えも及ばないような可能性が、まだ眠ってるってことなんですよ。
 だって、どれだけの天才たちがね、しのぎを削って、あの81マスの宇宙の中で将棋を指してきたと思います? その、誰もできなかったようなことを、一人の14歳の脳みその中で実現させてるんですよ。・・・彼も、それほど特別な人間じゃないと思うんですよ。もちろん、それなりの資質があったのかもしれないけども、ご両親の理解と応援の中で、彼はひたすら詰将棋を繰り返し、楽しい将棋、大好きな将棋を極めることに集中したからこそ、その可能性を開くことができたし、そこに、今までの常識では考えられない新しい世界が始まっていく。
 それで言うならば、私は、教会の可能性にも、そういう余地がまだまだ広々と備えられているはずだと、ず~っと思ってきました。だから、まずは、一人のキリスト者として、自分のこの小さな脳みその中で、例えばイエスさまの教えをどうしたらより普遍的にみんなに伝えられるかとか、イエスさまの始めた家族のような集まりをどうしたら実現できるかとか、いろいろな方法を考えて、いろいろな手を試してきたつもりです。だって、せっかく生まれてきたんだから、自分の中に与えられている可能性を花開かせたいなって、やっぱり思うじゃないですか。生きてる間にね。それはとっても価値あることですし、何よりも、楽しいことであり、大好きなことであり、そして、誰にでもできることであるはず。皆さんも、その可能性の花を開かせていくことができるはず。

 今日、10歳の子が初聖体(※4)を受けますけれども、どういう人生になってくんでしょうね。・・・楽しいですよ~、これから。20歳とか、ホントに楽しい。でもね、30、40が、また楽しい。ところが、50はもっと楽しい。(笑) そして私は、もう今年、60ですからねえ。こんなに60が楽しいとは思わなかった。どうぞお楽しみください。人生って、その可能性を開かせていくプロセスなんですよ。眠らせていてはいけない。あなたのその脳みその中にね、どれだけの可能性が秘められていることか。・・・神はご存じ。でも、本人も周りも、まだよく分かってないから、気づかないでいる。
 藤沢教会の方が来られてるんですか? 中学生たちに福音を聴かせたいと、何人も連れて来たって聞いてますよ。どちらですか? ああ、あちらにおられます。ようこそ、ようこそ。中学生の皆さんに、申し上げたい。皆さんは、すごい可能性の塊なんですよ。皆さんの周りの大人たちは(あきら)めかげんな感じですけど。(笑) 実は、大人こそ諦めちゃいけないのに、まして子どもたちは、絶対に諦めちゃダメです。ものすごい可能性が、その頭の中に、心の中に、どれだけ秘められているか。

 私、今、早稲田大学で講義してるんですけど、「世界の宗教」っていう講義です。理工学術院なんで7、80人の理系の学生たちが、目を輝かせて聴いてくれてます。これが名物講義らしく、去年単位を取ったっていう学生が、また聴きに来たりする。「あの話を、もう1回聴きたい」って思ってもらえるのはうれしいですけど、それもそのはず、この世で学ぶべき、最も大切なことをお話ししているからです。
 最初の講義のとき、黒板に書くんですよ。
 「人は、なぜ生まれてきたのか」
 「人は、何のために生きているのか」
 「人は、死んだらどうなるのか」
 みんなちょっとびっくりした顔でこっち見てるんですけど、「これ、誰か答えられる人いますかね」って言って見回すと、目があった人、顔を伏せますよ。まあ、そうでしょうね。一番関心があることでありながら、答えを知らずにいる、最も大切なこと。
 「私は、この答えを知っております。確信を持って答えることができます。関心がある方は、どうぞこの講義を、よく聴いてください」
 そう言うと、みんな結構真剣に聴いてくれます。だって、みんなやっぱり思ってるんですよ。
 「なんで生まれてきたんだろう」
 「どうしてここにいるんだろう」
 「何のために生きてるんだろう、こんなにつらい思いしながら・・・」
 「死んじゃったらどうなるんだろう。すべて消えちゃうんだろうか」
 人間であれば、必ずそういうこと、思うじゃないですか。でもなんだか、みんなよく分からないままに、目先のことで迷わされて、諦めてしまう。そんなときこそ、神さまが皆さんに語りかけてくださった福音を聴くべきだし、神さまが皆さんに与えてくださった可能性を開いていくべきです。
 神さまは、皆さんに福音を語ってくださいましたし、皆さんを特別な可能性を与えてくれました。それは、何か。
 講義では、こう答えます。
 「あなたたちは、まことの親である神に望まれて生まれてきた。だから、そこにいる」
 「あなたたちは、その神に愛されるために生きている。その神の愛に目覚めるために存在している。その愛の中で、互いに愛し合うために生かされている」
 「死とは、その愛が完成する日。それは終わりではなく、始まりだ。この世での準備期間を終えて、本当の愛の世界に生まれ出ていくときだ。あなたが愛したすべてのことが捧げものとなるそのとき、愛である神と真に出会う。永遠なる神のもとに誕生していくのが、死である」
 こういうことを、講義で好きなだけしゃべってるんです。これ、もはや入門講座みたいなもんですけど、だいじょうぶですかね。大学のほうから苦情が来たら、「それなら辞めます」って言うつもりでいるんだけど、なかなか言いに来ない。たぶん、気が付いてないんだろうと思う。(笑)
 最も大切なこと。そう、神さまは、私たちの中に、愛されていることに目覚める力、目覚めて愛し合う力を与えてくださったんです。その可能性を、どこまで開いていくことができるか。10連勝でも20連勝でもできるほどに、その分野を鍛える。それはすごく楽しいこと。大人たちでもできなかったことを、14歳だって可能にするんですよ。魂の世界でそれをやっていきましょうよと、若い皆さんには特に呼び掛けたいですねえ。

 パウロは言いました(※5)
 「世を去る時が近づいた。戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰の道を守り抜いた。今や、義の栄冠を受けるばかりだ」 (二テモ4:6-8)
 パウロは、この手紙を書いてから程なく亡くなったわけですけれども、彼は、自らの可能性を極めつくした人です。そして、それは誰でもできるって言ってるんです。「しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」 (二テモ 4:8) という、その「義の栄冠」。
 「主が来られるのをひたすら待ち望む人」、これはもう、私たちがやがてキリストと同じような者になるということを信じて (cf.ロマ8:29、一ヨハ3:2-3、4:17) (※6)、自分の可能性を開いていく人です。
 イエス・キリストこそが、完全な人間なんです。というか、彼こそが、本来の人間なんです。
 と言っても、人間離れした空想のスーパーマンとかじゃなくて、「すべての人に与えられている可能性を完全に開くと、こうなります」という、目に見えるモデルなんです。そのキリストに、少しずつ似た者になりたいと憧れるのが、キリスト者。もちろん、ぼくらは、28連勝とかには全然及びもつかない、1勝か2勝くらいのレベルですけど、それでも憧れ続けて、ペトロとパウロと一緒に、戦いを戦いたい (cf.二テモ4:7) 。この戦いは、悪との戦いですけど、実はそれは、自分の中にある、諦めとか、恐れとかの、悪い心との戦いなんだって、気づいてますか? 愛に目覚める可能性を閉ざし、愛し合う可能性を妨げる、さまざまな自らの内なる悪の力に対して、私たちは挑みます。
 ペトロは、そんな悪に打ち勝って、イエスさまのことを「あなたが救い主です」って、たったひと言、宣言した(cf.マタイ16:16) (※7)。そこから教会が始まったんですけれど、その「あなた」であるキリストは、この私もそうなれるという、わたしの可能性の極みである方なんです。若い方たち、この世界を救ってくださいよ、キリストと一つになって。
 ご聖体っていうのは、そのような可能性の極みと一つになるってことでしょう。
 「私も、ほんの少しでも近づければ」って、可能性の極みへの憧れをもって頂きます。

 悲しいニュースが流れました。ブログを見てた方も大勢おられると思うんですけど。・・・小林麻央さん(※8)のブログです。見ておられてた方も多いんじゃないですか? 250万人近くが見ていたそうですから。
 小林麻央さん、亡くなりました。でも、今の話で言うなら、私、あの一人の女性の中、一人の神の子の中に、すごい可能性が花開いたなあっていうことを、目の当たりにした思いです。
 本人は、がんを患って、すごくつらかったでしょう。子どもも二人いてね、ある意味幸せの絶頂だったにもかかわらず、突然の告知で、たぶん完治は難しいということになってきたとき、どんな思いだったか。でも、そんな中で、彼女は前を向いて、ブログを始めたんですね。まさに一つの可能性を開いたんです。
 ブログの中で、自分の弱さを正直に受け入れて、不安な心を率直に語る。それによって、同じような痛みとか孤独とかを背負っている人と心を通わせたいという、前向きな思い。このつらい状況、苦しさを、同じような苦しみを背負っている人と共有すること。それによって、「私も頑張る。あなたも頑張ろう!」って励ましたい。・・・愛ですよねえ。
 重い病気になったからといって、ただがっかりして、恐れて、病の陰に隠れちゃうんじゃなくって、そこから出発だ、と。それまでの人生も素晴らしかったけれど、この病んでいる自分、ここから出発して、さらに素晴らしい日々を送って、みんなに希望を与えたい、と。
 まさに、愛の可能性が花開いていった、そのような1年間でありました。それはいまや、永遠なる天の国で、どれほど美しい花として咲き誇っているか。彼女の、みんなに与えたその愛情は、これはもう、神の子としてのかけがえのない栄誉として、今は神さまの世界でね、「義の栄冠」(二テモ4:8)をもらっていることでしょう。
 ご主人にはね、亡くなる直前に、「愛してる」ってひと言、そう言い残したって伝えられていますけれども。・・・そうだよね、考えてみたら、この世界に生きてるって、誰かを愛することなんだから、やっぱり、その愛情を、言葉、しるし、生き方で、ちゃんと表してないと、「生きてる」っていうことにすらならないのかもって思わされる。
 愛されていることを十分に受け止めた麻央さん、みんなをも愛して、精いっぱい自分を捧げた麻央さん、その人生は、パウロが言うとおり、今や、「戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおした」 (二テモ4:7) 一人の神の子として、私たちを励ましてくれます。この私にも、「どんな状況にあっても可能性を求め続けていけるんだ」という希望を与えてくれました。

 ペトロとパウロのお祝い日に、力を頂きましょう。私に与えられた愛の可能性を花開かせることができたら、どんなに素晴らしいかと憧れて。
 特に今日、初聖体を受ける一人の神の子のうちに、キリストの愛が花開きますようにと、心から祈ります。


【 参照 】(①ニュース記事へのリンクは、リンク切れになることがあります。②随所にご案内する小見出しは、新共同訳聖書からの引用です。③画像は基本的に、クリックすると拡大表示されます)

※1:「本来ですと、今日は年間第12主日の~今日の箇所、大切に読みました」
 この日は、カトリック教会の典礼暦では「A年、年間第12主日」に当たっており、聖書朗読箇所も、それに従って決められているが、ここ、カトリック浅草教会の守護の聖人は「聖パウロ」、主任司祭(晴佐久神父)の霊名は「聖ペトロ」、また、聖ペトロと聖パウロの祭日は、この日に近い6月29日ということもあり、特別に、聖ペトロと聖パウロの祭日(6/29)の聖書朗読箇所が読まれた。該当箇所は以下のとおり。
*****

★ 6月29日(水):「聖ペトロ 聖パウロ使徒」(祭日)/小見出し併記
・ 第1朗読: 使徒言行録12章1~11節
 「ヤコブの殺害とペトロの投獄」12章1~5節、「ペトロ、牢から救い出される」6~19節から抜粋
・ 第2朗読: 使徒パウロのテモテへの手紙二4章6~8節、17~18節
 「最後の勧め」3章10節~4章8節、「個人的指示」9~18節から抜粋
・ 福音朗読: マタイによる福音書16章13~19節
 「ペトロ、信仰を言い表す」16章13~20節から抜粋
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※2:「藤井聡太君」
◎藤井聡太 (ふじい そうた)〈2002年7月19日~〉
 将棋棋士。愛知県瀬戸市出身。師匠は杉本昌隆七段。棋士番号307。
 14歳2ヶ月で史上最年少プロ棋士(2016年10月1日付)になった。
 プロ公式戦初対局から無敗連勝記録は単独1位。連勝記録でも、6月26日に29連勝を記録し、神谷広志八段が1987年に達成した記録を30年ぶりに塗り替えた。段位は四段。(2017年6月26日現在)
(参考)
・ 「藤井聡太」(ウィキペディア)
・ 「藤井聡太」(「棋士データベース」:日本将棋連盟)
・ 「藤井四段、史上初 デビュー11連勝達成!」(「将棋ニュース 2017/4/4」:日本将棋連盟)
・ 「藤井聡太四段28連勝。歴代トップタイ」(「将棋ニュース 2017/6/21」:日本将棋連盟)
・ 「藤井四段29連勝 14歳、新記録樹立」(「毎日新聞」2017/6/26 21:25
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※3:「20連勝なんてことになると、現実にはあり得ないような確率になっていきます」
 連勝する確率を求められる式があります。勝つ確率は常に一定という想定、勝つ確率50%として調べてみると、2連勝で25%、5連勝で3.13%、10連勝で0.0977%、15連勝で0.00305%。20連勝になると0.0000954%です。
 本当に、「現実にはあり得ないような確率」ですね。
(参考)
・ 「連勝する確率」(計算フォーム)
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※4:「初聖体」
 洗礼を受けた後、初めて聖体拝領する機会のこと。
 カトリック教会では教皇ピウス10世が1910年に、子供の初聖体の年齢を、子供が理性を働かせるようになる7歳ごろと定めた。
 1983年に公布されたカトリック教会の現行の教会法では、理性を働かせるに至った子どもの両親、後見人、主任司祭は、子どもが罪の告白を済ませてから聖体拝領に臨むよう配慮することとなっているが、特に具体的な年齢は定められていない。
 成人の場合は通常、洗礼式が行われるミサの中で、初めて聖体を受ける。
(参考)
・ 「初聖体」(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2008年)
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※5:「パウロは言いました」
上記、参照※1に記したとおり、この日のミサの第2朗読は下記のとおりとなった。
 使徒パウロのテモテへの手紙二4章6~8節、17~18節
 〈「最後の勧め」3章10節~4章8節、「個人的指示」9~18節から抜粋〉
===(聖書参考箇所)===
わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。 (二テモ4:6-8/赤字引用者)
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※6:「私たちがやがてキリストと同じような者になるということを信じて (cf.ロマ8:29、一ヨハ3:2-3、4:17)
===(聖書参考箇所)===
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 (ロマ8:29/赤字引用者)
しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。 (一ヨハ3:2-3/赤字引用者)
こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。 (一ヨハ4:17/赤字引用者)
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※7:「ペトロは、そんな悪に打ち勝って、イエスさまのことを『あなたが救い主です』って、たったひと言、宣言した(cf.マタイ16:16)
上記、参照※1に記したとおり、この日のミサの福音朗読は下記のとおりとなった。
 マタイによる福音書16章13~19
 〈小見出し:「ペトロ、信仰を言い表す」16章13~20節から抜粋〉
===(聖書参考箇所)===
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (マタイ16:15-16/赤字引用者)
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※8:「小林麻央さん」
◎ 小林麻央 (こばやし まお) 〈1982年7月21日~2017年6月22日〉
 小林麻央さんは、東京都出身のフリーアナウンサー、キャスター。
 夫は歌舞伎俳優の十一代目市川海老蔵。亡くなったとき、子どもは長女が満5歳、長男が満4歳。
 2016年6月9日、夫の海老蔵による記者会見で、その1年8カ月前から乳がんを患っていることが明らかにされた。同年9月1日、ブログ「KOKORO.」を開設。2017年6月20日まで更新し、読者は250万人以上となった。
(参考)
・ 「KOKORO.(小林麻央のオフィシャルブログ)〈亡くなった十日後から英訳で再開。2017/7/13現在 )
  >最初の投稿:「なりたい自分になる 2016-09-01 12:12:01」)
  >最後の投稿:「オレンジジュース 2017-06-20 06:15:10
・ 「小林麻央」(ウィキペディア)
・ 「小林麻央1年8カ月前から乳がん、海老蔵『深刻』」(日刊スポーツ 2016/6/9
・ 「海老蔵さん会見「『愛してる』と言って旅立ちました」(NHK News Web 2017/6/23
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2017年6月25日(日) 録音/2017年7月13日掲載
Copyright(C)晴佐久昌英